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妙薬はホムンクルス  作者: 滝田利宇
第一章
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旅の準備

 正午を告げる鐘の音が町に響き渡る。

 ロイドが起きだすと同時に、ミレーネも起きた。ゼノンはまだ寝ている。外の喧騒はいつも通りのものだ。事件から一日半。物々しい騎士がいつ家探(やさが)しに現れてもおかしくない。少なくとも、町の外に出る際の検問は強化されているはずだ。


 二人は居間で軽めの食事をとりながら、今後の方針について話し合った。


 まずは王都を去るかとどまるかについて。


「出るか」


「出よう。というよりわたし旅行がしたい。ほら、最近ごぶさただもん。リーゼとかさ、会いたいよね」


「あのじゃじゃ馬娘のことは置いといて、王都出るとなると、家がなあ……」


 追手がどうのこうのより、旅行がしたいという理由から、ミレーネは王都を出たがった。ロイドにしても旅には出たい。まだ見ぬ薬や治療法を求めてである。その計画は話し合ったこともあるし、周りの人にも知らせていた。資金も潤沢ではないが旅には出られる。気がかりなのは家のことだ。ロイドは考えあぐねた。


「この家むだに広いから、弟にあげちゃおう。あ、やっぱり貸しておいてお金とろう。それでその一部をロイドのお父さんにも渡す形にすれば、丸く収まるよね」


 ミレーネの提案にロイドは拒否する気はなかった。もとよりこの家はラッセルから譲られたミレーネ筋の財産。その処分についてはミレーネの一存で決めてもらう腹だった。それがロイドの父にも反対されにくそうな形で運ぶなら、ロイドにとっては願ってもない。


「あと俺たちの近親者への容疑の飛び火だが」


「うちの親族なめないでもらえる?」


 ミレーネは挑発的に被せるが、ロイドはミレーネの母やラッセルを思い出して納得した。


「そしてあわれ俺の親父は独り身だ。たたいて出す埃がなさすぎる」


 次にゼノンの処遇について、ミレーネから。


「ゼノンはあそこで育った七、八歳の子供にしてはしっかり話せるし、意思の確認をとって、わたしたちと一緒に町の外に出るか、孤児院に入るか、住み込み先を探すかを選んでもらう。これが現実的かな?」


「いや、最終的な選択権はゼノンにあるけど、ここは多少強引にでも俺たちが連れて行ったほうがいい」


「理由は?」


「理由は三つだ。一つ目は、ゼノンがこの町に残るということは、例の捜索に巻き込まれる可能性が高いから。ヒギンズからゼノンまで一本の線でつながるわけじゃないが、不穏な事件で町中大わらわの時分に、出所不明の子供の引き取り手なんているか? 逆にその子供が突き出されるだろ。たとえゼノンが少し利口でも、身の潔白を証明する手段も知恵もない」


「上の人間なら、怪しい子供はすぐばっさりしそうだもんね。わたしが――リラのわたしがやったことなら、きっと悪魔の仕業とか触れ回るはずだから、いかにもな犯罪者より非力そうな貧民街の生き残りの方がそれっぽく映るかも。悪魔に魂を食われた子供とかなんとか」


「想像が過ぎるが、ありえなくはない。次に二つ目だが、ゼノンはまだ幼い。本来であれば親や兄弟が必要な年頃だ。リラも失って……はいないのか微妙だが、ミレーネがいなければ決定的にひとりぼっちになる。精神的な拠り所を(ほっ)しているはずだ」


「うん、わたしが姉と母親を兼任いたします」


「よくわからん家族構成だ」


 ミレーネが騎士の敬礼のように手を額にかざし、それにロイドは失笑する。


「で、最後の理由だが」


「言わなくてもわかってるよ」


 そう、最初からこの議論の結論は出ていた。天秤(てんびん)は明らかにゼノンを連れる方に傾いている。反対側に重石を載せても、それは微動だにしないだろう。

 失ったわが子の代わり――と言ってしまうと、ゼノンを物扱いするようで気分は悪いが、そういう気持ちは全くないと言ったら嘘になる。

 何よりも、ミレーネとロイドはすでにゼノンとのつながりのようなものを感じている。子供を拾ってしまった責任とか惰性とかというふうには決めつけられたくない、きずな。ミレーネはそれを守るとリラに誓った。


「ああ、それから、だめ押しで四つ目の理由がある。ゼノンはまだ弱っている。健康状態を適切に管理する人間が必要。つまり、医者である俺の出番だ」


「もう決まりだね」


「決まりだ」


 二人そろってにやりと笑う。


「ゼノンにイヤって言われても拉致(らち)しようね」


「すでに拉致してないか」


「これは保護です」











 それからの二人の予定は過密だった。

 たった一日の強行軍で旅立ちの準備にかかる。

 打ち合わせを終えて、まずロイドは委任状を書く。


『後見人として財産処分権一切の執行をその妻ミレーネに委任する』


 その思いきりのよさは、そのままミレーネへの信頼の表れである。重責を感じながら、ミレーネは家を出た。


 次にロイドは診療簿をひっくり返して経過観察中の患者を洗い出し、個々人の症状に合わせて備忘録を作成した。栄養を考慮した摂取すべき食事、日常生活での留意点、薬の処方の仕方等々、羊皮紙に走り書きしていく。幸い王都の住民の識字率は高いので、混乱は小さいはずだ。仮に患者が読めなくても、家族や知人に読んでもらえばよい。積みあがった羊皮紙の束と、いくつかの調合薬を瓶に小分けしたものを持って、組合の窓口へ。事情を説明し、配送代を添えてそれらを預ける。町を出る表向きの理由は「安価な新薬の発見を求めて外に出たい」。利益の薄い町民中心に診療する変わり者と通っているので、止められはしたが、怪しまれることはなかった。さらに、新規に開拓された村がないか情報を集める。そうした村はたいてい医師不足に悩まされている。薬業組合には香辛料や食料を扱う商人も所属する。彼らの情報網は侮れない。


 ロイドは組合の玄関をくぐり、額をぬぐう。汗はかいていないが、そういった気分だ。

「ふぅ、これは大変だ」




 一方、ミレーネは実家の宿屋を訪れていた。両親とも健在だが、先日父は水の入った桶を持ち上げた時に腰を痛めたらしい。ロイドお手製の湿布と軟膏(なんこう)を渡しておく。それから両親には内緒で弟を呼びつける。宿の経営手腕に関しては問題ないが、いい歳をして姉離れができない問題児である。弟にはミレーネとロイドが近々町を出ることを教え、自宅を譲ると伝えた。姉の意見を絶対視する弟は承知してくれたが、また町に帰ってきてくれとせがまれた。姉が帰ってきたらすぐに家が手配できるよう資金を貯めると主張する弟に感動し、ミレーネは抱きついて撫でまわした。後にミレーネ・ロイド宅は、宿屋に生まれ変わる。弟には、明礬水でしたためた手紙を託し、三日後に両親に渡すようお願いした。この手紙の文字をあぶりだした両親は激怒したという。


『夫と旅に出ます。詳しくは弟から聞いてください。元気でね ミレーネ』


 実は詳細を知らない弟は両親に折檻(せっかん)されるが、それはまた後日の話だ。

 役所にて弟と登記の名義を変更し、契約書を作成する。けっきょく、使用貸借契約を結び、十年間ミレーネの更新手続きがなければ債権譲渡することにした。つまり、十年家をただ貸しして、ミレーネが何も言わなければ、弟にそのままあげるということだ。あげるまでの間の賃料の一部はロイド家へ。譲り受け人の事後承諾があれば契約は成立する。


 ミレーネは宿に戻り、宿泊客の行商人に聞き込みをした。この時期に旅に必要になりそうなもの、近郊の通商路の状況、特に最近できた町について、最新の知識を得ることに努めた。ミレーネの話に付き合ってくれた商人によると、やはり町の外に出る流れが滞っているらしい。

 ついでに、宿屋の仕込みから干し肉とニシンの燻製(くんせい)、ライ麦パン、ぶどう酒を少々失敬した。これ以上の暴挙は両親に申し訳ないので、お金は多めに置いておく。


 ミレーネは肩をたたきながら宿を後にする。別段肩はこっていないが、気疲れしていた。


「ゼノンどうしてるかなあ」


 二人同時に家を空けてしまったから、寂しがっていないだろうか。親のような心持で心配した。

 ミレーネが家に着くと、ちょうどロイドがゼノンに水飴を(ねぶ)らせているところだった。ゼノンに笑顔をもらったミレーネは、権利証の写しをロイドに渡した。


「俺はこれを持って父さんに喧嘩を吹っかけに行くわけだ。気が重い」


 さも気が重そうに額に手をつくロイドに、ミレーネは勝ち誇ったように手に腰を当てる。


「わざわざ親に教えるなんて律儀だこと」


 なぜ偉そうなのか。その言いざまにはロイドも反撃してやりたくなった。


「ミレーネのやり口は反則だ。弟を生贄にしたようなもんだろ」


 互いの口減らずぶりを了解しているので、口論は泥仕合が予想された。それでもミレーネは言い返す。


「人聞きの悪い。だって、いろいろ説明できないこと多すぎるでしょ? うちじゃ家族会議と戦争は同義語よ。そんなことして時間食うのは嫌なの。ごまかしがきかないなら、最初から黙ってるほうがマシ」


「下手したら今生の別れだ。義理を欠かずにできる限りのことは伝えるべきじゃないか」


「で、のこのこ引き止められに、本当のことを説明して親を混乱させるわけ?」


「俺は嘘を混ぜてでも、父さんをまるめこむつもりだが」


「うわあ、悪いやつ。悪そうな顔してる」


「どっちが?」


 不毛な言い合いを、ミレーネは「おあいこね。ほら、のんびりしてない」と打ち切り、背中を押してロイドを送り出す。

 ロイドは父のもとへ行き、町を出る旨を伝え、予想通りの大目玉をくう。父は(くだん)の見切り発車はどういういつもりかと責め立てた。が、ロイドは資産分与の内容を説明し、妻の弟からの手当(てあて)があること等を噛んで含ませるように話し、最後に外の世界の医学に触れるには旅の楽な若いうちがいいと熱く説いて、なんとか黙らせた。ふと、ラッセルの言葉がよみがえる。


「男は論理で詰められると、黙り込む。じゃなけりゃ、二つの意味で手を上げるしかねえ。だが女は手ごわいぜ。下手に追い詰めると、論理も感情もごちゃまぜに反撃してきやがる。(しま)いには泣かれちゃ男に勝ち目がありゃしねえ。おっと、その点、ミレーネの嬢ちゃんは男前だな……って、(いて)え! 嬢ちゃん、蹴るのはなしだぜ! へっ、男なら(こぶし)だろ? ――うおい、冗談だって! 嘘でも泣くのはやめてくれ!」


 どうでもいいことを思い出してしまったと、ロイドは薄く笑った。

 それにつけても、繊細さとは対極にある巨漢が女性の心の機微について語るのは、なんともちぐはぐな絵だった。

 ロイドはかぶりを振って再び帰路についた。


 その間ミレーネは旅の荷造りを済ませた。足りないものは買い足した。ゼノン用に買った普段着にマントや下着。実家からちょろまかした食糧に、調理用の什器、少量の薪、ベッドから引き抜いた藁束、膝掛けにもなる厚手の毛布。それから旅装に適した服を見繕って丈夫な麻袋へ詰め、最後に漏れがないか確認する。

 少量で高価な薬は貴重品の部類に入る。ぜひとも持ち歩きたいが、そのあたりの選別はロイドに任せることにした。

 庭のハーブ園は名残惜しいが手はつけない。種子だけ持っていく。

 今のようにハーブが整って育つまでは苦労した。欲をかいてたくさん種をまくと繁殖力の強い種類がはびこってしまう。結果的に摘み取れる種類が偏るのだ。魔法で肥料を圧縮したら濃度が高くなりすぎて、ハーブたちを枯らしてしまったこともある。

 庭先を眺め、そんな思い出にミレーネが浸っていると、ロイドが帰ってきた。


「ただいま」


「おかえりー。どうだった?」


「ちょっと拳で語り合ってきた」


「はあ!?」


「冗談だ。平和的に解決できたよ。これで後腐れもない」


「……両親に黙って出奔するわたしへのあてつけ?」


 じとっとした目を向けるミレーネに、ロイドは肩をすくめる。


「別に。それにこういうのも駆け落ちみたいで楽しいかもーとか思っているんじゃないか?」


「思わない思わない。でも悪くないね、そう思えば面白いかも。あっ」


 ふつふつといたずら心をわかせるミレーネの顔に、ロイドは危ないものを感じた。


「そうそう、聞いて。さっき面白いこと思いついたの」


「何するつもりだ?」


「お・し・ば・い」


「……すごくいい笑顔してるな」


 頬を引きつらせるロイドに、ますますいい笑顔になるミレーネ。

 こうなったら止められない。良し悪しはともかく楽しいことを考えているときのミレーネの笑顔は可愛かった。全く止める気の起きないロイドは、自分も大概どうかしてるなと益体(やくたい)なく思った。それをほどなくして後悔すると経験的に知っていながら。


「ねえロイド、わたしの従者になってくれる?」


「は?」



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