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妙薬はホムンクルス  作者: 滝田利宇
第一章
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自我の代償


 ミレーネは自分の中の少女の記憶を頼りに、ゆっくりと説明した。

 リラという少女がミレーネの中にいること。リラもまたホムンクルスの実験の犠牲者で、その子の記憶を受け継いでいるからこそ説明できるのだということ。ロイドは怪訝な顔をしたが、ミレーネの語り口は真剣そのものだ。なんとか受け入れようと、言葉を飲み込んだ。



 オバドズという魔術師が行った素体狩り。それを依頼したヒギンズ。リラは貧民街には稀有な高位の魔力保持者だった。そして、実験は「成功」した。殺人道具と化したリラは、ミレーネの体を受け入れるために、大量の純魔力を必要とした。ホムンクルスの能力の一つ――ヒギンズは『魔術師の恒久的な無効化』と言ったが、それは人間の体内から純魔力を抜き取ることだった。魔力の核とも呼べるものを失い、王都の魔術師たちは生き残ったとしても、彼らはもはや魔法を使えない。魔術師生命は絶たれたも同然だ。

 リラに気づいた人間は最適な手段で殺された。

 リラの虐殺で王宮には死体と「抜け殻」の山が累々と築かれ、今頃は恐慌状態だが、これだけの惨事だ。すぐに捜索の手が城下に伸びる。リラの魔手から逃れたオバドズ一派が密告するだろう。そうなれば、ヒギンズはもちろん、彼と関わりのある人間すべてに嫌疑がかけられる。もしかすると、ホムンクルスの完成にミレーネを使うことを知るものが生きているかもしれない。自分たちが見つかるのは時間の問題だ。

 なお、ヒギンズがリラに直接語ったところによれば、ホムンクルスは将来の可能性と肉体的な充実の両者が調和のとれた外見年齢で完成するらしい。つまり、赤子でも大人でもない、今のミレーネの姿のことだ。

 ロイドは終始黙って聞いた。


「最後に、ホムンクルスの能力の片鱗を見せてあげる。――ロイドは、わたしがどんな姿になっても、わたしだと信じてくれる?」


 問われた真意に理解が追い付かずとも、ロイドの答えに迷いはない。


「信じる」


 ミレーネはふっと微笑むと、もう一人の自分の姿を思い描いた。なぜだかできるという確信があった。昨晩の不気味な感覚はなかった。少女のミレーネの体が白い光に包まれ、さらに小柄な少女の形に収斂(しゅうれん)していく。するりと肩から毛布が落ちた。ロイドの前には、赤みがかった髪に緑色の目をした少女が立っていた。痛々しいほど痩せている。


「……っ」


「ロイド、わたしだよ」


 初めて聞く可愛らしい声だが、彼女の話し方はミレーネのものだった。


「……さすがに驚いた。さっきから驚きすぎて心臓に悪い」


 ロイドはリラの浮き出たあばら骨から目をそらし、毛布を掛け直してやった。


「ん、それはごめん」

「謝ることじゃない。その子がリラか?」

「うん。記憶はあるけど、本物のリラにはなれないみたい。中身はわたしのままだからよろしく」

「よろしく、なのか。まあいい、よろしく」

「それでは、続きまして、乙女が大人になる瞬間をご覧あれ」


 わけのわからない状況でも、ようやくいつもの軽い調子が戻ってきた。そして目の前に現れた、二十五歳の見慣れた妻の姿に、ロイドは大きく安堵のため息を漏らした。


「なんていうか、すごいな、それ」

「他人事じゃないけど、すごい……ね。……あっ」


 みるみるうちに泣きそうな顔になるミレーネにロイドは動揺する。


「ど、どうした」


 どうして今まで忘れられていたのか、ミレーネは自分の正気を疑った。その絶望的な事実に遅まきながら気が付いたが、それはこの暗い地下室で目覚めた時には手遅れだった。


「あ、赤ちゃん……」


「っ!? ……ちょっといいか」


 ロイドはミレーネの腹を触るが、なだらかにあった膨らみがへこんでいる。

 同じ体を分かち合っていたミレーネには、痛いほどにわかる。まがうはずもない。胎の中の生命(いのち)灯火(ともしび)は消えていた。しばらく呆然としていたが、いつしか大きく開いた目からは涙がこぼれていた。


「ミレーネ……」


 ロイドはミレーネの背に腕を回し、頭をゆっくり撫でた。


「うっ……んひっ」


 腕の中で肩を震わせしゃくりあげるミレーネ。熱い息遣いが、ロイドの耳に触れる。いつも気丈な彼女が、今はロイドの腕の中で壊れてしまいそうなくらい弱々しくて、ただいつもよりゆっくり頭を撫でてやることしかできなかった。


「……んっ…………ふっ」


「……」


 ひどく長い時間が流れた。すすり泣く音がこだましては、やがてひんやりした石の壁に染み込んでいった。


「……ロイド」


「……ん?」


「あの子は、たぶん、わたしを守ってくれたんだと、思う。ひげもじゃが、リラって子もそうだったように、わたしの自我は失われるはずとか、記憶が、って言ってたけど、んっ、……わたしは生きてる。……わたしが次の子を産めたら、あの子はこれから生まれてくる兄弟全員、守ったんだよ」


 ぐすっと鼻をすすり、手の甲で涙をぬぐう。喉を詰まらせながらも、ミレーネは続ける。


「だから、悲しんじゃいけない。……ううん、悲しいけど、今はダメ。あの子の分も生きなくちゃいけない。ホムンクルスになっちゃったから、死ねるのか、よくわからないけど、あの子にもらった命だから。……想像したくもないけど、リラみたいに自分の意思をねじ曲げられて、他の命を奪うだけの化け物になっていたらさ。そういう意味でも、あの子はたくさんの命を救ったんだよ」


「……わが子ながら、偉大だな」

「わたしとあなたの子供だよ?」

「そうだな」

「今度お墓作ってあげようね」

「ああ……」


 ロイドはミレーネの背中を優しくさすりながら、泣き止むのを待った。


「外はそろそろ明け方だ。雪が降りそうなぐらい寒い。いったん家に帰って、体を温めよう」


「……そういえば、どうしてここがわかったの?」

「確かな手がかりじゃないんだ。ミレーネの枕元にいろんな鉱物が転がっていた。その中に辰砂(しんしゃ)の原石もあって、あれを持っている錬金術師はヒギンズしか知らない。それと、昔からあいつはミレーネに興味があったみたいだからな。工房の場所は以前訪ねて知っていた」


「今の話で思い出した。その原石、リラが置いたんだ」

「本当か?」

「うん、間違いない。リラが眠ってるわたしをさらう時」

「それじゃ、リラは――」

「ロイドをわたしのところに導いてくれた」

「リラもミレーネを守ったんだな」

「うん……」


 薄れゆく自我のどこかで、彼女は戦ったのだろうか。ミレーネの記憶にあるリラのまなざしには、幸せそうに眠る自分とロイドが映っていた。リラが何を思ったのか、その感情までは思い出せない。ただ事実として、ヒギンズの(めい)に抗った。ロイドは殺さず、彼を導く印を残した。

 奇跡と呼ぶべきか。一度も話すことができず、これからも決して話すことのかなわない二人が、ミレーネを救った。今度はミレーネの番だ。ミレーネはロイドの手を取った。


「東門の方に行くよ」











 少年は、どんよりとした寒空の下、目を開けた。

 空気が重たい。それなのに、風が吹くと刺すように冷たい。住んでいるのは、隙間だらけのあばら家。隙間どころか、木壁が一面はがれている。粘土でふさげる穴ではない。この素敵な窓のおかげで、この町で一番早く、家に居ながら太陽が拝める。

 まだ日は出ていないが、寒さと空腹で目が覚めてしまった。同時に、寒さが眠気を催す。今眠ったら、次は目を覚ませるだろうか。まずい。日が昇ってからが稼ぎ時なのに、体が動いてくれない。


「おめえ、体は資本だぜ。豚なら食ってよし、売ってよし、体が丸ごと資本だが、人は働くしかねえ。働かざる者、飲むべからずだ」


 つばを飛ばしながら壊れた酒樽を蹴飛ばす、いかつい男がいたのを思い出す。


 泣くもんか。少年は、泣き笑いしているような雲を見上げた。涙を流す水分や体力すら惜しかった。目ヤニで目の周りは汚れた。

 少年は、灰色の空をにらむ。雨か雪か、降るか降らないか、はっきりしない。体が動くか動かないか、生きるか死ぬか、はっきりしない。

 あれから二十日は経った。姉は帰ってこない。同じように連れ去られた人も一人として帰ってこない。唯一の生き残りとなってしまった。誰も来ない。第一、こんな石壁の迷路を誰が好き好んでやってくるのだろう。

 そう確信していたからこそ、少年は目を疑った。こちらに向かってくる人がいた。しかも、自分を見つけると、白い息を吐きながら走ってきた。ごみ溜めには似合わないまぶしい人だった。少年は、これはきっと夢だと、ぼんやりと沈みかける思考で納得した。最期に天使のお迎えだなんてベタだなあ、と目を閉じた。


「ゼノン!」


 女の人の声がした。そして柔らかくて温かい何かに包まれた。頬を細いものがくすぐり、初めて嗅ぐ匂いがした。不思議と落ち着く香りだった。目をゆっくり開けても何も見えない。


「ゼノンだね……? こんなに冷たくなって……」


 答えようにものどに薄い膜が張り付いたように声が出ない。


「生きてはいるようだな。間に合ってよかった。けど、だいぶ衰弱している。早く家まで運ぼう」


 今度は男の人の声がした。ゼノンは会話を吟味することなく、なすがままになることを決めていた。どうせ抗う力も残っていない。目を閉じて快い温もりに身をゆだねていると、その温もりが離れていった。


「毛布ちょうだい」

「はいよ」

「あ、ほかほか」

「このための焼き石を作ってたんだな。準備がいい」

「帰ったら作戦会議するよ」

「おう」


 ゼノンは道中で一度目を覚まし、またすぐ眠りに落ちた。

 温かい毛布にくるまれ、大きな背中におんぶされているのを感じながら。



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