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妙薬はホムンクルス  作者: 滝田利宇
第二章
17/17

おなかごろごろ

更新の間隔空きすぎました。しかも尾籠な話で申し訳ありません。


 宿に戻ったミレーネは、簡単な文字の読み書きをゼノンに教えていた。

 文字が書けるようになるだけで、将来の職業選択の可能性は飛躍的に広がる。

 そんなお説教じみたことをくどくどというつもりはないが、ミレーネはゼノンの集中力のなさを残念に思った。ものわかりがいいし、勉学の素質もなかなかあるのでは、と期待していただけに少し落胆した。


  ふと、ミレーネは、ゼノンならやればできる、と早くも親馬鹿になっている自分に気づいて苦笑した。

 今まで勉強なんてろくにできる環境になかったのだから仕方がない。そう思い直し、自分をいさめた。

  勝手に期待して、勝手に失望する。それにはまだ早い。先生気取りで押しつけがましくなっては、いつかのロイドに笑われてしまう。人にものを教えるのが好きなロイドに協力してもらいながら、肩の力を抜いてゆっくり教えていくべきだろう。


 筆記具の片付けの最中に、もう寝たい、と夕方前なのにゼノンがつぶやいた。

 ミレーネは何か引っかかるものを感じながら、羊皮紙をくるくるとたたんだ。

 ベッドにもぐったと思ったら、すぐにゼノンが起きだした。

 ミレーネは、おや、と手を止めた。ゼノンの顔色が悪い。


「大丈夫? お手洗いまで一人で行ける?」


 ゼノンは弱弱しくうなずいて、ふらふらと部屋の外へ出ようとした。しかし部屋を出たところで、急に吐き戻してしまった。

 ミレーネはびっくりした。すぐにベッド下の土壺をひっぱり出して、口を押えたゼノンのそばに駆け寄り、そこに残りを吐かせた。吐き気の波が治まるのを確認して、空いているほうの手を握って下の階の便所まで連れた。

 ゼノンは便器のひどい匂いにもかまわず、そこに顔を突っ込むようにして、荒い呼吸を繰り返した。

 ミレーネがしばらく背中をさすっていると、嘔吐は収まったが、ゼノンの顔色は一層悪い。


「ごめんね、ゼノン。すぐに戻るからね」


 ミレーネが掃除をしようと廊下に出たところで、帰ってきたロイドと鉢合わせた。


「……どうした?」

「ゼノンが吐いた。さっき便所に」

「わかった。ここ頼んでもいいか」

「うん。ゼノン見てあげて」


 胃酸の混じる嘔吐物に〈分解〉の魔法をかけても少し臭いが残る。ミレーネは宿の主人に桶とぼろ雑巾を借りて、手作業と水の魔法で掃除を済ませ、便所へ戻った。ちょうどロイドが出てきた。次にゼノンを襲ったのは下痢だという。


「完全に食中毒だ。昼に何食べた?」

「えっ……と」


 そこでミレーネは言葉を濁した。ゼノンが苦しんでいるのはお前のせいだ、といわれたような気がした。頭が真っ白になって思い出せない。


「そんなに気に病むな。子どもはどうしたって、悪いものにあたりやすい。だんだん免疫ができるようになるまで、こういうこともある」

「うん……」


 少しほっとしながらも、やっぱりゼノンには悪いことをしたみたいだ、とミレーネは決まりが悪くなった。

 ようやく思い出せるようになった昼の食事内容をロイドに明かす。品数の多さについては何もいわれなかった。


「たぶん、というかほぼ牡蠣だ」

「でもわたしゼノンの倍は食べたけど……」

「まあ、それは」


 ミレーネの腹の異常さについてはいろいろと語り草になっている。

〈鋼の胃袋〉と揶揄されるほどやたらと胃が強く、どんなものを食べてもけろっとしている。さらに、その気になれば馬一頭でもたいらげることのできる〈底なしの胃袋〉とあいまって、食べ過ぎと食後の運動による以外の腹痛を経験したことがない。

 これは生まれつきなので、ホムンクルス以前の問題である。


「で、その牡蠣ちゃんと火は通ってたか?」


 ミレーネは答えあぐねる。


「……網焼きで、閉じてた殻が空くぐらいには」

 

 ロイドは顔を上向けてあごひげをぞりぞりと撫でた。


「ネタが最初から傷んでたってこともある。海から離れてる王都だとそもそも新鮮な魚介が出回りにくいが、内地でもココルトぐらい海に近いと半端ものが出回りやすい」

「半端もの?」

「鮮度が半端な魚や貝。あたるかあたらないかは、食べてからのお楽しみ。くじをひくようなもんだな」


 魚ならば、塩や酢に漬け込んだり、燻したりするが、牡蠣にそんな保存方法はない。陸に揚げたら、すみやかに樽などに移して、海水でひたひたにする。魚商人がそれらを買い取り、港町からココルトまで、二日かけて運ぶ。王都はさらに時間がかかる。海から離れるほど値段も高くなるうえ、鮮度の保証はできない。

 鮮度について、やっかいなことがある。牡蠣は日が経って悪くなっても、臭いの変化が少なく、また魚のように目が濁っていないか、うろこの色つやが失われていないかなどで判断できない。

 それでも、海の幸特有のちょっとした物珍しさが手伝って、この危ない誘惑に手を出すものが毎年絶えない。それだけ滋味に富んだ食物であることは確かだし、何も注意すべき食べ物は牡蠣に限らないのだから。


「ともかくゼノンの体調がよくなるまで、二、三日は様子見だ」

「薬は効かない?」


 ロイドは残念そうに首を横に振る。


「飲んでもすぐに吐いてしまう。自然な体力回復を待つほかない」

「なんかもどかしい」

「その気持ちはわかる。でもな、昔から何もしないのが、中くらいにいい治療だっていうんだ。患者からすれば何もしてもらえないのは不安かもしれないし、医者からすれば、手抜きなんじゃないかって不信感を持たれたりするのが怖くもある。だけど、一番の薬は人間の体が本来持ってる、治そうっていう力そのものなんだ。会ったころのゼノンなら危なかったが、今なら体力もついてる。苦しいだろうが、死にはしないから、ミレーネが泣くことはない」

「え?」


 いわれて初めてミレーネは気がついた。目じりをぬぐってみると、たしかに袖口が湿っていた。ミレーネの不思議そうな顔を見たロイドが、どうかしたのか、と尋ねた。


「なんでもない。うん、最近ちょっと涙もろいね。気にしないで」


 ロイドはあいまいにうなずいた。


 その晩から未明にかけては、二人が交替でゼノンの様子を見た。ゼノンがいつ吐き下すかわからないので、便所のそばで待機した。何度かほかの宿泊客に白い目で見られた。

 明け方には、もうゼノンは出すものを出し切って、ベッドでぐったりしていた。ふつうの食事はのどを通らないようなので、水分だけ取らせた。


「ごめんね、ゼノン。わたしのせいだ。でも、ロイドもいるし、よくなるからね」


 ゼノンは血の気の失せた顔で少しだけ目を開けて、また静かに目を閉じた。ゼノンの反応はそれだけで、わずかに口を開けたまま、すでに眠っていた。


 ミレーネは掃除道具を返す際、亭主に延泊を申し出た。催し物のある時期には、異邦人以外は三日以上泊めるべきではないという不文律があり、これにのっとればミレーネたちは原則ここにいられないのだが、彼は神妙な面持ちで了承してくれた。


「息子さんが早く良くなることを祈っています。ゆっくりして、お大事になさってください」


 ミレーネは感謝を述べて心づけを多めに支払った。

 昼過ぎにはまたロイドがどこかに出かけていき、ミレーネは宿でゼノンの看病をしながら、ロイドが売りに出さなかった分厚い魔法史大全をぱらぱらと読んでいた。目が文字の上を滑っていき、歴史が素通りしていく。ミレーネの頭の中は歴史よりも日常のことでいっぱいだった。


 本はもっと子供向けのものが欲しい。ゼノンが食べられそうなものは何だろう。あと二年は路銀が持つ。尽きても金策はある。親に頼ることはないが、両親にはいつかタカになってちゃんとあいさつに行こう。それはあの事件のほとぼりが冷めるのを待ってから。


 その日は、もやもやした心の奥底にたまるおりのはけ口を求めるように、ため息ばかりついて過ごした。


 翌朝、不思議と心がすっきり軽くなっていた。ゼノンの体調がだいぶ良くなっていた。朝方に買い物を済ませると、昨日と同じように一日を過ごすつもりでいた。


 そこにただならぬ様子のリーゼが訪ねてきた。仕事の合間を縫って急いでやってきたらしい。外の〈ネコ小路〉は狭くて、立ち話に向かない。うっすら額に汗をかいて息をはずませたリーゼを二階の談話室まで連れ込む。ミレーネが魔法で冷やした水を手渡す。リーゼは礼を言って、一気に半分まで飲んだ。


「どうしたの?」

「えっとね……、ミレーちゃんにお願いがあるんだけど」


 そこでリーゼがうつむいてしまう。ミレーネは静かに続きを待った。


「彼を……。ああ、でも……ごめんなさい」


 リーゼは今にも泣きだしそうに手で顔を覆ってしまう。その時、かすかに、ちゃりっと硬貨の擦れる音がした。明らかにいつものあけすけにものをいうリーゼとは雰囲気が違う。もしかして、とミレーネは思った。


「それはわたしの魔法が必要になりそう?」


 リーゼはうつむいたまま小さくうなずいた。

 ははあ、とミレーネは事情を半分ほど理解した。

 魔法に深いかかわりのある人間は、貴族・聖職者をはじめ、地位も誇りも高い権力者が多い。おまけに特殊な魔法は依頼料も高い。ミレーネがそんな人種でないことを知っていても、リーゼは魔法を自分のために使ってほしいとは頼みづらいのかもしれない。


「わたしはケチだけど、強欲じゃない。魔法関連ならいくらでも請け負うよ。もちろん基本タダで」


 ミレーネの笑顔がリーゼの目に映る。


「……ミレーネちゃんって、お人よし」

「宿屋の人間はたいていそう」

「それ、あたしも入るのかしら」


 二人は小さく笑った。しかし、すぐにリーゼの顔つきが深刻になる。


「でもね、これは魔法でどうにかできるのかわからないし、ミレーネちゃんにはすごく危ない目に合わせちゃう」

「どのくらい危ない?」

「命が――命が一つじゃ足りないぐらい危ない」


 リーゼは苦々しい顔でミレーネを見た。無表情で黙っている美人は恐ろしい。その女がなぜかにんまりと笑顔になる。それはそれで恐ろしい。リーゼは頼もしくも恐ろしい友人に会いに来たことを後悔した。


 ミレーネがすっと左腕の袖をたくし上げた。

 綺麗な長い腕をリーゼがうらやましく思っていると、「あ」とミレーネがつぶやく。椅子から立ちあがると、急にリーゼを抱きしめた。

 まるっきり考えが読めないミレーネの行動にリーゼが困惑する。


「な、何?」


 ミレーネがリーゼを解放して、寂しげにいった。


「今のでリーゼに怖がられずに触れるのは最後な気がして」

「……あなたが何考えてるのかわからなくて、今も怖かったわよ」

「ごめん」と笑って、ミレーネは再び腕をしっかりとたくし上げる。決意を固めたのだ。

「わたし化け物だから」


 リーゼに怪訝な顔で見返される。


「頭大丈夫? ていうか、それなら知ってるけど」

「え?」


 リーゼはさきほど自分の薄い胸に押し付けられていた、対照的にやたらと肉厚なそれを見つめていた。やや硬いが、信じられないほど弾力があったとしみじみ思い出す。


「たしかに人としてどうかと思うわよ。そのボルジオ産のカボチャみたいなの、魔法で小さくしてるのにそれなんでしょう」


 ボルジオ産の野菜は規格外の大きさと味の濃さで知られている。食いしん坊のミレーネは好きな野菜の産地を聞いて一瞬嬉しくなるが、はっと我に返る。


「っ……ちがう! そっちじゃない!」


 ミレーネは両腕で体の正面を覆い隠すようにするが、隠しきれず、リーゼには服の下に丸々と肥えたカボチャ二つを抱えているように見えた。その服の両脇には継ぎがあてられている。既製服では彼女に合わなかったらしい。


「植物を育てるのが趣味でも、それはいくらなんでも育て過ぎだと思うの」

「わかってるからいわないで」


 リーゼは全く聞く耳を持たない。


「実が重すぎると、枝や幹がゆがむでしょ。それに、実のほうにばっかり栄養もっていかれてないのかーとか、ちょっとミレーネちゃんの体が心配なんだけど」

「わたしはいたって健康だから、人の体のことはほっときなさい!」


 階下に響かないように、ミレーネは押し殺した声で叫んだ。


「最後に一番現実的な問題は将来垂れた時」

「もうしつこい! 魔法で矯正してるから垂れません! 終わり!」


 リーゼは何事もなかったかのように水を飲みほして、「おかわり」といった。


「で、化け物って? あたしミレーネちゃんが人間じゃなくても驚かないわよ」

「自分でいっといてなんだけど、それは傷つく。つい最近まで正真正銘人間だったのに。……いくよ」


 ミレーネはむきだしの腕にかまいたちで浅い小さな傷をつける。傷は見る間にふさがっていく。高速で再生しているというより、肉体の時間が巻き戻っているようだ。多少の血がこぼれるが、傷口だったところをミレーネがなめると、あとかたもない。


「すごいわね。教会の人が見たら、なんていうのかしら」


 リーゼの反応はあっさりしていた。逆にミレーネのほうが驚いた。


「さあ? ――ともかく、わたしがいいたかったのは、わたしの命の心配はいらないってこと」


 リーゼが取り乱さないのを見て、ついでとばかりに王都であったことも話してしまう。


「いろいろ大変だったのね……」

「うん。でも、ホムンクルスなんていってもよくわかんない。便利な体になっただけって感じ。ゼノンも助けられたし、悪いことばっかりじゃない」

「……ミレーネちゃんが一番すごいのはそういうとこよ」


 リーゼは思わずつぶやいた。


「それじゃあ、ここに来た理由を話して」

「――わかったわ」


 リーゼは迷いを振り切るように残りの水を飲み干した。


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