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妙薬はホムンクルス  作者: 滝田利宇
第一章
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王都の悪夢


 ある昼下がり。

 広場の噴水に座りパンをかじるヒギンズに、通りがかりのロイドが話しかけた。


 ヒギンズが珍しく名前を覚えた学生だ。何しろヒギンズの論文を読破してくれたのだから。それだけでなくロイドには、何十年も前にヒギンズと共に錬金術を学んだ弟弟子の面影があった。その弟子は遠い異郷の地で、もし存命ならば、今日も錬金術のことを考えているはずだ。


 そのロイドの後ろから、彼の背中にちょうど隠れるくらいの女性が姿を見せた。

 ヒギンズは衝撃を受けた。

 (しこう)して確信した。彼女こそふさわしいと。


 手に触れずとも柔らかとわかる、肩にかかる金の髪。それは、純金よりも尊い。

 人目を惹きつけてやまないだろう、つややかな白の肌。それは、真珠よりも眩しい。

 見る者の心まで見透かすような、叡智をたたえた青の瞳。それは、賢者の石より深い。

 きっと彼女は美の女神たちの加護を受けられない。過ぎた寵愛が一転、嫉妬に変わるに違いないから。


 (しか)るにヒギンズの鈍く光る目は、色狂いのそれではなく、最高の素材を見極めるためのものだ。ヒギンズは全身を目として、ミレーネを感じた。


 長年、鉱石をにらみ、触り、砕き、嗅ぎわけ、混ぜ合わせた。炉に入れ、変化を見て取り出した。それを金床に載せて、打ちこみ、魔力を流して、さらなる変化を観察した。彼の特異な研鑽が、魔力の質に対する鋭敏な感覚を磨いた。


 これほど調和のとれた魔力は感じたことがなかった。――純粋な魔力、これまでそれはヒギンズの空想の域を出なかった。それが彼女の体の隅々まで巡っている。


 喜びに打ち震えそうになる体をおさえ、無表情の仮面を何枚も重ねる。

 ホムンクルスの完成を彼女に見出した。

 誰にも聞こえない声でヒギンズはつぶやいた。


「完璧だ……」






 まったくの無反応のヒギンズに、ロイドたちは困った。

 ミレーネがあいさつをしても無反応。

 ロイドがヒギンズの目の前で手を振っても無反応。

 ミレーネが「あの、パン落ちてますよ?」と声をかけても無反応。

 ロイドがパンを拾い、勝手にちぎってハトにあげても無反応。


「えっと、それじゃあ、俺たち用事があるので、失礼しますね」


 調子に乗りすぎたのが空恐ろしくなってきたロイドは逃げることにした。

 しばらく歩いてから、ミレーネがロイドのわきをつつく。


「ねえ、あのおじちゃんというか、おじいちゃん先生大丈夫?」

「ああ、たぶん生きてる」

「口のまわりひげもじゃだけど、窒息しない?」

「……それはない」



 後日ロイドと再会したヒギンズは開口一番に頼んだ。

「あの娘の髪をくれ」

「お断りします」












 それからというもの、ヒギンズは寝食を忘れ、ホムンクルスの研究の総仕上げにかかった。この八年で、もはや誰にも到達しえない高みへ手をかけたと自負していた。


 ヒギンズは魔術学院地下の隠し部屋へ足を踏み入れた。

 そこには、白いローブをまとう太った男がいた。男の名はオバドズといった。


 オバドズの左手には見せつけるように大きなアメジストの指輪がはめられている。アメジストは、西方では「司教の石」と崇められ、知性と洞察力を高めるとされる。高級な絹のローブは金糸で袖口を縁取られ、背には宮廷魔術師の紋章が赤で染め抜かれている。その豪華な装い自体が、腹の肉を貫禄らしきものに化けさせる、ある種の魔術だ。


 ヒギンズは、豚に説教していた酔っ払いのことを思い出す。「おめえもいい服着りゃあ権力者になれるぜ。オスなら間違いねえ」


 薄暗い部屋の中央には、巨大な鳥籠が置かれていた。その籠の中で、十になるぐらいの少女が裸で死んだように横たわっていた。


「カラスになれ」


 オバドズが命じた途端、少女はふらふらと立ち上がる。少女の肉体が水銀のように銀色に溶けだし、完全に形が崩れた。それがうごめきながら次第に造形を始める。少女だったものは、最終的にカラスに姿を変えた。


「元に戻れ」


 今度は瞬く間にカラスが少女に戻る。


「来たか、ヒギンズ。実に面白いな、これは。確かに『当たり』だ。切り裂いても死なず、動物に姿を変え、わたしの思うままに動き、魔術の素養もあるときた。あらかた貧民街のゴミは根絶やしになったが、ホムンクルスとやらの素体集めはどうする。まだ第六教区と市壁外はあまりに遠くて手を付けてないぞ」


 部屋のお片づけをしたら、おもちゃが出るかな。そのような感覚で言ってのけるオバドズ。

ヒギンズが今日、ロイドに薬材を融通したのと大して変わらない。オバドズはヒギンズに「素材」を提供し、ヒギンズは「試供品」を使わせてやっている。


 オバドズは左手の指輪をさすりながら、皮算用をしていた。

 貧民街の住民が駆逐されれば王都の治安対策になる。さらに、ヒギンズの創りあげた人形は己の欲を満たすのにうってつけ。これから人形を完成させてくれるそうなので、それを待ってから完全に奪う。〈影〉を使って、ヒギンズと長官の口を封じ、完成体と血の盟約なりを交わせばいいだろう。それが利かない可能性がある。支配権が完全に譲渡されるために、ヒギンズにはしばらく生きていてもらった方が望ましい。そしてオバドズは二つの力を手にする。宮廷魔術庁長官の座と、錬金の極意だ。それらが同時に手に入ることをオバドズは疑わなかった。


「素体集めならば」

「ああ、待て。まだしゃべるな」


 オバドズは一見して革製の首輪をぞんざいに取り上げ、それをヒギンズに放り投げた。首輪の喉元にあたる部分には、闇色の石がはめ込まれている。持ち主の問いに嘘をつけば首が閉まるといわれる、呪われた拷問具の一つだ。それを持って逃げれば、この部屋の出口の〈影〉が逃亡者を襲う。


 さまざまな拷器(ごうき)に染みついた呪いが、暗黒の兵として具現化した。

〈影〉とは、この部屋から持ち出されないよう命じられた呪いの兵士たちだ。

 オバドズは〈影〉を使役することに成功していた。


 ヒギンズはためらいなく首輪を付け、答える。


「素体はもう必要ない。適正者がそれだ」

「完成体はいつできる」

「最低で一週間後だ」

「お前の言った材料はすべてそろったのだろう? なぜ今すぐできない」

「あなたの遊び過ぎだ。ホムンクルスはそう死にはしないが、疲労はする。反応が鈍っていただろう。回復するまでしばらく待ってから使う」


 嘘ではないとわかる批判に、オバドズの顔が憎々しげに歪む。


「わかった。わたしも控えよう。それで、完成体の生贄と核はここに運ぶのか?」


 表現を正したくなるが、ヒギンズはこらえた。


「運ばずともよい。王都の中にさえいればな。手はずは整っているから無用な心配だ」

「完成体は何ができる」

「人知を超えた魔法の行使」


 それを聞いたオバドズがでっぷりとした腹を揺らして哄笑する。


「何度聞いても素晴らしい! ――といいたいところだが、何を隠している」

「…………」


 沈黙が首を絞めることはない。聞かれたことだけ答え、豚を満足させればよい。


「質問を変えよう。あの鞭を使われたくなかったら、速やかに答えることだ。ほかにできるようになることはあるか」

「ある」

「すべて答えろ」

「敵対する魔術師の恒久的な無効化。そして、支配者には永遠の命を約束する」

「ハッ、素晴らしい! 素晴らしいぞ! わたしが持つにふさわしい! ……成功の暁には、お前に副長官の座でもなんでもくれてやろう」

「その成功を盤石なものにするために、今一度準備が必要だ。そろそろよろしいか?」

「ふん、首輪は外してもよいぞ。せいぜい励めよ」


 そう言って部屋を出るオバドズに、ヒギンズは(くら)いまなざしを向けた。オバドズが退出するのを見届け、胸にたまった感情を吐きだした。


「愚かしい。お前は弟弟子の中でも、愚か者だったな」


 オバドズは教団に属しながら世俗への執着を身上とし、抜きんでた才があるとすれば、自らを高く売り込み他者を蹴落とすためのずるがしこさだった。それを彼の知略や向上の意欲と認めてやらなければ、何も美点の残らない男だ。


 ヒギンズの言葉に偽りはなくとも、真実でもない。虚と実の境はあいまいで深遠。何度となくあったこうしたやりとりの中で、オバドズはついにその違いを見抜くことはできなかった。権力への服従の首輪。これが彼の首を絞めた。






 一週間後の夜、オバドズの寝室の扉をたたく者がいた。


「入れ」


 しかし(こた)えはなく、再び扉をたたく音がする。仕方なくオバドズは立ち上がった。


「なんだというのだ。……誰もおらんではないか」


 一匹のネズミが足元を駆け抜けたが、彼が気付くことはなかった。


 一夜明けて、城内は騒然となる。オバドズを含む魔術師多数と警邏(けいら)の衛士、侍女ら合わせて八十名余りが死亡。ある者は頭をかみ砕かれ、背中や首筋に大きな獣の爪痕(つめあと)があった。ある者は口に物を詰め込まれ、目が潰された。そして死んだ者の体のどこかには、ヘビの咬傷(こうしょう)があり、中には皮膚が黒ずんだ砒素(ひそ)中毒者もいた。


 特に魔術師の被害が甚大で、魔法騎士団ならびに魔術関係機関は壊滅。奇怪なのは、数少ない生き残った魔術師はみな魔力を根こそぎ失っていたことだ。これにより、魔力の残滓を探る魔法を使えるものはいなくなった。不審な人影の証言もない。まずもって人か獣かもわからない。多様な殺し方に謎の魔力喪失。比較的冷静な指導者は、敵国と内応するものや魔術師に私怨を抱く向きの洗い出しを指示したが、犯人については荒唐無稽な憶測が城内に飛び交った。まずは大戦の犠牲になった魔術師の霊の怒りに触れたとうわさされた。霊というつかみどころのなさがいらぬ恐怖をあおるので、次に〈不滅の奇術師〉の再来がささやかれた。広い地域で伝え聞く古の奇術師であるが、それが通った後には人が霧のように掻き消えるとされているから、今回の犯行とは事後の態様が明らかに異なる。その奇術師にしろまともに対面したものが残らないというから、名も姿も伝わっていない。


 とにもかくにも犯人の特定は困難を極めることが予想された。




 そして城下では、さらに一人の女性が姿を消した。


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