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妙薬はホムンクルス  作者: 滝田利宇
第一章
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錬金術師ヒギンズ


 王都魔術学院では、二年間の基礎魔術課程ののち、さらに二年の応用魔術課程を経て、三年間の職業訓練ならびに研究室所属のための期間が設けられている。名目は職業訓練だが、実態は魔術学院や魔法騎士団、王侯貴族、有力領主らによる囲い込みのことだ。生徒の仕官希望先とほぼ一致するために、卒業生のほとんどがこの枠内に収まる。


 庶民のための開業医を志すロイドは例外といえる。

 母を救う機会すら得られなかったロイドは、他を圧する力よりも、癒す力を求めた。


 既存の魔法に限界を感じたロイドは、鉱物学、薬草学に始まり、生物学、物理学、論理学、代数学、洋の東西を問わぬ医学に関する文献を渉猟(しょうりょう)し、自ら調合した薬を携え、学院に数ある研究室の門戸をたたいた。その道のりは険しかったが、まだまだ入り口に立ったばかり。若輩だと常に自覚している。

 いろいろな分野の教授に目にかけてもらい、魔術学院での後半三年間は充実した日々だった。

卒業を控えた年になって、新任のヒギンズに出会った。師事したのは一年に満たないが、それからも細々と彼とのつきあいは続く。




 卒業した翌々年、ロイドはミレーネと結婚した。

結婚式は盛大に行われた。式場では、むさくるしい男が豚の串焼き片手に闊歩していた。彼の姿は、皆の目にとまっただろう。


 その男ラッセルはミレーネの筋の親類で、酒造業を営む。筋骨隆々の大男だ。見た目そのままの豪放な性格をしている。


 ラッセルは二人が間借りしていた家の管理人でもあり、その家をそのまま贈与してくれた。生前処分の理由は「婚姻祝いだ!」の一点張り。それはありがたいのだが、酒が入ると饒舌(じょうぜつ)になり、やたらとロイドに絡んでくるのが困り者だ。


「どうせ俺にはせがれもおらん。俺が死んだらロイドの坊主に相続させてやるつもりだったしちょうどいい! 俺の葬式の前祝いと思ってもらっても構わんぞ!」


「ラッセルさん、葬式はお祝いするものじゃありませんよ」


「うるさい男が一人消えりゃあ、めでてえに決まってんだろ」


「うるさい自覚はあったんですね」


「言うようになったじゃねえか。そうだ、ロイ坊。べっぴんさんが略奪されんように家では大事にしろよ! 気ぃつけねえと、狼どもがたかるぜ!」


 およそ公の席でふさわしくないことを大声でのたまうラッセルに、ミレーネは耳まで赤くした。






 新居を薬局も兼ねられるように改築し、造園のために土地を買って庭を拡張した。そこで育てたハーブは薬になる。

 開業したての頃は、慣れないことばかりであわただしく月日が過ぎた。


 ミレーネは子供を産んでいない。

 ここ数年は落ち着いた生活とは程遠かった。経済的にも余裕があったとは言えない。ロイドの母のこともあるし、慎重になっても仕方がない。自分に心労をかけまいと気遣う彼の思いを汲んで、ミレーネは辛抱強く待った。


 ロイドが二十八、ミレーネが二十五を数える年のことだ。

 ようやく彼女は子供をみごもった。そのことがわかったときのミレーネはうれしさのあまり跳び上がり、ロイドに怒られた。そして、生まれて初めて嬉し泣きを知った。恥ずかしくて涙をこらえながら、ロイドと抱き合った。






 寒風吹きすさぶ初冬。

 曇った空からはいささかも太陽の恵みにあずかれず、昼間だというのに部屋の中はうすら寒い。

 赤レンガで組まれた暖炉では小さな火がはぜる。


 居間の奥から来客のベルが鳴り、しばらくしてゆったりした足音が聞こえてきた。

 ミレーネが居間に顔をのぞかせた。最近できた腹の膨らみは、厚着した服の上からはわかりにくい。


「ヒギンズ先生がいらっしゃったわよー」


「ああ、ごめん。今行く」


「わかった」と答えるつもりが、ロイドは謝罪の言葉を口にしていた。本に集中するあまり、ミレーネを歩かせてしまった。つわりもおさまったというし、健康面で問題はないはずだが、やはり気になってしまう。出産に関してはロイドも門外漢だ。本番は産婆に頼るしかない。


 先月、絶対安静だとロイドは主張した。それに対し、わたしも店番ぐらいできるとミレーネは言ってきかなかった。だが、胎児を思っての話し合いが大喧嘩に発展しては元も子もない。けっきょくなるべく椅子に座っていてもらうことを条件に、ロイドがしぶしぶ折れた。


 ロイドは金縁の丸眼鏡をはずし、目頭をもんでため息を吐いた。後ろで結わえた黒っぽい茶髪を乱暴になでつける。手を開いたとき「あ、若白髪」というまぬけな声が漏れた。指に絡まった髪をそっと払い落とした。


「……俺、まだ若いよな」


 出産に関する記録をまとめた本にタンジーの葉を挟む。とある神話では、男好きな神様が美少年を捕まえ、不老不死の効能があるとされるタンジーを煎じて飲ませたという。迷惑な話である。しかも真実は、食べて死ぬほどではないにしろ葉は有毒だというのだから、皮肉なものだ。毒と薬は紙一重。使い方次第でどちらにもなるぞ、と説くための寓話というのはうがった見方だろうか。たとえば、タンジーの葉も匂いはきついが虫除けにも使える。ロイドがふざけて「虫除け」の匂い袋をミレーネにあげたら、とても嫌そうな顔をされた。半分は誠意をこめての贈り物だったのだが。


 ロイドは固くなった体をほぐしながら受付へと移動する。


「こんにちは。ヒギンズ先生」


「久しぶりだな。ロイド」


「寒いところをわざわざお越しいただき、ありがとうございます」


「気にするな」


 受付の向かいでは、やせぎすの男が待っていた。炯々と光る眼には、老境に入ることを拒むような迫力がにじむ。無造作に伸びた灰色のひげは完全に口元を覆い隠し、彼の表情はうかがえない。「錬魔術師」を名乗るヒギンズだ。

 今月に入ってめっきり冷え込むと、風邪をこじらせる町民が増えた。

 ロイドが薬師の仕事にかかりきりになっているところに、学生時代から懇意にしてもらっているヒギンズから、薬材を融通してもらえることになった。


明礬(みょうばん)とこっちが硼酸(ほうさん)で……」


 ロイドは薄い紙に包まれた粉末を一つ一つ試験薬にそそいだり、結晶を見比べたりしながら、ヒギンズの品が間違いないことを確かめる。互いの目の届くところで確認することで、取引の信頼の証とする。ヒギンズの方が地位も年齢も上だが、取引は対等かつ公正に執り行われなければならない。不義の輩は裁かれる。ましてここは王の膝元だ。監視の目がなくとも、暗黙の了解となっている。ふだんの大口の取引ならば、組合の保証書や立会人がこうした手間を省いてくれる。とはいえ、急ぎの仕入れの時は自分で行う必要がある。


 ロイドの作業の間にミレーネは茶を淹れて、ヒギンズに差し出した。


「温まりますので、よろしかったらどうぞ」


「いただこう」


 ヒギンズは舐めるようにミレーネを眺めてから、茶を受け取った。

 液体とくれば匂いをかいでしまうのは、もはや職業病といえる。

 鼻腔を通る香りはカモミール。飲みやすい温度なのが心憎い。


 ロイドは時折、店の棚やずらりと並ぶ引き戸から何かを取り出しながら、黙々と作業を続ける。途中、青銅製の皿秤(さらばかり)でそれぞれの重さを量っている。この秤も、不正な細工がされていないか、役人が抜き打ちで点検する。


「お待たせしました。確認が終わりました」


 部屋の間取りに意識を奪われていたヒギンズは、ロイドの呼びかけにやや驚くが顔には出さず、思い出したように口を開いた。


「そうだ」


「なんでしょうか?」


「最近手に入れた鉱物なんだが」


 ヒギンズは懐から褐赤色の鉱物を取出し、勘定台に置いた。

 それを手に取り、ロイドは矯めつ眇めつ眺めてから尋ねた。


「これは……?」


「ふむ。君でも扱えんか。辰砂(しんしゃ)という、泰東(たいとう)では消炎や鎮静薬に使うものらしい」


「勉強になります。実物は初めて見ました。こちらもお売りいただけますか?」


「それの代金は構わんよ。実用のめどが立ったら教えてくれ」


 清算を終えるとヒギンズは足早に店を出て行った。


「あ、ひげもじゃ先生におめでたの報告忘れてた」


 コップを片付けながらミレーネはぼやく。


「いいんじゃないのか。する必要ないと思うが」


「いいのかなあ」


「錬金術師も魔術師も変人が多いだろ? 俺たちの恩師でありお得意様として、最低限の礼儀を尽くせばいい」


 過剰な社交辞令は不要とロイドはうそぶく。


「ひげもじゃ先生はそういうの鈍そうだし、最底辺の礼儀でも気にしないかもね」


「錬魔術師」ヒギンズはもっと変と言いたげなミレーネに、「まあな」と返す。


「どうせ『そうか、よかったな』しか言わなかっただろ」


 ロイドはヒギンズの渋い声色をまねてミレーネを笑わせた。


 ロイドのような薬師のほか、鉱石商や、庇護者となる一部の王族・貴族を除けば、一般の町民にとっては、錬金術師も魔術師もあまりかかわり合いにならない類の人間だ。


 そのため、いずれも得体の知れない存在となっている。

 しかし両者の認識のされ方は大きく異なる。


 まず錬金術師といっても、やっていることは金属の精製や合金、加工の技術を探求する冶金(やきん)ばかりなのだが、古来より別の認識が広まっている。

 いわく不老不死の研究を行い、死者をよみがえらせる秘儀を求め、鉛を金に変えようとする外法の徒だとか。


 もちろんそんな怪しげな研究ばかりで、口を過ごすことができるはずもない。まともな社会への寄与があるはずだ。それでも、特定の職分や組織を持たず地下人のようにこもって錬金にあけくれ、時に毒物を生み出す危険な連中であるという事実は否定できない。彼らは今日に至るまで膿んだ腫物のような扱いを受けてきた。


 一方で魔術師はといえば、そのほとんどが宮廷に召し抱えられている。そもそも正式に魔術師と認められるためには、二年間の魔術師見習い期間を含め、七年にわたる魔術学院教育課程を修める必要がある。働き盛りの子女をそれだけ長期に手放せる余裕のある家とは、つまるところ、上流階級に属する。さらに、血統的に強い魔力を持つ子供は高貴な生まれに目立つ。ゆえに、一介の町民が彼らにまみえる機会は少ない。いよいよその神秘性は高まり、一流の魔術師といえばもっぱら神の使いのごとく羨望と崇拝の対象となっている。




 史実にも造詣(ぞうけい)の深い幾何学の権威コレウッドは、ロイドに語った。


「信仰とは、作られるものだ。恣意なき歴史もありえん。だからわたしは幾何学の純粋さに惹かれた」


 平民にも魔力はある。

 そして、魔法を行使するのに十分な魔力を持つ者を「魔力持ち」と呼ぶ。

 多くの一般人は魔法を使えないので、自分を「魔力持ち」ではないと思い込んでいる。

 本当は、自分の魔力が全然ないのか、火を起こすにはちょっと足りないぐらいなのか、はたまた魔法のコツをつかんでいないだけなのか知らないだけだ。


 ミレーネはロイドに教わり、あっさり魔法を習得した。実例を知るロイドはコレウッドの話に真実味を感じた。コレウッドからもらった『魔法史大全』は、紐解(ひもと)くことはあまりないが、今でもロイドの宝物になっている。上下巻に分冊され、片方でも枕に高すぎるほど重厚な一品だ。






 西方で悪魔と契約した者として教会から迫害される「魔力持ち」が、ここアウザ王国では宗教的権威になりかわっている。この矛盾ぶりには、神も悪魔もあったものではない。


 その西方における「魔力持ち」のように忌み嫌われる錬金術師のほとんどは、世間の評価など歯牙にもかけない。彼らの欲望は名誉よりもっと純粋な好奇心に向かっているからだ。


 かつてのヒギンズも、伝説の存在を己が手で生み出さんという夢見がちな若者の一人だった。

「魔力持ち」でありながら宮廷入りを拒み、同じ夢を追いかける仲間とともに今は亡き師を仰いだ。


 師匠の死後、弟子たちは離合集散しながらも、それぞれの道を歩む。

 ある弟子は錬金術師として、ある弟子は魔術師として、夢の続きを追った。またある弟子は、アウザ王国にない術を求めて国を出た。


 弟子の一人だったオバドズは、異例の早さで宮廷魔術庁副長官にまで登りつめた。オバドズの推薦と、『魔力伝導の発現と応用』、『純魔力の不可逆変化の証明』などの論文や錬金術師としての実績により、ヒギンズは王都魔術学院で教壇に立つことになる。


 そこで彼は「精鋭による錬金術」を(うた)い、「錬魔術師」の養成に乗り出す。

 現実問題大半の学生が魔術師を希望し、錬金術はさわりだけ。錬金術と魔術は近接する領域でありながら、職業者としての世間の印象や待遇の差から、錬金を究める「魔力持ち」は少なかった。


 ヒギンズはその空気を嗅いできたからこそ、「魔術師のための錬金術」の魅力を伝えようとしたが、結果は芳しくなかった。真意は伝わらぬまま「言葉遊び」と揶揄された。


 実験棟は毒物の発生を警戒して離れに建つ。そこに閉じこもるヒギンズを訪れる者は少なく、際物感ただよう「錬魔術師」の看板も、人の目を集めることはなかった。


 ヒギンズが師を失ってから二十余年。後ろ盾となる権力の趨勢に巻き込まれやすく、それでなくともひっそりと事故死しかねない錬金術師のことである。同業者の内でも、ほぼ最高齢になった。体にため込んだ毒と老いが、早晩彼の命を奪うだろう。


 職業柄という事情に加え、(つち)をふるう腕にも衰えを感じる年になり、ヒギンズは異性に特別な感情を向けることはもうないだろうとあきらめていた。






 八年前、ミレーネに出会うまでは。


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