家族の旅立ち
「といっても、俺たちにできることなんてほとんどないんだけどな」
ロイドは荷台の底のカラスに話しかけた。ロイドの座る御者台のすぐ後ろで、ゼノンの隣にカラスがいる。ロイドたち三人――二人と一羽は、荷馬車に乗って南門への目抜き通りを移動中である。明け方から人々の営みは動き出す。開店の準備をする者たちが、わらわらと通りに出てきた。往来もにわかに活気づく。
カラスは両翼を少し広げて「グワッ」と短く鳴いた。
「そんなことないよ、か?」
カラスはこくりと頷いた。
「ロイドさん、カラスの言葉わかるんですか?」
ゼノンはミレーネに向けていたのに似た感動のまなざしを送った。大人なら「なんだ、見せかけか」くらいのことを思いそうなのに、ゼノンは純粋だ。ロイドは少し機嫌がよくなった。
「勘だ。二十年の腐れ縁なめるなよ」
ロイドはにっと笑って見せた。
「二十年……」
自分の人生の倍以上の長さのつきあいなど、ゼノンには想像もつかない。
「ガガッ」
カラスの鋭い鳴き声にゼノンは何事かと目をぱちくりする。ここは人目があるので、ミレーネは元に戻れない。始終カラス語だ。周囲から変な目で見られないよう、ロイドは小声で話す。
「ほかの言い回しがいいか?」
カラスはぴょんと跳ねて荷台の縁に止まると、ロイドの背をくちばしでつついた。
「けっこう痛いぞ、それ」
振り返るロイドの背中に、カラスは頭のてっぺんをぐりぐりと擦り付けた。
ロイドはふっと微笑んで、手綱を握りなおした。
その後ろでは、どうやら会話が成り立っているらしいことにゼノンが驚いていた。
やがて市壁が見えてくると、朝一番に町を出ようとする商人やその馬が列をなしていた。さらに、それを整理しつつ盗難の警戒をしたり、荷を改める衛兵などがひしめき合う。その人の多さに、ゼノンだけでなくロイドとおそらくはカラスまで息をのんだ。昨日のこの時間なら、町の外で待っていた人々の入りも含めて、人だかりは一層膨らんでいただろう。
ロイドがその列に並ぶのを見て、カラスは城壁を飛び越えて町を出た。
気温の上昇がしっかり体感できる頃になって、ロイドの番が回ってきた。受付では、めんどうくささを隠そうともしない男の顔が覗いていた。朝から陰気な顔だ。
「そこだ」
そこに手を当てろ、の意味だろう。何度となく繰り返す事務的な仕事は、必然的に言葉が簡略になる。
ロイドは仏頂面の男の指示通りに、黒鉛のような光沢のあるなめらかな丸い石に手を当てた。この石が魔力伝導体である。淡い白光を放った。魔力伝導体は、人間が常時体外へ漏らしている微弱な魔力を検出し、登録済みの固有魔力と照合する。
「魔術師か」
受付の男の眼光が鋭くなった。このきなくさい時期に町を出る魔術師は珍しい。そしてこの男には、王都における一級の魔術師が魔力を枯渇させた事実は知らされていないようだ。
「いえ、魔術師補のほうです。職業は荷を見ていただければわかると思います」
受付の男は、荷台の中身を検査する係に目くばせした。
「古本商のようです」
積み荷の特徴は、ミレーネがあきれ返るほどロイドが収集した本の山だった。古本と断定されたのは、実際に誰かから譲り受けたものや、購入前から手垢のついた古本を、さらにロイドが読みつぶしたから。そして、目利きの書籍商人であれば、古代の文献も扱うとしても、一人で担いで歩き回れるように厳選して数を絞る。雑多な本を大量に荷台に積むのは、割の良くない古本を扱う商人だ。
ロイドの所有物は比較的手に入りやすい本ばかりとはいえ、それでも安いものではない。薬師の仕事が追い風に乗っても長らくお金がたまらなかったのは、ロイドの収集癖によるところが大きい。知識が物を言う業界の人間だから、一概に無駄とは言えないが、ぜいたく品にあたる本は買わずに読んで暗記するのが一番良い。しかし人のおつむはそう都合よくできていない。一度読んでもほとんど忘れる。基礎の知識は積み重ね、経験は後からついてくる。ロイドはその信条のもとに本を集めた。
「ずいぶん薄い覆いだな」
本に被せている布のことだ。
「雨が降っても、保護の魔法で防げますので」
本を旅の雨露から守るためには、牛などのなめし皮の覆いは欠かせない。しかし、〈保護〉をかければぼろきれの寄せ集めが、油を抜いていない水鳥の羽毛のように水をはじく。本来、魔法騎士が盾や帷子にかけて強度を底上げする魔法が、ミレーネの知恵により意外な使われ方をされている。
「便利なもんだ。で、そこの坊主は」
男があごをしゃくって、ゼノンをさした。横に座るロイドを緊張した面持ちで見上げている。
「わたしの友人の子供です。外に出て見聞を広めてこい、と言われたそうで。見込みがあれば、わたしが引き取るつもりですけどね」
「そうか、支払いは」
「現金で」
「そうでなくちゃ困るがな」
一冊一冊の本の価値がその場でわかる知識人はこんなところにいない。質ではなく数で計られ、ロイドは馬鹿にならない額の関税を払った。ひそかに「はあ」とため息をつきながら、ロイドたちは無事に市壁を通過した。
しばらく街道を行くと、ロイドはわざと道はずれの茂みへ向かった。そこには一頭の馬が待っていた。
「ちょっとしつこく聞かれたが、万事問題なし。ゼノンはちょっとだけ待っててくれ」
報告を聞いた馬はロイドを背に乗せ、再び市壁近くへ戻った。
鐙がなくても足を折り曲げ、鞍がなくても落ちないようにゆっくり走る。手綱なしでも乗り手の意を汲む賢い馬だった。
ロイドは努めて今の状態のことを深く考えないようにした。
馬はこんもりとした茂みの手前で止まった。
「そこか」
馬が首を縦に振り、〈促成〉をかけられた茂みの中に隠した袋の〈保護〉と〈接着〉を解除した。ロイドが袋の紐を解く。中身は、昨日カラスが何度も往復して市壁外へ運び出した、薬やその材料だった。
「よし」
ふたたび魔法をかけなおした袋を持って、ゼノンのところへ戻った。
ロイドは荷物から毛布と服を取り出し、馬の背にかけた。馬は白く光って、その場から立ち消えた。地面にぱさりと毛布と服が落ちる。
「ミ、ミレーネさん?」
ゼノンの呼びかけに答えるように、服を着たミレーネがにょっきり現れた。
「いったんネズミになって服に潜り込んだだけだよ」
したり顔でミレーネは種を明かす。ロイドは言いにくそうに口を開いた。
「……服が裏表反対」
「あれ? あ、ほんとだ。…………ネズミ視点じゃそんなのわからないよ」
ミレーネは失敗をごまかすように毛布を体に巻きつけた。
「それにしても動物の体は丈夫だね。何か着てるのかと思うぐらい寒さに強いもん。毛皮とか羽のおかげかな?」
「そうか、それはよかった」
動物の時は服を着ているも同然、というミレーネの主張は、いろいろな意味でロイドの心の負担を和らげた。
「確認だけど、わたしを待たずにさっさと進んでね。必ず追いつくから」
「ああ」
あまり長くとどまっていては、人目に付く。普通に進んだほうが怪しまれない。
「それじゃ、最後の仕上げだね。一仕事行ってきます」
巻いたばかりの毛布をロイドに渡したミレーネはあっという間に抱きとめられた。ロイドの腕の中でミレーネは苦笑いした。
「毎回わたしが遠出するたび……、これは儀式か何か?」
あきれたミレーネの声がする。
「そんなものだ。気にするな」
「愛情表現過多な男は嫌われるよ?」
「俺が嫌いか」
「馬鹿」
ゼノンが困ったようにちらちら視線を外しながらうかがうので、ミレーネは自分からロイドの胸を押して離れた。ゼノンが子供でも、あるいは子供だからこそ、こういうことは二人の時だけにしてほしい。それでもミレーネは「もし」があり、逆の立場ならと思うと、強く拒むことはできなかった。
「では、改めまして行ってきます」
「ほどほどで戻ってこいよ」
ロイドは空に舞うカラスを寂しげに見送った。
周囲の空き家からは火の手があがり、めきめきと音を立てながら木造の家が崩れてゆく。石造りの壁にもあちこちに焦げ跡がついている。
戦火を凝縮したような王都の一角に、赤黒い熱風が吹き荒れ、灰色の煙は町の外へと流れてゆく。冬だというのに、この一帯だけは灼熱の焦土と化し、緊張と熱が汗を催す。
ミレーネは多勢の騎士に包囲されていた。
その数およそ二十。それぞれ得物を握り、油断なくミレーネに距離を詰めている。
対するミレーネの口からは伝説のドラゴンの舌のようにちろちろと赤い炎が漏れ出ている。
火を吐くなら人の姿でもできることだが、見られたくない。素顔はさらせないし、人型で口から火を吐くのは恥ずかしい。ミレーネは大の男も押しつぶせるクマに変身していた。
肉体的に強い獣とはいえ、圧倒的な数的不利に生物的本能は今すぐ逃げ出したいとさかんに訴えている。しかし、もう逃げ場はない。
「放て!」
指揮官の号令が飛ぶ。
弓兵の存在はミレーネの誤算だった。魔術頼みのアウザ王国に正規の弓部隊があるのは完全に予想外。数も腕前も他国に劣る弓兵でも、これだけ近づけば大きな的には当て放題だ。
ミレーネが操るクマは一斉に飛んでくる矢に向かって、咆哮をぶち当てた。魔法で突風の衝撃波を上乗せし、矢を吹き飛ばした。空気を送り込まれた周辺の火の手の勢いが増し、誰もいない隣家に延焼する。
「間を開けるな! すぐに放て!」
クマは再びほえる。取り囲む騎士たちの目には猛獣がいきり立ちたけり狂っているようにしか見えないが、実際にはこう叫んでいる。
(や、矢はやめ! くすぐったい!)
クマは口から火炎を吐いて、にじり寄る槍使いを追い払った。その隙に幾本かの矢がちくちくとクマにあたるが、全身にかなりの強度で〈保護〉の魔法をかけた獣の毛皮には傷一つつかない。自分の炎で焼かれることもない。
「近づきすぎるな! 炎に注意しろ!」
「なんて手ごわい化け物だ……」
(誉めてもなんも出ないよ、火しか出ないよ)
「そこ! 下がりすぎだ! ひるむんじゃない!」
(あー。そんなにびびらなくていいですよー。このクマさん意外と温厚ですよー。もう何が怖いって、この状況が怖くないわたしが一番怖いわ)
「増援だ! 弓、十二が加勢!」
(うげ)
がちゃがちゃと騒々しく到着した部隊は、火を吐くクマに驚きながらもすぐさま矢をつがえる。
それを見たクマは威嚇するように後ろ足で立ち上がり、巨躯の全貌をあらわにする。そして矢が飛ぶより早く、前足を勢いよく振り下ろして地面にたたきつけた。ぶわっと空気が舞い上がり騎士が警戒した刹那に、さきほどとは比べ物にならない熱波が彼らを襲った。体が宙に浮くほどの風速と、風だけでやけどしそうなほどの熱量に、その場にいた全員が目をつぶった。彼らが目を開けると、クマは燃え盛る家に逃げるように飛び込んでいた。
「火を吐くクマだと!?」
一人の大臣の怒声が手狭な室内に響いた。
王城内の会議室はまたしても騒然となった。東門付近の貧民街に火を吐くクマが現れたという。
それを中央に座る王が腕の一振りで沈めると、促された騎士の報告が続いた。
「ですが、出没した地域に住民はいなかったため人的な被害はなく、延焼した家屋も老朽化した物ばかりで、物的な被害もほとんど出ておりません」
「被害が問題なのではない。そのクマの行方はどうなった」
大臣とは別の宰相がいらだたしげに騎士に問いただした。「出没」と聞いた時点で、結果はわかっていたが、それでも聞かずにはおけない。
「それが……、現場付近の衛兵たちでクマを追い詰めたところ、燃え盛る家に飛び込んで逃げ、さらに応援の騎士と共にその家を包囲し続けたのですが、ついに火が鎮まるまで何も出てこなかった、ということで……。灰からは獣の焼けた跡も見つかっておりません」
「どういうことだ……」
爪を噛んだ大臣の言葉は、その場に会した一同の心の声を代弁していた。ホムンクルスが起こしたと推測される虐殺事件は進展を見せていない。それに連関する事件の急報として、騎士団長も介さず国の重鎮が会議室に集まった。その騎士団長は、自らの頭越しに進む事態よりも、思わしくない報告のために顔を険しくした。身内に不手際があったとは言い出せず、一直線に口を結んでいる。
「王が直々に足を運ばれたというのに、なんだこの報告は」
先ほどの大臣から八つ当たりの文句がこぼれ出た。
「よい。まだ何かあったようだな。申せ」
大臣の幼稚な言いがかりに委縮しかけた騎士は、王の言葉に再び姿勢を正した。
「はっ。クマを捕獲する隊とは別に消火を行っていた者たちによれば、ちょうどクマが姿を消した頃から次々に火が収まっていったとのことです」
「火を噴くクマが火を消した、とでもいうのか……。どこの大魔術師の仕業だという話だな……」
騎士団長が重々しく口を開いた。大魔術師「だった」者たちの今後の処遇や、拷問に口を割らぬ錬金術師、ほかの疑わしい錬金術師の洗い出しなどの案件の処理で、彼に限らず会議室にいる者は皆一様に疲れた顔をしていた。オバドズに近かった人間が明かした、禁忌の錬金術の果ての名を、誰かが口にした。
「姿なき魔獣、ホムンクルスか……」
一羽のカラスが荷馬車の覆いに潜り込み、ごそごそと物音がした後、服を着たミレーネが現れた。
「おつかれさま、大丈夫だったか?」
ロイドは労いの言葉をかけながら、それとなく首尾を尋ねた。ミレーネは一部始終を語った。ゼノンは冒険物語でも聞くように顔を輝かせていた。
「予定より派手なことになったようだが」
ロイドの感想は、ミレーネも同感だった。
「しょうがないじゃん。どんどん人が駆けつけてくるんだから。こっちはいいから火を消せよって」
「そんなか」
「チーズ見つけたネズミみたいにわらわら」
「そのネズミになって逃げたんだよな」
ゼノンの証言とリラの記憶を頼りに、ミレーネは旧貧民街の木造住居にボヤを出して回った。石壁が虫食いで林立するので、火の拡大は遅い。その間カラスの姿で、鎮火に来た騎士や近隣住民の様子を眺め、被害が出ないように火の手の勢いを調整。クマになって火の魔法を口の前から出すように使い、騎士の注目を集めつつ牽制。あとずさりながら最後はよく燃えた家に〈全身保護〉で飛び込み、ネズミで退場。人の住む所へ燃え広がらないように、消して回る。これが事の顛末である。
なお三日後にも火噴きグマが一悶着起こす予定だった。しかし、今後は現場一帯の警戒が強まり、さらに大人数を相手にしなければならないことや、今回のやりすぎで貧民街に燃やしても困らない家がほとんどなくなってしまったことから、計画を変更する。筋書きは宮廷の敷地に複数の竜巻を同時に発生させて、庭師と大工の仕事を少し増やしてやるというものだ。
一方で、ロイドたちは錬金術師と直接結び付きにくい古本商人であると勘違いさせて、検問所の追及を和らげた。魔力伝導体で照合できるのは、その固有魔力保持者の名前だけ。魔法を扱える優秀な人材は、魔術師をはじめどんな職業でも役に立つので、特定の職業にとどまらずに手を広げる傾向がある。魔術は才能も影響するので、卒業時点で就職先の決まっていない学生もいる。だから名前だけだ。偽名で登録したのが発覚すれば処罰を受ける。
このままだと魔力伝導体の有用性は半端だが、それの量産と応用を提案したのがヒギンズだ。検問の際には、受付の男が時間を書き留めることで、魔術師たちの足取りは逐一記録される。その網を王都のほかにも広げてゆくのが今後の計画だった。だが、王都は急激な精鋭不足。これから各地で領内の魔術師の数が抑えられ、あぶれた魔術師は王都に好待遇でもって招聘されるだろう。実質的な徴発だ。そのことを危惧する領主の足並みは乱れ、彼らが魔力伝導体による魔術師の一元管理に異を唱えるのは予想の範疇だ。現役を退いた魔術師や、魔術師補たちに復職や転職が奨励され、王都の締め付けは強化されるはずだ。つまり、魔術師とそれに並ぶ人間は、王都に入ったきり出られなくなる。とどまっていても出られなくなる。異常事態に対応が遅れている今が好機だった。ロイドたちが急いで王都を出る理由はいくらでもあった。
「ゼノン、わたしの変身術のことは秘密だよ。もしロイド以外の誰かに話したら、わたしは一生この術を見せてあげないから。そのかわりに約束できるなら、いいもの見せてあげる」
いたずらっぽく笑うミレーネの提案に、ゼノンは好奇の目を光らせた。
「見たい!」
ミレーネはゼノンの勢いに気圧されそうになるが、大事なことを聞いていない。
「やーくーそーくは?」
「約束します!」
「よろしい」
ミレーネは満足げにうなずいて、それから白い光の中で小さくなった。
そこには十歳のミレーネがいた。
「これが子供のわたし」
御者台から振り返りっぱなしのゼノンばかりでなく、ロイドも興味津々に後ろの荷台の人物を見た。
「昔のミレーネってこんなにチビだったのか」
「あとで大きくなったからいいじゃない」
「姉ちゃんと……同じくらい?」
ゼノンの興奮が寂しさに変わるのを見ると、ミレーネは静かに言った。
「リラはきっとこんなわたしだから魂を送ってくれたんだと思う。本当のところは――ゼノンがもう少し大きくなってから、また話してあげる。……ゼノンは今でもお姉ちゃんと一緒にいたい?」
今度はゼノンが申し訳なさそうな顔になった。
「姉ちゃんは、本当はもう死んじゃった……ですよね?」
その言葉はミレーネの胸に刺さるが、ゼノンは続けて言った。
「だったら、ミレーネさんの中で眠らせてあげてください。ミレーネさんはそのままでいてください。姉ちゃんも好きだったけど、ミレーネさんも好きだから」
「ゼノン……」
「あ、泣かないで……」
慌てるゼノンの制止もむなしく、ミレーネは涙をこぼして止まらない。
「お前、最近泣き虫だな」
「今は子供だからだよ! そして今のはゼノンが悪い!」
「ええっ!?」
「八つ当たりはやめなさい」
「罰として、ゼノンはこれからわたしをお母さんと呼びなさい!」
「えええっ!?」
ミレーネは胸をたたいて宣言するが、それが大きすぎる服を着た泣き顔の子供ではさまにならない。
「せめて大人になってから言えばどうだ?」
驚きっぱなしのゼノンと、前を向いたまま冷やかすロイド。
「それからロイドはお父さん! 返事は?」
ゼノンはその宣言にびっくりはしても、嫌ではなかった。
「は、はい。……お、かあ、さん?」
「言葉遣いも楽にしていいんだぞ? 俺のことなら呼び捨てでロイドでもなんでも好きにしろ」
なおざりなようで丁寧にロイドは話しかけながら、ゼノンの頭を撫でた。
「あ、えっと、うん。……と、とうさん?」
「よろしくな」
「よろしくね、ゼノン」
一行は門出の祝杯をあげた。ミレーネとロイドはぶどう酒、ゼノンは牛乳で。
王都の事件の裏側を知る家族三人は、新たな旅路に着いた。
それぞれの巡りあいに感謝しながら、小さな春の風を荷馬車に乗せて。
一章〈完〉。




