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妙薬はホムンクルス  作者: 滝田利宇
第二章
15/17

棘だらけのバラ


 ミレーネが必要なものを買い揃えている途中で、同じく店の品を物色中のリーゼに出会った。栗色の髪を三つ編みに背中に流し、白地に桃色のバラの刺繍が映える頭巾をかぶっている。背の低さに童顔が相まって、そろそろ二十歳のはずが十代半ばに届いていないように見えなくもない。


「リーゼ! 久しぶり!」

「久しぶり、ミレーネちゃん」


 二人は久闊を叙した。ミレーネは自分の胸の高さにある頭にほとんど無意識のうちに手を置いていた。


「うわぁ、やっぱりちっちゃくてかわいい! 背伸びてなくてよかった!」

「あなたのほうもいやらしさにお変わりなく。元気に男たらしこんでた?」


 いきなりのどぎついあいさつをミレーネはにこやかに受け流した。そして相好を崩して毒舌の主の頭を頭巾の上から撫で始めた。この動きもまた体が勝手にそうしてしまうものだった。


「なんだろ、なんか、懐かしすぎて逆に新鮮かも」

「大事なお顔が崩れてるわよ。あと、そのべたべたする癖治してね。悪化してない?」


 嫌味たっぷりな口ぶりが健在のリーゼも、旧友と再会してまんざらでもなさそうだった。


「リーゼ助けて。今わたしは小さい子にくっつかないと生きていけない気分」

「ただの気分だから離れなさい。あたしのほうが恥ずかしくて死にそう」


 通りすがりの少年が、子供らしいぶしつけな好奇の視線を二人に送っていた。


 彼女たちは買い物もそこそこに教会の前の階段に腰掛けて、話に花を咲かせた。どうしてミレーネがここにいるのかと聞かれ、旅に出たと答えると、楽しそうねと素直に返ってきた。旅に出た理由もとい建前を披露する間もなく、話題はリーゼの近況に移った。それはミレーネにとって厄介な相談事の始まりだった。


「ミレーネちゃんは、なんでロイドさんと結婚したの」

「えっ?」

「勘違いしないでね。あんな堅苦しいの好みじゃないから」

「ロイドは堅苦しくないよ」

「あなたの前ではね」


 ミレーネは、むう、とうなった。あれでお茶目なんだよ、とは伝わりそうになかった。若年寄の似た者同士そりが合わないのかもしれない。


「仕切り直しすると、ミレーネちゃんは夫婦に大切なものは何だと思う?」

「そういうお相手が見つかったの? 変な趣味の人じゃない? お姉ちゃんが守ったげるよ?」

「いいからまじめに」


 リーゼは口を曲げて促した。

 ミレーネはリーゼの求める答えに考えをめぐらした。結婚相手に求める条件ということだろうか。だが、残念ながらミレーネはロイドとロイド以外の男性をそんな観点から真剣に比較したことがなかった。それはロイドに惚れていたからではない。

 ミレーネにまともな恋の経験はない。

 すべてよくわかっていない。

 不安に押しつぶされそうな青春の甘み苦味も、じれったくて泣きたくなるような行き違いも、本心を伝えられないでけだるい日々を悶々と過ごす悩ましさも、突然押し寄せる悲しいいらだちも、他人の幸せを羨むほの暗い感情を自嘲するむなしさも、かつて恋い慕った誰かとの関係がかさかさに乾いてしまったのを悟った時の切ない疼きも、胸が高鳴り運命を感じる瞬間も、人生のあらゆる苦しみと憂鬱を帳消しにしてしまいそうな、世界の色が変わるような目覚ましい恋も。

 ひとえにロイドのせいだ。彼がすべての経験を許さずに、日常にどっかり居座り続けた。不快ではなかった。隣にいるとなぜだか落ち着いた。怖くなるぐらい信頼されているのがうれしかった。だからこれでよかった。物語性ある恋愛としては失敗だが、結果に不満はない。そんなふうに思い返したところで、ミレーネは今の自分に一番しっくりくる「答え」を見つけた。


「大切なのは、思い出、かな」


 リーゼはそれを聞いて額に手を当てた。


「待って。それは、えっと、十何年も温めた愛の記憶のたまものです、なんて意味じゃないわよね」

「んっと?」

「つまりね、ミレーネちゃんが五歳の時にはロイドさんにつばつけられてたでしょ」

「つば!」


 爆笑するミレーネを意に介さずにリーゼは持論を展開する。


「そんな昔からの積み重ねがなきゃ結婚できないなんていったら、世界中が熟年夫婦だらけよ」

「わ、わたしロイドのよだれでべったり? うはぁ」

「そうよ。ほら、ふざけてないで――なんならロイドさんはアヘン中毒者ね――それで、もうちょっと一般的には?」


 そういえば、とヒギンズの地下室での一幕を思い出した。ロイドはどんな薬があってもミレーネなしではだめらしい。それではまさに危ない麻薬だ。奇妙な優越感に浸っていると、ミレーネはまたしても笑いがこみあげてきてたまらなくなった。隣でリーゼが「さっきからどうしたの? 変な発作?」とまじめな顔で尋ねた。

 笑いの収まったミレーネは、ふう、と一息ついた。そして再びリーゼの問いに向き合った。

 ミレーネにとって「思い出」は大切な要素だ。たとえそれが、美化されたまがいもの――年月とともに綺麗な部分だけが削り出された、都合よく風化した記憶に過ぎないとしても。思い出を共有する誰かは、それだけで特別な人になる。共有するものが重たいほど、別れた時の喪失感も大きい。そして二人を良くも悪くも分かちがたくする。

 世間の目の届かない暴力――夫からの陰湿な暴力を妻が耐えてしまうのは、皮肉なことに機嫌のよい時の夫との思い出の働きにもある。単に婚姻の解消が事実上不可能という法律的道徳的問題にとどまらない。離婚を社会が容認しない。だから耐えなければならない。そんな側面も確かにある。それと同時に、しがらみや自分の役割にすがらなければ心が保てない。

 さいわいロイドが落花狼藉に及んだことはない。むしろ要注意はミレーネだが、こちらにも力でねじ伏せようとかいう意図はさらさらない。


「はあ、じゃあ、思い出を大切にしてくれるような人、ってのはどう?」

「ふーん、……ものすごくあいまい」


 ミレーネも自分でいっておきながら、どうとでもとれる表現だと思った。思いやりがあるとか、甲斐性があるとか、一緒にいると楽しいとか、家庭を大事にしてくれそうとか、ごくありきたりな七色の条件に落ち着いてしまいそうで、そうでなければ広がりすぎてまったく定まらない。


「ていうか、思い出がどうとか、嫌いじゃないけど、それってじっくり時間かけた付き合いが前提よね。いつからあたしたちは倦怠期の相談をしてたのかしら」

「そんなこといわれてもなあ……」


 恵まれた幸せ者には相談事を聞いてやる余裕がある。しかし、答えの中身はいつも運と努力の二言で足りる。


「ひるがえってリーゼはどうなの?」

「あたし? あたしだったら、尊敬できる人ね」


「ほう」とミレーネから感嘆が漏れた。リーゼにとって尊敬に値する夫とは、妻からどんなにののしられても耐え忍ぶ屈強な精神の持ち主という意味だろうか。


「失礼な解釈してるんじゃないわよ」

「ううん、そんなことは。どんなだったら尊敬できる人なの」

「文句いわずにやることやる人」


 ミレーネの解釈でだいたいあっていた。


「お金とか顔はその次ね。へたに気位高くても扱いに困るもの。あとしつこいのは大っ嫌い。自分がふられたってのが認められないとか。自信がある男はそれなりに魅力的だけど、過信する馬鹿は目も当てられない。自信と過信の折り合いは難しいわね」


 ミレーネの頭に「謙虚な自信家」という言葉が浮かんだ。下にいばり、上に媚びる月並みな男を思い浮かべ、その人物像がはじけて消えた。これははずれ。次に、面従腹背を貫く陰険な参謀を想像して、なんとなく満足した。


「アウザの王子さまって見たことある?」


 リーゼが脈絡なく尋ねた。


「あー、いっぺんだけ。あ、いや、二回? 印象薄くて覚えてない」

「そう、そんなもんよね。肖像画なんて厚底の靴履かせて顔の輝き五割増しのねつ造もんよね」

「夢見る少女は卒業した?」

「赤ちゃんの時に卒業してるわ」


 子供にはそれなりの夢を見させてあげよう、とミレーネはゼノンがひねくれないために心に刻んだ。

 だらだらとたわいのない会話を楽しんでいると、二人の間に影が滑り込んできた。


「お嬢さん方、ちょっといいかな」


 呼ばれた二人のうち、リーゼが顔を上げ、お嬢さんはちがうだろ、と思ったミレーネは遅れてその男を見上げた。すっきりした体躯に整った目鼻立ちの、おおむね好青年といって差し支えないその人物は、丁寧に腰を折り曲げ、屈託のない顔をしている。身に付けている衣服もあか抜けている。うちの夫より清潔感あるなあ、しっかりしてよ、お医者さん、とミレーネは男の身なりを採点していた。


「どうかな? 今日も可憐なリーゼさん、それから大輪のバラにも劣らず美しいあなたもご一緒に」

「却下」


 青年の提案は始まる前に終わりを告げられた。リーゼはミレーネの腕を取って立ち上がり、男に背を向けた。ミレーネはさきほどリーゼの話に登場した「しつこい男」の正体がわかった気がした。狙うならまずは一人にしなきゃあかんよ、とミレーネは心の中だけで助言した。


「ちょ、ちょっと、待ってくれないか」


 二人は足を止めて、青年を振り返った。


「花園へのお誘いでしたら、バラのつぼみのあたしより、大輪のバラのこちらをどうぞ」


 突然背中を押されたミレーネは慌てた。ご丁寧にリーゼのバラの頭巾を腕に押し付けられていた。


「こ、子持ちですから」


 とっさにゼノンを盾に使ったが、「うそ! あたし知らないわよ」とリーゼが足を引っ張る。友の変わり身の早さに、ミレーネはいたく感服した。


「うそをついてまでわたしを遠ざけたいのですか……」


 青年のさわやかな笑みがくにゃりと崩れた。ミレーネは聞こえよがしにため息をついた。


「ともかく夫がいます。子供がいるのも本当。リーゼにはあとで紹介してあげるから。ね? というわけで、失礼します」

「そうですか、それではそちらのリーゼさんは」

「ああ、もう!」


 たまりかねたようにリーゼは大きな声を上げた。道行く人が足を止めて、なんだ、修羅場だ、二股だ、とがやがやしだした。ミレーネはいたたまれなくなったが、それ以上に居心地悪そうにしている男が目の前にいる。


「あんたなんか……、あんたなんか、花にたかる毛虫よ! あたしの生活を食い荒らす真似はよして! カラスにでも食われて死ねばいいわ! ついでにあたしにも決まった人がいるの!」


 やけくそ気味の捨て台詞の最後のあたりで野次馬がひときわどよめいた。ミレーネも初耳の事実に目を丸くしたが、出過ぎた発言は控えた。リーゼはきゅっと口を結んで、鼻息荒くその場を立ち去った。彼女をここまで怒らせるのはよほどのことだ。ミレーネがちらりと青年を見やると、悄然と突っ立ているようだが、その目の奥には迷惑極まりない意志の炎がくすぶっていた。ミレーネは友人のために一肌脱ぐ決意を固めた。


「というか、ついでが重要すぎる」


 リーゼが忘れて行った買い物籠を拾う時、青年の横を通った。そこでミレーネはあるたくらみを耳打ちした。この男は随分と花のつぼみがお気に召しているらしい。ミレーネの甘いささやきに身を震わせ喜色満面の笑みで青年も立ち去った。ミレーネはリーゼに籠を渡しながら、今晩の予定を尋ねた。すぐさまミレーネは宿へと着替えに帰った。ロイドに遅くなるかもと書置きを残して宿を出た。




 それからまもなくして、青年は待ち合わせの場所におびき出された。

 今この場所でリーゼと出会うことはまずない。ミレーネはそわそわしている青年を見つけたが、自分からは声をかけずに青年に見つけてもらうのを待った。


「失礼しますが、あなたがミレーネさんの妹ですか」


 青年が釣れたことに内心で喝采を送りながら、ミレーネはよそゆきの笑顔で少し恥じらうように答えた。


「え、あ、はい。妹のミレーユです」


 それを聞いた青年も、けれんみたっぷりのさわやかな笑顔になった。

 今のミレーネの見た目は年のころが十四。ミレーネの読み通り、青年の食いつきが大人の時と違う。


「ああ、やっぱり! お姉さんと瓜二つで美人だからすぐわかったよ。いや、将来はミレーネさんより美人になるかもしれないね。きっとすぐに見違えるようになる」

「そんな、それはないですよ」


 ミレーネは断言した。同じ自分なのだから。


「申し遅れました。お会いできてとてもうれしいです、ミレーユさん。僕はワイブリードといいます。気軽にワイブと呼んでください」


 二人は少し早目の夕食を共にした。ワイブリードは当然僕が代金を持つといった。店はミレーネに選ばせてもらった。

 ついでに豪勢なごちそうを注文して困らせようかと思ったが、立て続けに歯の浮く台詞を聞かされ続けると食欲が失せてきたので、ワイブリードと同じ料理で妥協した。妹としての「ミレーユ」についてあれこれ聞かれたが、自分を弟の立場にあてはめることで乗り切った。ミレーネは自分のことは話したくなければ、なるべくワイブリードの情報を聞きたかったので、「あなたのことがもっと知りたい」と適当に誘導した。

 ワイブリードは待ってました、とばかりに身の上を語った。当人の言葉を信じるなら、将来を嘱望されている若手の法律家らしい。実際に何度か事件を担当して法廷に立っているそうだ。数々の罪人を裁き正しき道に導いた。その実績を熱っぽく語り、ついにはミレーネの両手をつかんできた。そこまで気を持たせたつもりのなかったミレーネは手を引いてやんわりと拒絶を示したが、ワイブリードの両手が離さなかった。リーゼの苦労をしのびながら、ミレーネは潮時を見計らった。ちょうどワイブリードの杯が干されて間ができた。酒に強くないのかずいぶん顔が赤い。

(ん?)

 彼と同じだけ飲んでいるミレーネはまったく頭がさえていた。これでも一家では酒に一番弱かった。いつものふわふわとした高揚感や虚脱感がほとんどない。ミレーネは今になっていいしれない違和を感じた。ゆらぎない思考で心当たりを探った。

(ホムンクルスだから? もしそうならちょっと寂しい……)

 手を膝の上に戻す。ミレーネは違和感をひとまず横に置いて、あらかじめ用意していた質問をぶつけることにした。


「ところで、ワイブさんはリーゼとはどういうご関係なのですか?」


 詰問調のそれにワイブリードは顔をしかめると、間をつなぐように新しい葡萄酒を二つ頼んだ。当分逃がすつもりはないらしい。


「特に……深い仲ではないよ。ちょっと気が合ったから、お話しするようなこともあったりしたけど」

「ちょっと好みの女の子だから、粉をかけてみたけど、すげなくされるようなこともあったり?」


 ミレーネは意地悪に笑顔を作ってみた。対するワイブリードの笑顔は苦々しげだ。


「それは、本人から聞いた話かな」

「それと姉や町の何人かの方からも」


 ワイブリードは観念するように肩をすくめた。


「そうか……。まあ、元からあの子とはそりがあわないようだったしね。ちょっとかわいくても口汚いし。びっくりしたよ。今日のことでわかったんだ。今までは常識のある子だと思っていたけど、僕の買い被りだった。あれは女の子としてどうなんだろう。とりあえず僕は最初から本気じゃなかったよ」

「そうですか」

「そうだよ。それに引き換え、きみはあの子よりずっとかわいいし、品もある。僕はきみ以上に素敵な子はいないと思うし、ミレーユさん、きみ以上に本気になれる人はきっといない」


「それでしたら」ミレーネは椅子から立ち上がって、期待に満ちた顔のワイブリードを見下ろした。腹の底からこみあげてくるごった煮の感情を飲み込んで、精いっぱいの微笑みを張り付けた。


「ワイブさん、あなた以下の虫けらはいませんよ」


 ワイブリードの顔が凍りついた。ミレーネも言い過ぎであることは自覚していた。多少手が早くて身持ちが悪そうな印象がある以外では、欠点らしい欠点もないといえた。社会的な地位も財力も上層に入るだろうし、そのことを極端におごるわけでもない。若くて顔も悪くない。放っておいても買い手がつくだろう。ただ、リーゼを執拗に追い回したことへの個人的な恨みと、少し「教育」してからほかの女性のところに追いやろうという打算が、ミレーネの言葉を必要以上にとげとげしくした。


「重ねていっておきます。あなたの周りの人間があなたをどんなにほめそやそうが、わたしたちのなかではあなたは虫けらです。これはわたしがいえたことじゃないですが、もう少し恋の失敗を真摯に受け止めて、女性に接することですね。わたしの人相見はよく当たるらしいですけど、たった今ご忠告したことを守る強い意志がなければ、これから先、今までにないくらいの大恥をかくことになりますよ」


 そこまでミレーネがまくしたてると、すでに店内の注目を集めていた。似たような状況が先刻もあった。案の定というべきか、水を打ったように静かになる外野の中から、「俺、今日あの嬢ちゃん見たぞ」という声が上がった。ミレーネはゆったりとそちらのほうを向いて「どうも。わたしではなく姉がお世話になったみたいです」とかき混ぜた。外野がにわかにざわつく。


「確かに、さっき見たのはもっと大人だったな」

「いや、もっとちっこいのにも声かけてた」

「ってことは、あいつ一日に三人も手ぇ出してやがったのか。やるじゃねえか」

「信じらんない。最低」

「けど、よく見て。あたしはなかなか悪くないと思う」

「へっ、色男が女漁りやめねえから、俺たちに回ってこねえんだ。すっこんでろ」


 いくらかやっかみの混じる毀誉褒貶を浴びながら、ワイブリードは呆然としていた。ミレーネの説教が耳に入っていたかも怪しい。ミレーネが一瞥をくれて去ろうとすると、ワイブリードははっとして立ち上がった。


「待ってくれ!」


 その時、店内は一瞬静まり、女の悲鳴が上がった。続いて再びざわざわした観衆から、わっと笑い声が上がった。笑っていない客も、ワイブリードから目をそらしたり盗み見たりしている。

 ズボンが床までずり落ちていた。


「さっすが色男は自信家だな! 俺らにゃ真似できねえ!」やっかみをぶつけていた男が勝ち誇ったようにどやした。

 もちろんミレーネの仕組んだことだ。ワイブリードが酒を飲んでいる間に、ミレーネは風の刃を滑らせてベルトを切断していた。さらに脱げやすくなるようズボンの正面をぱっくり開かせたのだが――。

(切りすぎちゃった)

 ミレーネはまじまじと彼の股間を見てしまった。

 事態に気が付いたワイブリードは酔いで上気した頬をさらに真っ赤にして、慌ててズボンをはきなおした。腰回りを支えるのに両手を取られて、ミレーネに向かって手が伸ばせないでいる。


「決定的ですね。そんなにお盛んならどうぞ娼館へ」


 ミレーネはこれで最後とばかりに微笑んだ。

 どこからともなく拍手と口笛と笑い声とテーブルにコップを打ち付ける音の嵐が巻き起こった。

 称賛の的になった騒動の立役者は「嬢ちゃん、こっちに来いよ! 俺たちで持つぜ!」という呼びかけを無視して、満足げに辞去した。


 店から出た途端、喧騒と人いきれと酒の匂いがすっと川の向こう岸の世界に退き、ミレーネの火照った体を夜気が冷やした。頭も芯まで冷えていく。酔わずとも興奮はしていたらしい。


「うん、わりとやりすぎた。ごめんよ、ワイブ」


 ミレーネは閉じられた店の扉にむかってちょろっと舌を出した。


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