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栄堂奇譚  作者: よしかわ こう
冬の女王
1/12

冬の女王 (上)

「どうぞ、ごゆっくりご覧ください」

 薄暗い店内に足を踏み入れた途端、どこからともなく聞こえてきた声にちょっとばかり驚き、足を止めた塩見公太(しおみこうた)は店の中を見渡した。

 よく利用する駅前の商店街の脇を伸びる裏路地を気紛れに歩き、気の向くままに右に左に、そうして行き着いた先は古い町並みを色濃く残す住宅地だった。

 いつも利用する道を一本逸れるだけで知らない町に足を踏み入れたような、いかにも古びた住宅地の直中に立ち尽くしていると憧憬と呼ぶべきか、懐かしさを覚えるのもおかしな話だろうか。

 そんな民家の立ち並ぶ一角にあっていささか場違いであろう、店の軒先にちんまりと座った招き猫に足を止めたのが店内へと立ち寄るきっかけだった。

 いわゆる置物の招き猫ではなく、生きた本物の猫がガラス戸の脇に座ってこちらに視線を向けていたにすぎないのだが、公太は思わず相好を崩し、猫を撫でるために屈んだ。

 奇麗な毛並みの白猫は真っ赤なリボンを首に結んでいる。一見して飼い猫なのだろうが――。

 白猫は逃げる素振りもなく公太が頭を撫でる間、静かに目を細めていた。公太の心はささやかながら満たされ、ガラス戸の奥に見える店内に目をやった。

 さして広くはない店舗に所狭しと立ち並んだ棚には、これまた雑多な商品が詰め込まれ、なにを売っている店なのか一瞬理解に苦しむも、すぐに骨董店という言葉が飛来した。

 あくまでも好意的に解釈すれば、であるが、節操なく掻き集められたガラクタの掃き溜めが相応しい店内の混乱ぶりだった。

 しかし公太は、棚の一角に並べ置かれた商品に目が留まり、店内の薄暗い様子に休みかと諦めかけるも、白猫の反対側に据え置かれた看板に営業中とあった。

 ついでに、ところどころサビの浮かんだ看板に屋号も知れた。「栄堂(さかえどう)」。ネーミングセンスすら古色蒼然としている。

 好奇心も先に立ち、今では珍しい引き戸を遠慮がちに引いた。僅かに引いただけでもガラガラと耳うるさい音を立てる引き戸は、来店を知らせるベルなど不要なほどに森閑とする店内に鳴り渡った。

 白の招き猫は公太という客を連れ込むことで用は終わったとばかりに、隙間にしなやかな体を滑り込ませ、窓際の棚の上に身軽に飛び乗った。

 白猫の足元には座り心地のよさそうな座布団が敷かれており、本来の居場所はここであるらしい。

「いらっしゃいませ」

 はたと我に返った公太は声の主を捜した。

 乱雑な棚の向こうから頭だけが覗いていた。薄暗い店内も相まって、あらぬ想像を掻き立てられた公太はとうとう悲鳴を上げた。

「ああ、驚かせてしまいましたか。ごめんなさい」

 根性なしと謗られようが、言い訳をさせて欲しい。棚越しに見え隠れする頭部が天井近くにあり、明らかに女性と思われた声の主が公太をはるか下に覗き見ているとなれば、誰もが意表を突かれるのではないか。

「蛍光灯が切れてしまって、交換途中だったんです」

 棚と棚の間の細い空間を通路とするならば、公太は一歩分の通路を左にずれて棚の奥が見える位置にまで移動した。

 手品のネタをばらせば、店員が脚立の上に跨っているだけだった。不確かな足元で、果敢に蛍光灯をはめ込もうとしている。

 公太は気になる商品もそっちのけで、店員の動向を見守った。案の定、手元に集中する余り、不安定な脚立が滑った。店員の体も大きく傾いだ。

 公太と店員の悲鳴が交錯する中、我が物顔で眠る白猫だけが静かに丸まっていた。

 公太は咄嗟に腕を伸ばした。その弾みで陶製の置物が転げ落ちたが、お陰で倒れそうになる脚立と店員をはっしと支えた。

「だ……大丈夫ですか……?」

 天井に設置された照明器具に蛍光灯が差しこまれていたことも幸いした。店員はさらに空いた両手で棚を掴んで転落を免れた。

 事なきを得たものの、激しく揺れた棚から次から次へと商品が雪崩を打ち、局地的に騒然となった辺りには盛大な埃が舞った。

 公太は遠慮のないくしゃみを披露した。

「ああ……大変失礼しました! お怪我はございませんか」

「僕は大丈夫です。それより……」

 怪我を負うことなく無事に脚立を下りた店員にほっと息を吐きながら、公太は惨憺(さんたん)たる床を見やった。

 高価の程度は知らないが、精緻に彫り込まれた模様が美しい金属製の小さな箱が口を開いたままであったり、異国のお面であったりと、相応に年輪を重ねた遺物があちこちに転がっていた。

「ああ、大変」

 店員は慌てて駆け寄ろうとしたが、狭い通路を邪魔する脚立に蹴躓いて被害をさらに悪化させた。店員はこれ以上の被害を出す前に脚立を店の奥にしまい、照明スイッチを押して明かりの確保に努めた。

 切れていた個所の明かりは元に戻ったようだが、店内は照明を点ける前とさほど変わらなかった。乱立する棚と、出入り口側にあるガラス窓が溢れる商品に塞がれているのが原因だ。

「お騒がせして申し訳ありませんでした」

 床に散乱する商品のほとんどが店員の騒動によるものだが、その中のひとつは公太が落としたもので、瀬戸物らしい小さな置物は欠けていた。

 公太は非を詫びるために、ひょうたん型の箸置きのようなものを拾った。

「僕が落として欠けたみたいなんですけど。すいませんでした」

「ああ、これは。確か時代は江戸後期のもので三代目里見長吉の作とされる、猿の根付(ねつけ)ですね。取り壊される古民家から偶然見つけたものですが、今でも蒐集家は多くいますし、人気の逸品で……」

 公太は「買い取る」という言葉を慌てて飲み込んだ。

 店内は再びの静寂を迎えた。

「どうぞお気になさらず。すぐに直りますから」

 店員は高価らしい朱色の根付を公太から受け取った。

「いやぁ、その……」

 欠けた部分を接着剤でつけても直ったことにはならない。

 公太も十分に気まずいが、取ってつけたように笑顔を添える店員も店の損失を測りかねる中途半端なものだった。

 店員は店の奥からホウキとチリトリを手にその場を片づけ始めたが、売り物を台無しにしてしまったお詫びも兼ねて、公太も片づけを手伝った。

 商品を棚に戻し、埃を払う店員と一見(いちげん)の客が黙然と作業するその傍らで、白い猫だけが我関せず惰眠を貪っていた。

 成り行きとはいえ公太が掃除を終えたのは、入店してから三十分が経とうとしていた。

 公太はようやく、店に入るきっかけを作った商品を眺めていた。興味を引かれたものとはスノードームと呼ばれる置物だ。

 台座の上に被せた半円のガラスの容器内に水を満たし、振ると雪に見立てたものが舞うというものだ。種類も豊富で比較的安価に手に入る一品としてコレクターも多いと聞くが、公太はその手の蒐集家として食指を動かされたわけではなく、単に懐かしい記憶が蘇ったからだ。

 父方の曽祖母は部屋の一室を埋めるほどにスノードームを所有していた。集めるに至った経緯は、フランスの土産を貰ってからというから、当時としては随分とハイカラだ。

 実家の母屋を建て直す際に収集品は処分されてしまい、今では見ることも叶わないが、曽祖母の趣味が詰まった部屋の記憶だけは鮮明に残っている。

 扱い方を知らない小さな子供が壊しては大変だからと、その部屋に入ることは許されなかったが、公太は幼いなりに知恵を絞り、大人たちの目を盗んでその部屋に侵入を果たしたのだった。

 当時の公太はスノードームという名称すら知らなかったが、大小の器の中に浮かぶ小さな世界はどれもが美しく輝いていた。

 棚の下段の、さらに奥のほうに申し訳程度に飾られてあったスノードームへと導いた招き猫は、今では思い出すことも少なくなった昔の記憶を呼び覚まされるという、さらなる僥倖を呼び込んだとも言える。

「どうぞ。気に入った商品がありましたら手にとってご覧ください」

 棚の奥隅に坐するスノードームの表面には薄い埃の膜に覆われ、中を詳しく伺い見ることはできなかったが、誰の目にも留まることなく、また手に取られることもなく忘れ去られているのは一目瞭然だ。

 にもかかわらず、ドーム内には雪を模した白いものが絶えず舞っていた。

 変わった仕掛けでも施されているのだろうか。たとえば、中の水が循環しているとか。

 公太は背を伸ばし、店員を振り返った。店員はにこやかな笑顔で両手に湯気の立つマグカップを持っていた。

「重ね重ね失礼しました。栄堂店主の(さかえ)と申します」

 公太は店員改め、随分と年若い店主に向き合った。

 長い髪をひとつにまとめて左肩から垂らし、白の長袖シャツにモスグリーンのロングスカートという出で立ちは清楚よりも無難が勝っている。

 全ての部位が整っているので美人に相応しい顔立ちだが、化粧気はない。そのせいだろうか。初めて見た際の大人びた印象に比べ、笑うと極端に幼く映る。

 怠惰に甘んじる大学生と自負する公太と、年の頃は大して変わらないであろうと推察するしかない。

 結局のところ、公太はまだまだ女性を見る目が培われていない、に尽きた。

「やはりコーヒーのほうがお口に合うでしょうか? 生憎と紅茶で申し訳ありませんが、どうぞ」

 公太はほんの一瞬だけ躊躇ってから、ありがとうございますと受け取った。

 連日のニュースでは関東域での夏日の更新が報じられていた。近年の夏は凶悪染みていると感じてしまうが、暦の上ではとっくの昔に秋だった。

 最近の日本人は秋らしい秋を体感できないことよりも、寝苦しい夜を苦慮しているような気がする。

 夏の暑さにはもう飽きた。そろそろ心穏やかに涼しい秋風を満喫したいものだ……が、正直な感想ではなかろうか。

 暑い毎日に辟易していた公太も、うだる熱波から逃れるように一日を涼しくて静かな図書館で無駄にすごし、自宅に帰る途中で栄堂を見つけたのだった。

 午後の陽ざしに容赦なく炙られていた公太からすれば冷えた麦茶が欲しかった。

 まだ冷めないマグカップを棚に置き、代わりにスノードームを手に取った。

 公太はガラスを覆っていた埃を拭い、鮮明になった内部に水が張られていない事実にちょっとばかり虚を衝かれた。

「あれ……なんで?」

 やはり変わった仕掛けが施されているようだ。

「本当に雪が降っているように見えますね」

 公太は紅茶が冷めるまでのつなぎとして口を開いた。

「それは当然と言えば、当然ですね。この雪は本物ですから」

 事もなげな栄の言に、公太はなるほどと聞き流そうとして思い留まり、およそ五秒をかけてから「本物って」と突っ込んだ。

 栄の笑顔に嘘は見受けられなかったが、客商売には作り笑いは必須であり、客に購買意欲を湧かせる話術も必要だ。

 巧みな店主のそれらしい売り文句だと心に留めつつも、公太はさらに顔を寄せた。

 降りしきる雪の中に浮かぶのは、二本の尖塔を持つ古城だ。型にはめて作った以上の精巧さと趣きには、目を見張るものがある。

 この中身はどこの古城を元に作られたのだろうか。てっきり土産物や民芸品の類だと思っていたのだが、改めて見れば石壁もプラスチックの質感とは違う気もする。

 しかしながら、どんなに目を寄せても対象物が小さすぎる。

 尖塔の上部にある小さな出っ張りはバルコニーだろうか。そこになにかが動いたような気がした。

「これをどうぞ」

 真剣に見入る公太に虫めがねが差し出された。



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