異世界から奪うくらいなら、王位継承権を捨てて王国ごと亡命します
グランヴェル王国の召喚儀式は、夜明け前に行われる。
王宮ではそれを神聖と呼ぶ。
だが本当は、夜のうちに城下から物をかき集められるからだ。
王宮地下の大広間へ運び込まれていく木箱を見て、リリア・グランヴェルは足を止めた。
麦。干し肉。薬草。布。
北部の備蓄印が押されている。冬を越すための物だ。
「その箱、北へ送る分だったはずですが」
侍従は肩を揺らした。
「お、王命でして」
「でしょうね。数だけ控えておいてください。あとで確認します」
侍従は逃げるように頭を下げた。
リリアは箱の数を目で追いながら、薬草箱だけ別に回すよう侍女へ合図を送った。
「リリア」
背後に、第一王子ユリウス。
「また配給の話か」
続いて国王ガルディオスが現れる。
「民が飢えています」
「だから召喚するのだ」
王は当然のように言った。
「異世界より食糧を、医師を、技術を得る。王として当然の決断であろう」
「意思を無視して奪うのであれば、言い換えても同じです」
王の目が冷えた。
「勇者召喚により、この国は救われた」
「救ってくださったのは、勇者様ご本人の意志です」
「結果が同じなら構わぬ」
「構います」
怒鳴らない。今は第二王女でいなければならない。
「今ならまだ止められます。召喚ではなく、今ある物を民へ回してください」
「下がれ、リリア」
王は言った。
「明朝の儀式が終わるまで離宮で頭を冷やせ」
「……王命ですか」
「王命だ」
「承知しました」
リリアは一礼し、何も言い返さずに背を向けた。
もう届かない。
だから、それ以上は何も言わなかった。
離宮へ向かうふりをして、リリアは裏門から城下へ降りた。
石畳の道。閉まりかけた店。薄いスープの匂い。
パン屋の列は長く、施療院の裏口にも人が並んでいる。
召喚の噂はもう街に広がっていた。
明日には国が豊かになる、と。
信じなければ今を耐えられないのだ。
その時、小さな影がぶつかってきた。
どん、と腹に当たり、次の瞬間には子どもが転ぶ。手にしていた串焼きのたれが、リリアの裾を汚した。
「ご、ごめんなさい!」
七つか八つくらいの男の子が、半泣きで見上げてくる。
「いいんだよ。気にすんな」
つい、素の声が出た。
「けど、走るならちゃんと周り見とけよ。次はもっと怖い相手にぶつかるかもしんないだろ」
「う、うん」
店の女が苦笑して、新しい串を子どもに渡した。
その棚は薄い。昨日あったはずの丸パンがもうない。
「小麦、厳しいですか」
「北の分まで召喚に回すって話だからね」
施療院では、薬が明日の夜までもつか分からないと言われた。
孤児院では、子どもたちが薄いシチューを分け合っていた。
皆、明日には何か変わると信じようとしている。
広場を抜けようとした時、さっきの子どもが駆け寄ってきた。
「お姉ちゃん、さっきはごめん。これ」
差し出されたのは、小さな白いハンカチだった。
「汚れたとこ、ふけるかなって」
洗ったばかりらしく、少し湿っている。
「……ありがとう」
子どもは照れくさそうに笑って、母親のところへ戻っていった。
リリアはハンカチを握ったまま、しばらく動けなかった。
「……あのクソおやじ」
広場の隅で小さく吐き捨てる。
「こんなもん見て、まだ奪うことしか考えてねえのかよ」
城下外れの塔には、賢者が住んでいる。
扉を閉めるなり、リリアはフードを外した。
「あんたなら、何か知ってるんだろ。バカ親父を止める方法を」
賢者は茶を注ぎながら答えた。
「ありますよ」
「あるなら最初から言えっての」
「言えば、あなたは選ばなければならなくなる」
賢者は湯呑みを押しやった。
「召喚は止められます。ただし、あなたは王族ではなくなる」
「……どういう意味だ」
「儀式を止めるには、王族の血と、王族である資格そのものが必要です。王位継承に連なる魔力を、術式に流し切る」
「死ぬのか」
「死にはしません」
「じゃあ安い」
「安くはありません」
賢者は淡々と言った。
「あなたは王位継承権を失い、二度とグランヴェル王族には戻れない」
「戻りたいなんて一言でも言った?」
リリアは即答した。
「王冠だの玉座だの、好きに抱いて沈めばいい。あたしが守りたいのは、あの椅子じゃない」
「城下ですか」
「そこで生きてる連中だよ」
賢者は黒い板と銀杭を差し出した。
「これを術式の空白へ打ち込んでください。反転の起点になります」
「こっちは?」
「持っていってください」
賢者は黒い板を差し出した。
薄くて軽い、奇妙な板だった。
「何に使うんだ、これ」
「終わったあとに必要になります」
賢者は小さな紙を差し出した。
「起動したら、この呪文を唱えてください」
リリアは紙を受け取る。
「失くさないでください。術を止めても、それで終わりではありません」
「……止めたあとも走れってことか」
「はい」
「……上等」
それから半日、リリアは走った。
西鐘楼へ合図を伝える。
東門の記録係には名簿箱を広場へ運ばせる。
施療院には水桶と布を増やさせる。
孤児院には、明朝、鐘が鳴ったら広場へ来るようだけ伝えた。
夜の最後に、白いハンカチを胸元へしまう。
「よし」
言葉にすると、少しだけ足が前に出た。
夜明け。
王宮地下の大広間は金と灯火に満ちていた。
国王。第一王子。貴族たち。儀式官。兵士。
中央には巨大な召喚陣。その周囲に、城下から集めた麦と薬と布。
リリアは正面の階段から現れた。
「なぜここにいる」
ユリウスが吐き捨てる。
「儀式を見届けに参りました」
「離宮に下がっていろ」
「従えません」
王が立ち上がった。
「余の命に背くか」
「背きます」
ざわり、と広間が揺れた。
リリアは召喚陣の縁へ進む。
「最後に一度だけ申し上げます、陛下」
声は静かだった。
「城下の冬支度を供物にして、この国が保つはずがありません」
「保つ」
王は言い切った。
「異世界より奪えばよい」
リリアは短く息を吐いた。
「だったら、話は終いだ。クソ親父」
広間が凍った。
「何だと」
王の顔が引きつる。
ユリウスが一拍遅れて怒鳴った。
「無礼者!」
その瞬間、リリアは懐から銀杭を抜いた。
「グランヴェル王国第二王女、リリア・グランヴェルは、今日ここで王位継承権を放棄する」
「何を馬鹿なことを!」
「だから、よく見とけよ」
杭の先を掌へ滑らせる。鋭い痛み。血が落ちる。
「あたしの最後の公務だ」
召喚陣の空白へ、銀杭を打ち込んだ。
白い光が爆ぜた。
召喚陣の金色が一斉に裏返る。
儀式官たちが悲鳴を上げた。
「資格流出点が発生! 王紋が――」
首筋が焼けるように熱い。
生まれた時からあった王族の紋が、砕けて散った。
「何をした、リリア!」
「返してもらったんだよ」
「お前らが城の下から奪おうとしてたもん、まとめて全部」
「貴様、王国を売ったな!」
「違う」
リリアは兄ではなく、王を見た。
「取り戻したんだよ。グランヴェルを」
白い光が広間を満たす。
「国はお前らの財布じゃない。ここで生きてる連中のもんだ」
次に聞こえたのは、鐘の音だった。
三回。間を置いて、三回。
西鐘楼。ちゃんと鳴った。
王宮はそのままだった。
石の柱も床も崩れていない。なのに空気だけが違う。
遠くで、聞いたことのない低い音が近づいてくる。
リリアは首筋に触れた。王紋はない。
「井戸は使うな! 火も焚くな! 子どもと年寄りを先に広場へ!」
王が腕を掴んだ。
「今すぐ戻せ」
「できない」
「王命だ」
「聞く義理はねーよ。ちっとは王様らしく働け」
王の顔色が変わった。
その時、黒い板に光が灯った。
今が使い時ということらしい。
リリアは板を掴み、胸元から小さな紙を引っぱり出した。
賢者に渡された呪文だ。
意味は分からない。分からないが、ここまで来たら使うしかない。
「おっけーぐーぐる。救世主様にでんわ」
少し間があって、板の向こうから小さな声がした。
『はい、こちら異世界災害相談窓口。工藤がお受けいたします』
リリアは思わず板を耳に押し当てる。
「あんたが、救世主様?」
『そう呼ばれてたのも、ずいぶん昔の話だけどね。君は?』
「リリア。リリア・グランヴェル。元王族だ」
『グランヴェル。そういうことか。君は今、何ができる?』
流石は元勇者と言ったところだろうか。グランヴェルの名を持つ者が連絡を寄越した。それだけで、大まかな事情は察したようだった。
「わかんねえよ。でも、みんなを助けたい」
『いい返事だ。なら、よく聞け。僕もすぐにそちらへ向かう。それまでは君が民の保護と混乱を抑えるんだ。できるかい?』
「……上等だ!」
それで十分だった。
足に、もう一度力が戻る。
王が怒鳴り、王子が喚く。
けれど相手をする時間も惜しい。
「東門の名簿箱を広場へ! 施療院は北棟を開けろ!」
侍女が走る。兵が迷いながらも動く。
城の外へ出る。
空に黒い機影。
広場の端で、白いハンカチをくれた子どもが手を振っていた。
「お姉ちゃん!」
その声だけで、足は前に出た。
半年後。
職員証を下げたリリアは、面会室の扉を開けた。
中には、かつての王がいた。
「……リリア」
「お久しぶりです、王」
「貴様……このことを知っておったな」
「ええ」
「ならば、なぜ止めぬ!」
「止めました。あなたが聞かなかっただけです」
リリアは名刺を机に置いた。
「今の私は、これです」
王は名刺を睨んだ。
「こんな紙切れが何だ」
「王命を止めるものです」
「余は認めん」
「でしょうね」
リリアは淡々と言った。
「ですが、ここではあなたの承認に効力はありません」
王は黙った。
「……余の国だ」
「違います」
今度は、はっきり言った。
「グランヴェルは、王家の財布ではありません。ここで暮らす人々の国です」
面会室の外で職員が呼ぶ。
「リリアさん、次の資料確認です」
「はい」
リリアは名刺をしまった。
「リリア!」
振り返らない。
「何でしょう、王」
「余は……」
その先は出てこなかった。
リリアは扉に手をかけた。
「まずは手続きです」
「手続きだと……」
「ええ」
少しだけ笑う。
「王命を下すより、よっぽど面倒ですよ」
白い廊下に出る。
職員が分厚いファイルを抱えて待っていた。
リリアは胸元にしまった白いハンカチに、一瞬だけ触れた。
「では、次に行きましょう」
鐘ではなく、庁舎のチャイムが鳴っていた。
お読みいただきありがとうございます。
こちら、以下のシリーズの前日譚になります。
幹事スキルで、修羅場も段取りできますか?
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いずれ、リリヤも本編に登場するかもです。




