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ミレーネとロイド


 質素な作りの木の机と、椅子が二つ。

 そこに向かい合って座る若い男女が二人。


 簡素な木窓からは春めいた陽気が日の光とともに忍び込み、部屋全体を暖めている。昼食後の眠気と相まって、午睡にしゃれ込みたくなるのどかな空気が流れていた。

 だが、向かい合う二人の表情は真剣だ。机の上には羊皮紙が広げられ、几帳面な文字と複雑な記号で埋め尽くされている。


「どうして魔法で傷は治せないのでしょうか?」


 首をかしげながらミレーネは尋ねた。今は個人授業中。いつものくだけた口調は潜めて、丁寧な聞き方に変えている。

 素朴だが大切な疑問だ。ロイドは今もてる限りの知識をもって答えようと気を引き締めた。


「まず、攻撃のための魔法と、治癒のための魔法の違いは分かる?」


「うーん、相手を害するか癒すか……。あっ、魔力を対象にぶつけるかなじませるかの違い?」


 悩みながらミレーネの首が左右に振られるさまを、ロイドは面白そうに観察していた。


「なかなかいい線いってる。魔力の性質に着目すると?」


「たとえば火を出すなら、自分の魔力を体外への現象に変換しますよね」


「一歩近づいた」


「それに対して傷口をふさぐには、魔力を体内に集める?」


「おお、一歩遠のいた」


「えー!? ……わかりません。さっきからニヤニヤしてないで教えてください」


 ミレーネが頬を膨らませうらめしがる。

 そんなにニヤついていたのかと頬を押さえながら、ロイドは助け舟を送ることにした。


「魔力には個性がある」


 その一言でミレーネの曇った顔にパッと光がさした。


「そっか! 自分の魔力そのままだと、他人の体に注げない。なので、いったん他人の魔力と同質に変換する必要があるけど、魔力には個性がある。その性質上、他人の魔力には変換できない。だから自分の魔力を使って他人の傷は治せない。ということですね」


「そういうふうに説明されるね。一般的には」


「違うんですか? 自分の魔力を使って自己治癒できることと矛盾しませんよ」


「いい指摘だ。さっきの説明で『自分の傷は治せるが、他人の傷は治せない』理由としては正しい。もっとも、自己治癒できる魔術師なんて神職の一握りだけらしいが。ともかく、この題目はもう少し根が深い。ここからは俺の憶測になるけど、聞くか?」


「聞きたいです」


 憶測になるけど、と聞こえた時点でミレーネは即答していた。


「憶測といっても、俺以外にも同じような有力説を唱える教授もいるし、かなり真実に近いと思っている。と、前置きはここまでにして、話は簡単。さっき言ったように、保有する魔力の質とか性格は個々人によって異なる。個性ある魔力、いわば色つきの魔力だ」


「色つき……」


「もちろん目に見える色じゃない。たとえだ。そして色がない純粋な魔力――無色透明な魔力があるんだ」


「え、どこに?」


 ミレーネは思わず素で返してしまうが、気にせずにロイドは続ける。

「ここに」そういって、自分の胸元を指さす。


「俺たちはもともと純粋な魔力を備えている。ただそれが、体内の魔力を使おうと意識化した時点か、体外に魔力を放出した時点かは不明だが、個性ある魔力に変わる。魔法を使おうと思ったら、どうしても色つき魔力になってしまう」


 ふむふむ、とミレーネが真剣な表情で相づちを打つ。その好奇心を隠そうともしない無垢な姿に、ロイドの頬は自然とゆるんだ。こんな生徒がいてくれるなら、本物の先生になるのも悪くないかもしれない。


 それよりも、同じ生徒として、ミレーネと一緒に魔術学院で学べたらどうだろうか。


 ロイドは何度も夢想した。そうはいっても、いまさら学院で机を並べることはないのだし、むしろこうして二人きりでいられる方が良いのかもしれない。めんどうな連中に言い寄られるミレーネの姿なら、想像に難くない。などと、明後日に飛んでいく思考を無理やり引き戻し、ロイドは一つ咳払(せきばら)いをした。


「重要なのは、その、なんだ、色つき魔力は無色に戻せない、ということなんだ。つまり、水が高いところから低いところへ流れるように、魔力も、純粋なもの、個性を帯びたもの、魔法の結果の現象、最後には大気や大地に溶け込む形で消滅、という一連の流れには逆らえない。一方向のみにしか変換がきかない。これは自然界でよくみられる法則の一つだ。くどいが、高温の湯が何も手を加えなくても低温の水になるという事象一つとっても、似ていると思わないか? ――何か言いたそうだな。では、以上概説は終わり。質問があったらどうぞ」


 最後の方は一気に話し終えると、ロイドはふぅ、とため息をついた。ミレーネがあごに手をやり何やら腑に落ちない様子を見て、理解してもらえただろうかと心配になる。

 ミレーネの青い瞳がどぎまぎするロイドをとらえた。茶色の瞳が不安げに揺れた。


「説明が長すぎ。要約すると、高次の純魔力は低次の魔力に流れて、体外で拡散するってことだよね。ねえ、ロイド。純粋な魔力ってのを措定(そてい)するのはいいけど、判断材料が少なすぎて反証のしようがないじゃない」


 どこで覚えたそんな言葉、いつの間にか素に戻ってやがる、そして渾身の説明を長過ぎるとは何事だ等々(などなど)、内心舌打ちしたい気分になりながら、ロイドは苦笑する。


「だから憶測だって言ったじゃないか。仮説と呼ぶには穴だらけだよ。新たな発見がなければ、真実には届かない。永遠の謎のまま」


「それを解き明かすのがロイド?」


「実をいうと、この手の論文を読んでみたんだけど、いまいちわからなかった」


 ロイドに言わせれば、やたらと古代の哲学をひっぱり出したあげく、修辞法にこだわりすぎて文章が詩的なせいで、読みにくいことこの上ない。


「それに謎を解き明かすのは、あくまで手段だ。俺の目的は、知ってるだろ? 死ぬまで解けない謎と向き合う暇があるなら、もっと具体的に、目の前で苦しむ患者を救いたい」


「立派だね、ロイドは。いつかわたしが届かない人になりそう」


「謙遜は時に嫌味だ」


「魔術課程を規程の半分の二年ですっ飛ばすお方が、何をおっしゃいますやら」


「周りのお貴族様方が、社交と称してお遊びなさっているだけでございます」


 ロイドの家の中なら、過剰な敬語で皮肉も言い合える。

 学費をためるのに時間がかかり、通常の三年遅れの十六歳で入学。ロイドの周りは年下ばかりで、もとからやや高い背のせいで頭一つか二つ分突き抜け、入学当初から居心地の悪さを感じていた。貴族連中と絡むつもりもなく、平民出身の友人をつくっても飛び級後には会わなくなる。そのぶんロイドより三つ年下でも、打てば響く受け答えが期待できるミレーネは、特別な存在だ。


「ミレーネなら、奨学金かすめて飛び級も狙える」


「わたしはいいの。家の手伝いがあるし、たまにロイドの話聞けるだけで十分だよ」


 本気の提案ではないが、ミレーネのいつもの言葉に安堵している。

 ロイドはミレーネを持ち上げたが、あながち大げさではない。


 魔術学院では、当然実技がある。試験前にはどの生徒も、尻に火がついたように呪文を頭に詰め込む。

 しかし呪文の暗唱よりも、こめる魔力の調整の方がはるかに難しい。呪文を空で唱えて見せて一人前の魔術師を気取る青い生徒がたまにいるが、もれなく実技試験で洗礼を受ける。


 上級生からの嘲笑交じりの忠告を甘んじて聞き入れずに、練習に手を抜く。

 するとどうなるか。

 やかんのように顔を赤くしながら呪文を何度も延々唱え直し、ようやく使い物になるかならないかの、クルミ大の火を指先につけたり消したりすることになる。

 指じゃなくて顔から火が出てるぞ、とはやしたてられ赤っ恥をかくわけだ。


 ところが、ミレーネは呪文を必要としない。

 それだけでなく、魔力の扱いの才もずば抜けている。

 一つ一つの魔法は弱いが、まるで自分の手足のように使う。


 火打ち道具をかち合わせるより早く薪に火をつけられるし、ぬるい水のグラスがトレーからテーブルに移る間に氷を浮かべられる。ほうきに風をまとわせて掃除ができるし、雨の日に温風を洗濯物に当てることもできる。


 王室の侍女長ならこのくらい余裕だろうか。

 そうロイドは適当に考えるが、実際のところは知らない。


 火力はないが、家事に万能。魔力を武力と直結させがちな魔法騎士団が聞いたら眉をひそめるかもしれない。彼らは脆弱な魔法には価値がないと思っている。ミレーネの魔力の使い方はそれとは対照的に、ともかく器用で繊細で迅速だ。頭は回るし、魔法でいたずら勝負を挑まれたらロイドも勝てない。


 いたずらといえば、害意を感じさせないさじ加減でもミレーネがうわてだ。庭の木の実を風でかっさらったことをロイドが怒ろうとしたら、焼きたてのパイになって返ってきた。怒るつもりが、ロイドはいつのまにか礼を述べさせられていた。それでも木の実は半分しか返ってこなかった。ちゃっかり余りをせしめていたのだ。パイに手を付ける前から、ロイドは目をつぶることにした。


 ミレーネの魔術の非凡さに目を付けたロイドは、魔法の練習はなるべくロイドの家で行うようにミレーネに言いつけた。へたに目立ってほしくなかったからだ。もっとも、その言いつけが守られているかは怪しい。


 黙っていても魔法を使えてしまうのだから、はた目にはわからない。何食わぬ顔であいさつしながらロイドの足元の表面を凍らせてきたことがある。ミレーネの狙い通り、振りむいたロイドは滑って尻もちを打った。


 ちなみに、洗濯物は乾かなかった。どうしても温風がじめじめしてしまうと、心底悔しがっていた。

 










 ロイドの母は病弱で、ロイドを出産後まもなく死んだ。物心つく前から今日まで父と二人暮らし。いつも忙しくしている男二人の家を訪ねて、料亭の味を運んできてくれるミレーネには感謝しつくせない。


 ごく最近の話だが、ロイドが多忙を極めて家を空けがちになった。研究室の泊まり込みや、実技習得のための教師への随伴、先輩薬師のもとへの出入り、王立図書館での資料収集等々、やるべきことが山積した。


 加えてロイドの父は遠方の町へ農場視察。


 これにミレーネの宿屋の繁忙期が重なった時、ほとほと彼女のありがたみを思い知った。まともな食事はとれず、部屋は散らかり放題になった。ロイドは知らないうちにすっかり依存してしまっていた。


 もちろん、こんなことを宿屋の娘たるミレーネが慈善でやっているわけがない。十代半ばにして損得勘定には長けている。きっちり取るものは取る。ミレーネの時間が空いた時の駄賃稼ぎだ。


 こうして一生徒に過ぎないロイドがミレーネに教授するのも、見返りの一つだ。ロイドにとってはそれすら、懐が痛むどころかもらい過ぎなのではと思っていたりする。


「じゃあ、また来るね」


「またな」


 ロイドは胸中の思いをおくびにも出さず、いつも通りミレーネを見送った。


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