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異世界 イルフェスト

異世界から奪うくらいなら、王位継承権を捨てて王国ごと亡命します

作者: tomato.nit
掲載日:2026/06/15


 グランヴェル王国の召喚儀式は、夜明け前に行われる。


 王宮ではそれを神聖と呼ぶ。


 だが本当は、夜のうちに城下から物をかき集められるからだ。


 王宮地下の大広間へ運び込まれていく木箱を見て、リリア・グランヴェルは足を止めた。


 麦。干し肉。薬草。布。


 北部の備蓄印が押されている。冬を越すための物だ。


「その箱、北へ送る分だったはずですが」


 侍従は肩を揺らした。


「お、王命でして」


「でしょうね。数だけ控えておいてください。あとで確認します」


 侍従は逃げるように頭を下げた。


 リリアは箱の数を目で追いながら、薬草箱だけ別に回すよう侍女へ合図を送った。


「リリア」


 背後に、第一王子ユリウス。


「また配給の話か」


 続いて国王ガルディオスが現れる。


「民が飢えています」


「だから召喚するのだ」


 王は当然のように言った。


「異世界より食糧を、医師を、技術を得る。王として当然の決断であろう」


「意思を無視して奪うのであれば、言い換えても同じです」


 王の目が冷えた。


「勇者召喚により、この国は救われた」


「救ってくださったのは、勇者様ご本人の意志です」


「結果が同じなら構わぬ」


「構います」


 怒鳴らない。今は第二王女でいなければならない。


「今ならまだ止められます。召喚ではなく、今ある物を民へ回してください」


「下がれ、リリア」


 王は言った。


「明朝の儀式が終わるまで離宮で頭を冷やせ」


「……王命ですか」


「王命だ」


「承知しました」


 リリアは一礼し、何も言い返さずに背を向けた。


 もう届かない。


 だから、それ以上は何も言わなかった。




 離宮へ向かうふりをして、リリアは裏門から城下へ降りた。


 石畳の道。閉まりかけた店。薄いスープの匂い。


 パン屋の列は長く、施療院の裏口にも人が並んでいる。


 召喚の噂はもう街に広がっていた。


 明日には国が豊かになる、と。


 信じなければ今を耐えられないのだ。


 その時、小さな影がぶつかってきた。


 どん、と腹に当たり、次の瞬間には子どもが転ぶ。手にしていた串焼きのたれが、リリアの裾を汚した。


「ご、ごめんなさい!」


 七つか八つくらいの男の子が、半泣きで見上げてくる。


「いいんだよ。気にすんな」


 つい、素の声が出た。


「けど、走るならちゃんと周り見とけよ。次はもっと怖い相手にぶつかるかもしんないだろ」


「う、うん」


 店の女が苦笑して、新しい串を子どもに渡した。


 その棚は薄い。昨日あったはずの丸パンがもうない。


「小麦、厳しいですか」


「北の分まで召喚に回すって話だからね」


 施療院では、薬が明日の夜までもつか分からないと言われた。


 孤児院では、子どもたちが薄いシチューを分け合っていた。


 皆、明日には何か変わると信じようとしている。


 広場を抜けようとした時、さっきの子どもが駆け寄ってきた。


「お姉ちゃん、さっきはごめん。これ」


 差し出されたのは、小さな白いハンカチだった。


「汚れたとこ、ふけるかなって」


 洗ったばかりらしく、少し湿っている。


「……ありがとう」


 子どもは照れくさそうに笑って、母親のところへ戻っていった。


 リリアはハンカチを握ったまま、しばらく動けなかった。


「……あのクソおやじ」


 広場の隅で小さく吐き捨てる。


「こんなもん見て、まだ奪うことしか考えてねえのかよ」




 城下外れの塔には、賢者が住んでいる。


 扉を閉めるなり、リリアはフードを外した。


「あんたなら、何か知ってるんだろ。バカ親父を止める方法を」


 賢者は茶を注ぎながら答えた。


「ありますよ」


「あるなら最初から言えっての」


「言えば、あなたは選ばなければならなくなる」


 賢者は湯呑みを押しやった。


「召喚は止められます。ただし、あなたは王族ではなくなる」


「……どういう意味だ」


「儀式を止めるには、王族の血と、王族である資格そのものが必要です。王位継承に連なる魔力を、術式に流し切る」


「死ぬのか」


「死にはしません」


「じゃあ安い」


「安くはありません」


 賢者は淡々と言った。


「あなたは王位継承権を失い、二度とグランヴェル王族には戻れない」


「戻りたいなんて一言でも言った?」


 リリアは即答した。


「王冠だの玉座だの、好きに抱いて沈めばいい。あたしが守りたいのは、あの椅子じゃない」


「城下ですか」


「そこで生きてる連中だよ」


 賢者は黒い板と銀杭を差し出した。


「これを術式の空白へ打ち込んでください。反転の起点になります」


「こっちは?」


「持っていってください」


 賢者は黒い板を差し出した。


 薄くて軽い、奇妙な板だった。


「何に使うんだ、これ」


「終わったあとに必要になります」


 賢者は小さな紙を差し出した。


「起動したら、この呪文を唱えてください」


 リリアは紙を受け取る。


「失くさないでください。術を止めても、それで終わりではありません」


「……止めたあとも走れってことか」


「はい」


「……上等」




 それから半日、リリアは走った。


 西鐘楼へ合図を伝える。


 東門の記録係には名簿箱を広場へ運ばせる。


 施療院には水桶と布を増やさせる。


 孤児院には、明朝、鐘が鳴ったら広場へ来るようだけ伝えた。


 夜の最後に、白いハンカチを胸元へしまう。


「よし」


 言葉にすると、少しだけ足が前に出た。




 夜明け。


 王宮地下の大広間は金と灯火に満ちていた。


 国王。第一王子。貴族たち。儀式官。兵士。


 中央には巨大な召喚陣。その周囲に、城下から集めた麦と薬と布。


 リリアは正面の階段から現れた。


「なぜここにいる」


 ユリウスが吐き捨てる。


「儀式を見届けに参りました」


「離宮に下がっていろ」


「従えません」


 王が立ち上がった。


「余の命に背くか」


「背きます」


 ざわり、と広間が揺れた。


 リリアは召喚陣の縁へ進む。


「最後に一度だけ申し上げます、陛下」


 声は静かだった。


「城下の冬支度を供物にして、この国が保つはずがありません」


「保つ」


 王は言い切った。


「異世界より奪えばよい」


 リリアは短く息を吐いた。


「だったら、話は終いだ。クソ親父」


 広間が凍った。


「何だと」


 王の顔が引きつる。


 ユリウスが一拍遅れて怒鳴った。


「無礼者!」


 その瞬間、リリアは懐から銀杭を抜いた。


「グランヴェル王国第二王女、リリア・グランヴェルは、今日ここで王位継承権を放棄する」


「何を馬鹿なことを!」


「だから、よく見とけよ」


 杭の先を掌へ滑らせる。鋭い痛み。血が落ちる。


「あたしの最後の公務だ」


 召喚陣の空白へ、銀杭を打ち込んだ。


 白い光が爆ぜた。


 召喚陣の金色が一斉に裏返る。


 儀式官たちが悲鳴を上げた。


「資格流出点が発生! 王紋が――」


 首筋が焼けるように熱い。


 生まれた時からあった王族の紋が、砕けて散った。


「何をした、リリア!」


「返してもらったんだよ」


「お前らが城の下から奪おうとしてたもん、まとめて全部」


「貴様、王国を売ったな!」


「違う」


 リリアは兄ではなく、王を見た。


「取り戻したんだよ。グランヴェルを」


 白い光が広間を満たす。


「国はお前らの財布じゃない。ここで生きてる連中のもんだ」




 次に聞こえたのは、鐘の音だった。


 三回。間を置いて、三回。


 西鐘楼。ちゃんと鳴った。


 王宮はそのままだった。


 石の柱も床も崩れていない。なのに空気だけが違う。


 遠くで、聞いたことのない低い音が近づいてくる。


 リリアは首筋に触れた。王紋はない。


「井戸は使うな! 火も焚くな! 子どもと年寄りを先に広場へ!」


 王が腕を掴んだ。


「今すぐ戻せ」


「できない」


「王命だ」


「聞く義理はねーよ。ちっとは王様らしく働け」


 王の顔色が変わった。


 その時、黒い板に光が灯った。


 今が使い時ということらしい。


 リリアは板を掴み、胸元から小さな紙を引っぱり出した。


 賢者に渡された呪文だ。


 意味は分からない。分からないが、ここまで来たら使うしかない。


「おっけーぐーぐる。救世主様にでんわ」


 少し間があって、板の向こうから小さな声がした。


『はい、こちら異世界災害相談窓口。工藤がお受けいたします』


 リリアは思わず板を耳に押し当てる。


「あんたが、救世主様?」


『そう呼ばれてたのも、ずいぶん昔の話だけどね。君は?』


「リリア。リリア・グランヴェル。元王族だ」


『グランヴェル。そういうことか。君は今、何ができる?』


 流石は元勇者と言ったところだろうか。グランヴェルの名を持つ者が連絡を寄越した。それだけで、大まかな事情は察したようだった。


「わかんねえよ。でも、みんなを助けたい」


『いい返事だ。なら、よく聞け。僕もすぐにそちらへ向かう。それまでは君が民の保護と混乱を抑えるんだ。できるかい?』


「……上等だ!」


 それで十分だった。


 足に、もう一度力が戻る。


 王が怒鳴り、王子が喚く。


 けれど相手をする時間も惜しい。


「東門の名簿箱を広場へ! 施療院は北棟を開けろ!」


 侍女が走る。兵が迷いながらも動く。


 城の外へ出る。


 空に黒い機影。


 広場の端で、白いハンカチをくれた子どもが手を振っていた。


「お姉ちゃん!」


 その声だけで、足は前に出た。




 半年後。


 職員証を下げたリリアは、面会室の扉を開けた。


 中には、かつての王がいた。


「……リリア」


「お久しぶりです、王」


「貴様……このことを知っておったな」


「ええ」


「ならば、なぜ止めぬ!」


「止めました。あなたが聞かなかっただけです」


 リリアは名刺を机に置いた。


「今の私は、これです」


 王は名刺を睨んだ。


「こんな紙切れが何だ」


「王命を止めるものです」


「余は認めん」


「でしょうね」


 リリアは淡々と言った。


「ですが、ここではあなたの承認に効力はありません」


 王は黙った。


「……余の国だ」


「違います」


 今度は、はっきり言った。


「グランヴェルは、王家の財布ではありません。ここで暮らす人々の国です」


 面会室の外で職員が呼ぶ。


「リリアさん、次の資料確認です」


「はい」


 リリアは名刺をしまった。


「リリア!」


 振り返らない。


「何でしょう、王」


「余は……」


 その先は出てこなかった。


 リリアは扉に手をかけた。


「まずは手続きです」


「手続きだと……」


「ええ」


 少しだけ笑う。


「王命を下すより、よっぽど面倒ですよ」


 白い廊下に出る。


 職員が分厚いファイルを抱えて待っていた。


 リリアは胸元にしまった白いハンカチに、一瞬だけ触れた。


「では、次に行きましょう」


 鐘ではなく、庁舎のチャイムが鳴っていた。


お読みいただきありがとうございます。

こちら、以下のシリーズの前日譚になります。


幹事スキルで、修羅場も段取りできますか?

https://ncode.syosetu.com/n7020mh/


いずれ、リリヤも本編に登場するかもです。

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呪文が!!ぐーぐるは異世界を救うのね
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