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栄堂奇譚  作者: よしかわ こう
華墨
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華墨



 気まずい。非常に気まずい。

 ちゃぶ台の前には黙して語らない金沢夫人。痴漢の汚名を着せられたまま、公太は金沢夫人の冷眼を一身に浴びる羽目になった。

 栄は金沢夫人とのいざこざなど知るよしものないので、暢気に紅茶の準備をしている。

 机上には金沢夫人が持ってきた卵サンドが乗っており、人数分の取り皿が用意されている。

 一番の若輩者である公太が率先して取り分けるべきだが、あいにくと公太は喫茶店にて一人前の卵サンドを平らげた後であり、下手に手を伸ばそうものなら意地汚いと謗られそうで、かといって夫人と栄だけに取り分けるのも無作法になりはしないか。

 いっそのこと、言葉の限りに弁明してみるか。黙考すること二秒、金沢夫人には逆効果であろうと察した。なにをいっても言い訳だと一蹴されるだけだ。

 金沢夫人の厳しい態度にほとほと心根が折れた公太の脇を、白い影がするりと横切った。

 白猫のお出ましだった。軽やかな身のこなしでちゃぶ台をくぐり抜け、金沢夫人の膝の側に鎮座した。ついと夫人を仰ぎ見て、澄んだ一声を上げた。

「あら、玉雪。あなたまだいたの」

 相好を崩した金沢夫人は白猫の頭を優しく撫でた。

 公太は胸の内で小さなガッツポーズをした。猫の登場によって公太の危機は一先ず回避された。

(ひろむ)さんの飼ってた猫よねぇ。随分と長生きだわね」

 白猫は少々気難しそうな金沢夫人の膝の上に乗ると、悠然と丸まった。

「私が生まれる前から飼っていたはずですから、それはないかと。当時飼っていた猫の名前って――たまゆきというのですか?」

 手際よくポットから紅茶を注ぐ栄が手を止めて問うた。

「あら、そう? 玉雪にそっくりだけど。雪の降る日に庭先でね、小さく丸まってたんですって。だから玉雪。知らなかった?」

「初耳です。そっか、玉雪……美しい名前」

 二人の女性は文字どおり昔話に花を咲かせていた。栄堂の先の店主である栄 大の思い出話は当分尽きそうもない。

 脇で静かにご相伴に与る公太は時折り相槌を打ち、先代の店主の人となりを頭の中のメモ帳に記入していった。

 骨董屋のオヤジといえば、店の隅でパイプをくわえた好々爺を勝手に想像するが、先代の主人は掘り出し物があると知れるや世界のどこへでも駆けていっては確かな目利きで品物を買い付けていたらしい。

 筆まめで出かけた先の奇麗な絵葉書や手紙をよくもらったと、金沢夫人は懐かしそうに笑むのだった。

「私もお祖父ちゃんからもらった絵葉書を大事にとってありますよ。フランスの収集家が浮世絵の初版を出品するとかで、行った先の絵葉書がとっても素敵で今でも見直すほどです。当時の私は四歳でしたから、達筆すぎる文字が読めるわけもないんですけど」

「フランスって最後の? 買い付けの途中で病気で倒れちゃって、あっという間だったものね……実は大さんに探し物をお願いしてあったのだけど、結局はそのままになっちゃったわね」

 栄は不意に黙り込んで顎に手をかけ、なにかを思い出そうとする素振りを見せた。

「確か――お祖父ちゃんの遺品の中から出されていない手紙が出てきたんですよ。金沢さん宛てのお手紙です。いつか金沢さんにお渡ししようと思っていたのですが……どこにしまったかな」

 静かに耳を傾けていただけの公太は恐る恐る右手を上げた。

「手紙なら蔵の行李の中じゃないですかね」

「あら、あなた蔵にまで入り込んでるの?」

 なんとか会話に加わろうとした結果、金沢夫人は厳しい目を寄こした。

「随分とご執心だこと」

 取り付く島もない。

 金沢夫人にとって、公太は独身女性にすり寄る不埒者でしかない。

 栄家の蔵はそれこそ物が溢れていた。時間をかけて集められた骨董品に埋め尽くされた蔵内は、等しく埃に覆われていた。

 高価そうな大皿や大小の桐箱が棚に並び、丸められた掛け軸が乱立している。かといえば古いレンジや生活雑貨が詰め込まれた段ボールが置かれていたりと、混迷を極めていた。

 埃を払い、通路にせり出した行李の位置をずらそうと悪戦苦闘するも重くて動かない。

 中を見てみれば、数百はくだらない手紙や葉書類が雑多に放り込まれていたのだった。

「あっ! そうかもしれない」

 栄は手を打ち、「ちょっと探してきます」と腰を上げた。

 大いに慌てた公太は全力で栄を止めた。

 公太の不用意な言動が発端だとしても、それでなくても肩身の狭い思いをしている。金沢夫人と二人切りにされたが最後、これ以上ない恐怖で死んでしまう。

「僕が行きますから!!」

「日も暮れたこんな時間に、信用ならない方を蔵に入れるのはどうかしら」

 栄は金沢夫人と公太を交互に見つめてから笑った。

「三人で行きましょう」

 栄家の蔵は庭の一角に建っている。小さいながらも池庭を配し、手入れの行き届いた庭先を伸びる敷石の先に蔵の両扉が見える。

 栄の無邪気な提案のお陰で三人は仲良く蔵の中に足を踏み入れた。裸電球の黄色い明かりだけを頼りに、公太は問題の行李へと二人を案内した。

「あら、懐かしい」

 一転して金沢夫人は古い手紙を手に手に、当時の思い出話を披露した。

「私が求めていたガレのランプが中々見つからなくて、あの時は苦労をかけたわ」

「夫人のお宅にある華鬘草文(けまんそうもん)のランプです? はぁ……何度見ても美しいですよね。淑女のような気品を纏いながらもどこか妖艶な佇まいでもありますよね」

 色褪せた絵葉書を眺めては先代店主の思い出話がひとつ増えていく。二人は互いに頷きつつ、笑い合っている。楽しい思い出話を共有できない公太は一抹の寂しさを覚えた。

 二人の女性は公太の感傷などお構いなしに、古い手紙を改めていく。

 なにせ行李の中身は何百もの手紙、葉書が詰め込まれているので、公太も加わって未開封の手紙を仕分けていった。

 案外見つからないもんだな。公太は葉書の仕分けを買って出て、封書を女性二人に精査してもらっていた。

 日が落ちた薄暗い蔵の中は寒さが身に染みる。寒さに震えながらどれくらいの時間が経っただろうか。

 何気に手にした一通の手紙の裏書きを改めていた夫人がはっと息を飲んだ。

 金沢夫人に目をやった公太はその横顔に、喜びよりも悲しみが含まれているように思えて声をかけるのも憚れた。

「ありましたか!?」

 なんとなく気まずい雰囲気をものともしないのは、栄の長所でもあり短所だ。栄は金沢夫人の見つけた手紙を無邪気に喜んだ。

 我に返った夫人は小さく頷いた。

「珍しい。お祖父ちゃん、封蝋を使ってたんだ」

「ふうろう?」

「専用の蝋を垂らして封をすることです。今でいう糊付けの代わりですね」

 確かに外国の古い時代の映画などで見た記憶がある。なんというか、粋な計らいだ。

「部屋に戻りましょう」

 金沢夫人はさっさと背中を向けて蔵を出ていった。

「どうしたんでしょう?」

 ようやく小首を捻った栄は公太を伺った。

「分かりませんが、少し悲しそうでしたね。あれだけ楽しそうに思い出を語ってたのに」

 公太と栄は手早く片付けてから部屋に戻った。先に戻っていた金沢夫人は仏壇の前に座り、先代店主の遺影を見上げていた。

 夫人は遺影に映る先代店主と静かな会話を交わしたのちに、ようやく二人に向き直った。

「封蝋の手紙は特別なの。そうね、二人の間だけの符丁みたいなもの」

 金沢夫人は古い手紙を胸に抱いたまま笑顔を浮かべていた。その仕草はまるで――まるで……。

「大げさなものじゃないのよ。ただ、なんて言えばいいのかしらね。大さんは骨董屋の勘だってはぐらかしていたけど、いい情報が得られそうな時には決まって封蝋付きの手紙をくれたの。手紙が送られた後に必ずお目当ての品が手に入ったから、一種のゲン担ぎね」

 送ることが叶わなかった手紙が意味するところは、約束は果たされなかったことになる。金沢夫人のどこか悲し気な表情の出所が知れた公太は切なさを覚えた。

「遅くなりましたがお渡しすることができてよかった」

 栄も静かに言葉を沿えただけだった。

「あら、もうこんな時間? そろそろお(いとま)しなくちゃね。二十年越しの手紙をありがとう」

 公太も栄の後に続いて金沢夫人のお見送りに立った。

 外は暗いからと送っていこうとする栄の申し出を固辞した金沢夫人は、手さげ鞄から黒いレースのショールを肩にまとった。

「素敵なレースですね。もしかしてシャンティですか?」

 金沢夫人は繊細なレースをかざしてみせた。

「素晴らしい色味ですね。これは青みがかっていて黒真珠を彷彿とさせる光沢もあって、シャンティレースの代名詞に相応しい。あぁ……細部まで美しい。シルクの手触りといい、細密な手織りといい。職人たちの途方もない苦労は同時に、美に対するこだわりでもありますよね。芸術品への昇華は、人の持つ情念そのものだと感じ入ります」

 骨董に対する栄の、淀みなく語られる知識は疑いようがない。

「さすがに大さんの血を分けたお若い店主さんね。まるで大さんの言葉を聞いているよう。このショールも大さんに探してもらったものだけど、本当は白が欲しかったのよ。最後の贈り物は白がよかったわ」

 金沢夫人は手さげ鞄に大事にしまわれた手紙をしばらく眺めてから言葉をつないだ。

「この手紙がちゃんと届いていたら、念願叶ってたかしら?」

「白のシャンティレースは……特に貴重ですし――」

 珍しく言葉に詰まっている栄は結局答えられなかった。

「あら、お若い店主さんには答えられない質問だったかしら? そういう時はね、願いは叶いますよと適当に言っておけばいいのよ」

 金沢夫人は茶目っ気たっぷりの笑顔と共に去っていった。



金沢ハツイさま


  一筆申し上げます。

  こちらはまだまだ寒い日が続いています。

  毎夜の晩酌にワインや洋酒の数には困りませんが、熱燗を求めるのは

  呑兵衛の性でしょうか。

  日課の散歩道に並ぶ桜の蕾は日に増して色づいていることでしょう。

  気の早い話ではありますが、満開の桜が目に浮かびます。


  小さな骨董品を眺めるだけで眼福の日々でありますが、先日、

  散策がてら郊外に足を伸ばしたところ、偶然にも地元で

  開催されている蚤の市を見つけました。

  思いもよらない偶然が、掘り出し物を見つけるきっかけを

  与えてくれるものです。

  ハツイさんが長年探し求めている一品も見つかるかもしれませんよ。

  実はそんな予感がしているのです。



                         三月吉日

                         敬白



華墨とは手紙の別称です。

なんとも美しい響きにひかれ、タイトルに変更しました。

最初に決めていたタイトルは「金沢さんのレースショール」

思えばなんて凡庸なタイトルだろう。

場当たり的にタイトルを変えたので内容そのものも変更。

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