母と兄 4
異様な雰囲気だ。冷たい冷気がスレイブ達の肌を撫で、通り過ぎる。二つ頭の悪魔は唸り声を上げて敵を睨み、今にも喉を引き裂こうとしていたが、ヴィデッドが狼の方の頭を撫でると、甘えた声ですり寄っていた。
スレイブとカーターは若干怯みながらも、堂々と前に立ち、鋭い目つきでヴィデッドを睨む。ソリ―も脅えてはいたが、震える唇を噛み締め、徐々に魔力を集めていた。しかし、カイルは目を充血させ、常時体全体を激しく震わせている。その姿からは闘志も魔力も感じられない。
スレイブは後にいる三人のことなど気にしていなかった。視線は、ただ一点に集中している。
「まだ他にも隠れているようだが……よいだろう。貴様たちほどの強さはないようだ」
頭に直接響く嫌な声。ヴィデッドの声は聴くだけで生きる事を諦めてしまいそうな、絶望を匂わせるいびつな声だった。
「ヴィデッド、俺を知っているか?」
怒りを必死で抑えつけた抑揚のない声。それはスレイブから発せられた。
赤い目が燃えるような真紅に染まり、体からは入りきらない魔力が漏れていた。
ヴィデッドはスレイブの問いを聞くと、裂けた口を汚く歪ませ、組んでいた腕を解き、大げさに広げる。その顔は笑っているのか、しきりに動いていて、削れ、尖った歯を合わせようとはしない。
「おお! 知っているとも、我が息子よ。貴様の、魔力はすぐに分かったぞ。なにせ、私の魔力だからな!」
スレイブを煽る言葉をわざと選び、舞台役者のような言い方をするヴィデッド。案の定、スレイブはそれに反応し、血に染まった顔を睨みつける。
「黙れ! ヴィデッド……貴様を親と思ったことなど一度も無い、俺は……俺は悪魔とは断じて違う!」
激昂し、声を張り上げる。それを楽しむかのようにヴィデッドは笑う。それは、スレイブの怒りを弾けさせた。
雄叫び、スレイブはヴィデッドへと駆ける。突きだされた両手に青い炎が灯り、矢の如く、凄まじい速さでヴィデッドの体を貫いた。炎が瞬く間に体を包み、肉を焼く。
苦しげに叫び、膝をつくヴィデッド。しかし、それはほんの一瞬だった。
直ぐに立ち上がり、炎を剥ぎ取ったかと思うと、それを手の平で吸収していく。その顔にはまた笑みが戻っている。
スレイブとヴィデッドの戦いの横で、別の戦いが繰り広げられていた。
二つ頭の悪魔と、カーター、ソリ―、カイルの戦いだ。
カーターが狼の目玉をくりぬき、握りつぶす。狼の頭は絶叫し、闇雲に暴れだした。その頭をタイミングよくカーターが殴り、蹴るを繰り返す。そのすぐそばでソリ―が男性の頭を脇に挟み、叫び声を上げながら捩じった。首の骨が折れる音が聞こえる。だが、骨を折られても男性の頭はまだ動いていた。ソリ―のわき腹に噛みつき、肉を噛み切る。だが、喰われた肉が突然口の中で爆発し、男性の頭の顎が吹き飛んだ。ソリ―が怒鳴り、男性の頭を殴る。
「おお、やるではないか。ヴォンクを押しておる。中々強い強い」
カーター達の戦いに目をやり、拍手するヴィデッドに、スレイブは足元にあった石を投げつけた。しかし、石はヴィデッドの頭の前で止まり、そのまま地面に落ちた。
「時間制限はないぞ? 息子よ。そう戦いを急くな」
再び腕を組み、向き直る。その姿にはありありとした余裕が見て取れた。
「……ヴィデッド、貴様を殺し、俺も死ぬ。貴様の一部分もこの世には残らないと思え」
スレイブは、自分の生い立ちを呪っていた。自分の身体を憎んだ。会ったことのない両親がもし生きていたなら、自分は愛されなかっただろう。疎ましく、おぞましい存在だっただろう。せめて、償いを。そう思ったスレイブの考えがこれだ。
ヴィデッドの痕跡を消す。それは、自分も例外ではなかった。自分の中で眠る悪魔がいる事を、彼は良く理解し、今まで自由になろうとする悪魔を押さえつけてきた。でも、おそらく、いつか自分は悪魔に負けてしまう。日に日に強くなる悪魔の力が、彼にそう思わせた。
「私が怖いか、息子よ。私に体を乗っ取られたくはないか」
「……このままでは、俺も貴様たちと同じになってしまう。醜く、忌々しい悪魔に。それだけは御免だ」
「人も悪魔も自分のために動くものだ。けっして他人に左右されはしない。誰かのために死ぬ事など、出来はしない」
悲しそうな声でつぶやくヴィデッド。それはスレイブが絶対に死なず、悪魔に身を任せると断言しきっていた。
それに、とヴィデッドは続ける。
「私を殺すのは無理だ。アークは強かった。私に消えぬ傷を付けた男だ。奴のことは認めている。だが、貴様は奴の息子ではない。私の魔力で出来た、出来損ないなのだ。人の皮を被った、醜い悪魔だ。私より強い悪魔が昔は大勢いたが、みな、死んでしまった。もちろん、寿命でだ。
今や私より強く、支配力のある者はいない。スレイブよ、貴様は他の悪魔より強いかもしれんが、私ほどではない。もう一度言うが、貴様は私の魔力の一部なのだ」
うんざりとした様子で、スレイブに話しかける。理解してくれと、まるで教師のような口調だ。
スレイブは、ヴィデッドを睨むしかなかった。分かってしまったのだ。ヴィデッドは戦意を失わせるために言っているのではない、事実を言っているのだと――。
うつむき、拳を握りしめる。その姿は諦めたかに思えた。しかし、スレイブの中で闘志は燃え尽きていなかった。
両手で空間を掴み、風を起こす。風は刃となってヴィデッドの体を引き裂いた。
しかし、引き裂かれた肉はみるみる元に戻り、繋がって行く。
「貴様は馬鹿ではないと信じていた。私の息子だ。利口で、賢い良い子だと。しかし、それは思い違いだったようだな」
「貴様の息子だからか。どうりで昔から俺は頭が弱かったわけだ」
ヴィデッドの口が歪み、血が噴き出す。歯をきつく噛み過ぎたせいで、何本かが折れ、砕けた。様子を見る限り、激怒しているようだ。
「……人間と言う者は、過去を忘れ、罪を隠し、のうのうと生きている。やはり、相容れぬ存在だ」
憎々しげに言い放ったヴィデッドは、横を向き、カーター達の所へ歩いて行く。その手には魔力が込められていた。
「カーター!」
スレイブが怒鳴り、危険を知らせようとしたが、ヴォンクと言う悪魔に集中しているため、三人の耳に届かない。
ヴィデッドを止めようと赤く光る魔力をぶつけたが、軽く弾かれ、見えない魔力で吹き飛ばされてしまう。壁に激突する前に魔力の層を作り、体を打つことは避けられたが、かなり遠くまで離れてしまった。その間もカーター達は必死で悪魔と戦い、傷を付けている。しかし、かなり迫ったヴィデッドには、今だ気付いていない。
「くそっ!」
スレイブは走った。が、遅かった。ヴィデッドはカーターの服の襟を掴むと、後ろに投げ捨て、突然現れたヴィデッドに驚くソリ―の首を両手で絞めた。
「ソリ―! おい! やめろ!」
カーターは下半身に力を込め、発射された弾丸にも負けぬスピードでヴィデッドへ殴り掛かった。しかしカーターの体が宙でピタッと止まり、また見えない魔力で吹き飛ばされた。スレイブのような受け身の魔力を使わなかったため、カーターは壁に激突し、大きな穴を作っていた。気を失ったのか、全く動かない。
痛みと抵抗で叫び声を上げるソリ―。首に食い込む指を外そうと必死だ。だが、ヴィデッドは力を強くするばかりで、緩めようとはしなかった。
ヴィデッドが首を折ろうと、力を込めようとした。しかし、何本もの石の槍が体を貫き、その腕を止めた。
ヴィデッドもスレイブも驚き、地面から突き出された槍を見る。そしてヴィデッドが槍を作り出した人物を、無い目で睨みつけた。
カイルだ。両手を前にだし、泣きながらどうだ、やったぞ、と呟いている。己を鼓舞し、精神を保っているのだ。だが、呟いていたカイルの頭が、どこからともなく燃えだし、瞬く間に全身に燃え移った。
断末魔の叫びが部屋に響く――。