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妙薬はホムンクルス  作者: 滝田利宇
第一章
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姉と弟


 いいにおいがする。それになんだか温かい。ゼノンは静かに目を開け、ゆっくりと首を動かし周りを見た。壁がある。当たり前かもしれないが、当たり前ではない。隙間のない木目の壁だ。そして信じられないことに、ふかふかの羽根布団でサンドイッチになっている。これがベッドというやつなのか。まるで天国に来てしまったみたいだ。

 ぎゅう~、としぶとく生きていた腹の虫が、「ここは現世です、食べ物よこせ」としきりに催促してきた。


「……腹、減った」


 生きているのを喜ぶべきか、ままならない空腹を悲しむべきか。ゼノンの無意味な逡巡(しゅんじゅん)の時間は、ミレーネの入室で打ち切られた。その手には、湯気を立てる皿が三つ乗ったお盆がある。


「おぉ? 起きた?」


「……あ、天使、さん?」


 その言葉に噴き出して、あやうく粥をこぼしそうになるミレーネと、きょとんとするゼノン。笑いの収まったミレーネはベッド脇の机に皿を置くと、「おなか減ってるだろうけど、まだ熱いから、ちょっと待っててね」と言い残して、部屋を出て行った。ゼノンはベッドから上半身を起こして待った。着ている服が、ぼろきれから清潔な亜麻の服に変わっている。しかし、ぶかぶかだ。

 それからすぐに、ミレーネとロイドがやってきた。


「えらい、ご飯我慢してたね、って手が届かないか」


「起きたか、ゼノン」


「……どうして、僕の、名前?」


「ああ、そっか初対面になるのか。その話はあとで、まずは自己紹介。俺は薬師のロイドだ」


「わたしは妻のミレーネ」


 二人とも優しそうな印象だった。ロイドは、背の高めの細身の男だ。茶か黒かはっきりしない色をした、これまた中途半端な長さの髪を後ろで絞っている。ややくたびれた服に、剃り忘れのような髭が伸びている。みだしなみをすっきりさせれば男前になりそうなのだが、やや損をしている印象だ。それでもゼノンの美感からすれば、十分さっぱりして見えた。ミレーネのほうは、金髪碧眼で色白の女性だ。それだけなら珍しくはないが、珍しいくらいに美人だった。天使というには女性的すぎる体つきをしているのが、エプロンドレスの上から見てとれる。

 ぽけっ、と二人を見ていたことに気づいたゼノンは、慌てて自己紹介をする。


「ゼノン、です。名前知ってるみたい……ですけど」


「よし。どこから話そうか、ミレーネ?」


「まずは座って、ご飯食べよ?」


「それもそうだな、俺も腹が減った。ゼノンも食って寝て元気になれ。いろいろ考えるのはそれからでいい」


「食べていい、んですか?」


「当然。というか、食べなさい。わたしが食べさせてあげるから」


 ミレーネは木のスプーンで(かゆ)をすくい、吹いて冷ますと、ゼノンの口元に運ぶ。せっつくような甘い匂いに堪えきれず、かぶりついた。途端に口内に広がるうまみと熱さに、ゼノンは目を丸くする。


「どう?」


「おいしい、です」


「羊の乳と雑穀のおかゆだよ。ちょっと蜂蜜も入ってる。味わって食べてね」


「はい……」


 時々、水を口に含ませてもらいながら、ゼノンは夢中で粥を食べた。食べながら目頭が熱くなり、ついに決壊してしまった。それをすぐそばのミレーネに見守られているのが恥ずかしくなって、ゼノンは乱暴に目元をぬぐった。


「もう、おなかいっぱいです」


「あら、半分も残った。ロイド食べられる?」


「そりゃあ、いきなりたくさんは食べられないよな。消化に悪い。残りはもらおう」


「あの」


「ん?」


「どうかしたか?」


「ありがとう、ございます」


 その言葉にロイドとミレーネは顔を見合わせ、微笑んだ。

 食事が終わるとロイドが皿を片付けて部屋を去り、ミレーネがゼノンのベッドをゆっくりたたいて寝かしつけた。ゼノンはこのまま寝てしまったら二度と目が覚めないような気がしたが、それでもいいやと意識を手放した。






 ゼノンはまどろみの海に沈んだ。そこは深く暗かった。体が浮き上がり始めると、夢の中に光と声が届くようになった。


「姉ちゃん、ごめん……死んじゃいやだ」


 夢の中のリラは、河原で綺麗な石を見つけた時みたいな、花のような笑顔をしていた。どうか、その笑顔のままでいてほしいとゼノンは願った。その願いむなしく、リラの笑顔はおぼろになり、ゼノンを逃す時に見せた悲痛な表情がだぶつく。


 生きるためには、幼くして無邪気さを捨て、貪欲の泥にまみれなければならなかった。一輪の花が咲き続けるには、この大地は厳しすぎた。子供らしさとは無邪気にふるまうことではない。明日の糧を得るため、大人から同情を誘うための道具だった。


 夢から覚めた時、ゼノンが今まで見たことのない、慈しむような笑顔をしたリラがいた。見覚えのある丈の合わないエプロンドレスを着て、ベッドの隣の椅子に座っている。


「姉ちゃん……?」


 リラは手桶(ておけ)のぬるま湯に(ひた)した布を絞り、ゼノンの顔の乾いた涙を()いた。


「生きてたの?」


「ごめんね、ゼノン……」


「どうして、謝るの? 謝らなくちゃいけないのは、僕なのに」


 すべてを許してしまいそうな、それなのに悲しげな笑顔。ゼノンは、誰かの乗り移ったようなリラの表情に戸惑う。


「あなたのお姉ちゃんは、あなたを守ろうとしたの。だから、ゼノンが生きていてくれて嬉しいんだよ?」


「僕も嬉しい。姉ちゃんが生きててよかった」


 それを聞いたリラがぼろぼろと涙をこぼし始めたため、ゼノンは狼狽(ろうばい)した。


「な、なんで泣くの?」


 リラは泣きながら困ったような笑顔を浮かべ、ゼノンもころころと変わる姉の表情に困ってしまう。


「嬉しいからかな? 悲しいからかも。よくわからない」


「どういうこと?」


「んっとね、ゼノンが生きててくれたことが嬉しいでしょ。それから、ゼノンが言ってくれたことは、きっとリラとしては嬉しいけど、もうリラは生きてないの。それが悲しい。ううん、リラはわたしの中で生きているけど、本当のお姉ちゃんにはなってあげられないから、それが(つら)い」


「……よくわかんない」


「ごめんね、変なこと言って」


「姉ちゃんは、姉ちゃんなの?」


「わたしは……」


 しばらくためらった後、リラはミレーネとして告げることを決めた。


「わたしはリラの姿を借りたミレーネなの」


「天使のお姉さん?」


「うはっ、くすぐったいこと言ってくれるなあ」


 しんみりした空気を破るようにミレーネが奇声をあげた。しばらく身悶えしていると、ゼノンの寂しげな表情に罪悪感がわきあがり、居住まいを正した。


「って、そうだね、そのミレーネ」


「……姉ちゃんは、どこ?」


「……お姉ちゃんは好き?」


「……うん」


「はぐらかしちゃって、ごめんなさい。でも、いつかわたしのことも好きになってほしいな」


 そう言ったリラは白い光に包まれて、ミレーネの姿に変わった。その神秘的な光景に、ゼノンは目を白黒させた。


「それから、ロイドのこともね」


 また呆けてしまったゼノンの意識が帰ってくると、「今の何? 姉ちゃんはミレーネさんだったの? じゃなくて、ミレーネさんはなんなの?」と質問攻めを受けたので、ミレーネは「リラの魂がゼノンを助け出すために自分に宿った」という説明をして、場を収めた。


 ただでさえ疲労した体で、知らない人間と話し続けて緊張したせいだろう。一通りの質問が終わると、ゼノンは再び空気が抜けたように寝入ってしまった。その寝顔を眺めながら、子供はかわいいなあと頬が緩む。ミレーネは小さいころの弟を思い出していた。


「さて」


 ここからが大変だ。やらなければならないことが山積みである。

 ミレーネは立ち上がると、顔を両手で叩いて気を引き締め、部屋を出た。

 居間には荷物の整理を行うロイドがいる。

 はずだったが、当人はテーブルに突っ伏して寝ていた。

 倒れるのも無理はない。冬の深夜の道を駆けずり回って、ヒギンズと戦って、ミレーネの長話を聞いて。泣きじゃくるミレーネをなだめて、ゼノンを背負って家まで帰ってきた。


 おつかれさま。それから、


「いつもありがとう」


 ミレーネはロイドの肩に毛布を掛けると、大きなあくびをして、ゼノンのいる寝室へ静かに戻った。



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