一章 ヒーローやってます Ⅳ
「あー、間違えました。幹部じゃなくて元幹部です。今じゃ見ての通りただのひっきーですし」
茫然と立ち尽くす悠生に、渚と名乗った少女が訂正を入れた。……根本的なところはなにも変わってない気もするが。
「それで、ヒーローさんのお名前は?」
「……氷坂だ。氷坂悠生」
「っと氷坂さんですね、氷坂さん」
渚がその名を刻むように何度も悠生の名字を反芻する。
「それで、氷坂さん。単刀直入に訊きますけど、どこかで会ったことありますよね、自分ら」
「やっぱりか……」
彼女の一言で確信した。
そしてそれは、恐らく――
「……四年前か」
悠生の呟きに、渚も思い出したように力なく手を叩いた。
魔族は人間に比べ寿命が長い。そしてそれは外見の成長にも比例する。悠生の脳裏に焼きつくのは、漆黒の羽を舞わせる翼をしとやかに運動させ、刃先より血の滴る刀を無造作に振るう魔族少女の姿。罪のない人達を殺め、中規模クラスの都市をたった一人で壊滅させた張本人。まだ悠生が機関の命令に忠実かつ疑念を抱いていなかった時、対峙し相見えた因縁のある相手。それがこの少女、廻谷渚なのだ。ちなみに勝負の結果は機関からの援軍の到達があり渚が退く形で幕を閉じたが、その援軍が僅かでも遅れていたならば間違いなく殺されていただろう。今更ながらあの時はよく恐れずに戦えていたと自分を感嘆したい。
「心配しなくてもいいですよ、見ての通り今は魔力なんて空っきしですから」
悠生の心を見透かしたかのように渚が言った。
「魔力が空……?」
「あれ、もしかして魔力の根源をご存じない感じですか?」
「人間には縁のないものだからな」
「そうですか、魔族ディスっちゃってる感じですか」
「…………」
「冗談ですよ冗談。そんな強張った顔しないでくださいよ。で、なんの話でしたっけ?」
ひどくデジャヴを感じるが……。
「……魔力の根源云々だ」
「あー、思い出しました思い出しました。自分ら魔族の持つけた外れの力は魔力って呼ばれてるのはご存知ですよね?」
黙って首だけで肯定する。それを見て渚が続ける。
「魔力の根源は人間の血なんです」
「血……?」
「ええ、でも詳しい理由は私たち魔族にも不明です」
「むしろ自分らからしたらヒーローさんの脳力のが異色ですよ」
「それに関しては俺たちも同じだ。能力がなんなのか、どうして生まれるのか、なにもわかってない」
そう、解明されていないのだ。すでにヒーローの能力が発見されてから二十数年経つが、未だにそのほとんどが謎に包まれたまま。人間の技術が追いついていないのか、それとも明確にはなっているが上司が――国がそのことを隠しているのか……いずれにせよそれが明かされていない限り悠生に知る由もないし、知りたいとも思わない。
「そんな得体のしれないものを使えますね」
「銃火器も兵器も効かない魔族に対抗できる唯一の力だったからな。どの道滅ぼされるくらいなら使う道を選ぶだろ」
「あー、自分らのせいでしたね」
特別悪びれた様子も見せず、相変わらず抑揚のない声で渚が同意する。
「でもまあ魔族も衰退してきましたし、魔力も簡単に回復できない世の中になってきましたから能力を使う場面も減ってきてるんじゃないですかね? 自分としては魔力のないおかげで機関に追われることなくこうして隠居生活を送れてるわけですけどね」
返す言葉を探していると「立ってるのも疲れたんでそろそろ失礼しますね」と、悠生の抱える洗剤を半ば奪うように掴むと踵を返した。ドアを開け、部屋へと入る際に顔だけを悠生に向け、
「これから隣同士ということでどうぞよろしくお願いします」
「ああ」
予想外の言葉に生返事が出てしまう。
案外可愛い奴なのかもな。そんなことを思いながら悠生も身を翻し、部屋へと戻ろうとした刹那、僅かに覗く隣人のドアの隙間から声が届いた。
「――主に食事方面で」
前言撤回。やはり可愛くなかった。