一章 ヒーローやってます Ⅴ
「お疲れさまっした」
ショーで怪人役を請け負っている三十歳前後の男性が、タオル片手に汗を拭きながらスタッフルームを出ていった。
彼は魔族――つまるところ本当の怪人というわけだ。何故そんな彼が悠生たち人間と共に仕事をしているのか。それはとある法のおかげであった。現在の日本には『魔族保護法』という法律ができ、
・一定以内の能力
・前科がない
この二つに該当する魔族のみ役所で申請を出せば、人間と同様に働き口もでき、害のない魔族を国が守ってくれる法だ。その法のおかげで人間の中に溶け込んで生活いしている魔族も少なくはないのだ。
「今日も観客少なかったッスね」
スタッフルームにいつもの三人だけになると、落胆の混じった声音で継人が呟いた。
「今更だな。時代が時代だからだろ」
そう言って悠生は壁の一角に目を向ける。次いで恋夏と継人の視線もそちらへと集まる。黄ばんだ壁に掛けてあったのは、A5サイズ一面にリアルロボットの描かれたポスターだった。
「世の中厳しくなったッスね……」
「それはそうとお隣さんどうでしたか先輩」
「隣り、か……」
言われて昨日の出来事が脳裏に割り込んだ。
隣人が少女で魔族で元幹部級で引きこもりで……。想起するだけで疲れを覚える。
「どうかしましたか、先輩?」
恋夏の言葉で我に返る。
「いや、ちょっと昨日のことをな――」
興味津々で追及してくる後輩二人に、先ほどまで回想の内容を掻い摘んで話した。
ただし魔族、ということだけは省いてだが。
「なるほど……で、可愛かったッスか?」
第一の感想が継人のそれだった。
「はあ、お前に話した俺が馬鹿だった……」
「いやいやそこ大事なとこじゃないッすか。年頃の女の子と一つ屋根の下、これ以上のシチュエーションはなかなかないッすよ、男の夢ッスよ」
「思ってるような奴じゃないぞ」
髪を掻きながら、再度少女を思い返す。……ないな。そう、心中で確認する。
何やら熱弁をし続ける継人を適当にあしらい、帰路に就こうとしたところで軽快な音楽とともに胸ポケットが震えた。"メモリア"だ。PDAに似るそれだが正確には少し違う。電話や通信機能など搭載しており、スマートフォンに近い。国の最先端の技術で作られ、一部の機関や軍のみが所持を許されている。それを胸ポケットから取り出し慣れた手つきで操作する。
『久しぶりだな、氷坂』
一人の男が"メモリア"から十五センチほどのホログラフィックで構成される。眉を中央に寄せ、口元を髭で覆う男が深みのある声の持ち主――飯原尚輝だ。
「機関の上部が直接連絡とは、なんか用ですか」
曲がりなりにも悠生の所属する機関の上司。形だけでも敬語で応える。
『無理に敬語なんて使わなくていい。そういう奴じゃないだろお前は』
「…………」
無言を肯定と受け取ったのか、飯原がトーンを変えずさらに続ける。
『そう身構えるな。別にお前だけに連絡を入れてるわけじゃない。そこに草茅と澤井もいるだろ』
「「は、はいっ!」」
飯原の存在感の迫力に気圧されながら、継人と恋夏が揃えて声を上げる。
『個々に連絡するのも手間がかかる、だから代表としてお前に掛けた、それまでだ』
「御託はいい」
『……本題に入る。今、お前たちの身近にいる魔族を報告しろ』
悠生の心臓が跳ね上がる。もしかして渚の存在がもう伝わっているのでは? 早鐘する鼓動を抑えつつも、平然を装う。
「なにか事件ですか?」
『魔族の数の把握、及び魔族保護法を受けているかどうかの照合、それらの定期報告だ』
どうやら廻谷渚の事ではないらしい。冷やかな汗を袖で拭い、継人と恋夏に彼らの知る魔族を尋ねる。
「高浦さんくらいッスかね」
「私も遺憾ですけど継人と同じです」
高浦というのは先ほども顔を合わせたばかりの怪人役を請け負っているヒーローショーの先輩だ。
「遺憾ってどういう意味だよ!」「そのままの意味ですよ」などと言い合いを続ける二人を背に、上司へと結果を伝える。
『そうか』
飯原は短くそう告げ、黙りこむ。
「終わりなら切るぞ」
通話終了のボタンに手を乗せ、飯原の言葉を待つ。
『氷坂、私の下に戻ってくる気はないか?』
「生憎あいつらの世話で手いっぱいだ」
未だ後ろで言い争いを続けている後輩二人を親指で指す。
『そうか。気が変わったらいつでも――』
飯原が言い終える前に、ホログラフィックのその姿が消し散った。
「いいんですか先輩?」
いつの間にか継人との一戦を終えた恋夏が顔を覗かせた。
「いいんだよ、これで」
押し込んだままの終了ボタンから手を離し"メモリア"をしまった。