循環の理論
王都ルミナスを出て三日。
灰燼地方へ続く街道は、戦火の名残を抱えたまま静かだった。
朝起きると、昨夜の廃屋の残骸は、まるで最初から何もなかったかのように崩れている。
イリシアは歩きながら記録帳を開く。
「ルークさん。“王の器”という言葉は、どこまでご存じですか?」
ルークは少しだけ横目で見る。
「代替がいる。俺が失敗したら、別の誰かが王になる」
「そこまでは理解しているのですね」
淡々。
「では、“なぜ複数いるのか”は?」
ルークは黙る。
『説明していなかったな』
「……世界が勝手に用意する、くらいしか聞いてない」
イリシアは頷く。
「概ね正しいですが、不十分です」
風が草を揺らす。
「星喰らいの王は個体ではありません」
「は?」
「現象です」
足が止まる。
「世界の歪みが臨界に達したとき、それを収束させるための“役割”が発生する」
「それが王」
ルークは眉をひそめる。
「役割?」
「はい。人間が災厄になるのではない」
「災厄という役割に、人間が選ばれる」
静かな言葉。
「器とは、その役割に“適応できる可能性を持つ者”です」
ルークの右手がわずかに熱を帯びる。
「適応できなければ?」
「壊れます」
即答。
「残滓に飲まれるか、暴走するか、消えるか」
「もし王の器が死んで、その時点で存在している器候補が王の器になれるほどの資質がなければ世界は壊れる」
「だから複数いるのか」
「ええ」
イリシアはページをめくる。
「世界は一人に依存しない」
「必ず“予備”を用意する」
アリアの姿が脳裏をよぎる。
(器候補ってのは予備の予備みたいなものか…)
「……止める方法は」
ルークの声は低い。
イリシアは少しだけ視線を落とす。
「観測上、王の発生を完全に止めた例はありません」
「循環は続きます」
沈黙。
遠くで鳥が飛び立つ。
「じゃあ俺が拒否しても意味ない?」
「意味はあります」
イリシアは即座に否定する。
「拒絶は、発生条件を遅延させます」
「ただし」
一拍。
「歪みが増えれば、別の器が選ばれる」
ルークは小さく笑う。
「最悪の仕組みだな」
「効率的、とも言えます」
「好きじゃねぇな」
イリシアはルークを見る。
「あなたは特殊です」
「王に近いのに、完全ではない」
「残滓を理解し、壊しながら、侵食されていない」
右手の剣が小さく震える。
『観る目だ』
イリシアは続ける。
「だから私は同行しています」
「あなたが王になるのか」
「それとも、循環を壊す例外になるのか」
ルークは空を見上げる。
青空。
何事もない世界。
「……例外ね」
剣が低く囁く。
『なれると思うか?』
ルークは答えない。
ただ前を向く。
「俺の旅の目的は一つだ」
イリシアが視線を向ける。
「残滓を全部、斬る」
短い言葉。
「王になる前に、根こそぎ潰す」
イリシアは記録する。
――仮説更新:循環破壊志向型
ページの端が風に揺れる。
「興味深い」
イリシアは面白そうに笑った。
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イリシアの説明が終わったあと。
しばらく、二人の間に言葉はなかった。
砂を踏む音だけが続く。
(現象、か)
王は怪物じゃない。
誰かの意思でもない。
“役割”。
(ふざけた話だ)
自分の人生が、世界の均衡調整だと言われているみたいだった。
右手がじわりと熱を持つ。
拒絶しているのか、同意しているのか分からない。
(壊れなかったのは運? それとも――)
考えかけて、やめる。
考えたくない。
「循環は止まらない」
イリシアの言葉が、遅れて胸に落ちる。
(じゃあ俺は何だ)
抵抗か。
遅延装置か。
それとも、ただの通過点か。
空を見上げる。
雲の向こうに、何も見えない。
それでも、どこかで“見られている”感覚が消えない。
「残滓を全部、斬る」
口にした言葉が、自分の中で反響する。
本当に、それで足りるのか。
王を止めるのか。
それとも王を完成させるのか。
剣が低く囁く。
『迷うな』
(迷ってねぇよ)
そう思った瞬間、ほんのわずかに心が揺れた。
イリシアが横を歩いている。
一定の距離。
観測者。
(こいつは敵じゃない)
でも味方でもない。
記録される存在。
(……消えたくはないな)
ぽつりと、そんな考えが浮かぶ。
理由は分からない。
ただ、まだ終わるつもりはない。
遠くで雷が鳴る。
その音に、ほんの少しだけ背筋が冷えた。
世界が動いている。
自分を中心にではなく、
関係なく。
それが、妙に腹立たしかった。
ルークは歩幅を少しだけ広げる。
前を向いたまま、言葉は出さない。
けれど胸の奥で、ひとつだけはっきりしていた。
(王にはならない)
それだけは、譲らない。
世界は静かだ。
だが歪みは、確実に積み上がっている。
二人の影が、長く伸びた。




