3、幸運の釣り針
「うぅぅ……お腹が空いたよ……」
お腹を押さえながら、空腹に耐えるアクア。
この日のために準備をして持ってきた大きな袋の中はすっかり軽くなってしまい、もう自分で食料を調達する他ない惨状。
仲間のマーマン達のように上手に魚を捕らえられないアクアは途方に暮れてしまいました。
「お姉様、こんなに人魚の国を出るのが大変なことだと思いませんでした。
もう少しちゃんと、みんなの話を聞いておけばよかった」
空腹に耐えかね、後悔ばかりが頭を支配していくアクア。
こうなっては前向きな行動を取る気力も湧いてはこない。
アクアは段々と身体から力が抜けていくのを感じました。
こうして、憧れていた人間との出会いを諦めてしまいそうになるアクアですが、一瞬、視界の中にゆらゆらと揺れる、一匹のイワシを見つけました。
「なんと僥倖です!」
普段から食卓に並んでいるイワシの姿を見て、色を失いかけていた瞳が輝きを取り戻し、アクアは器用に尾鰭を動かし、方向転換してイワシに迫っていきます。
「もう限界です! イワシさん! どうか私の栄養になって下さい!」
そして、両手で拳を握り、まるで愛の告白をするように小さなイワシに語り掛け、念願の食料に向けて、艶やかな唇をした口を開いて一気にぱっくりと口の中に咥えました。
しかし、飢え死にする前に栄養にあり付けたのも束の間、鋭い針が口内に突き刺さり、アクアは抵抗する間もなく地上へと引きずり上げられ、釣り上げられてしまったのです。
「たまげたなぁ! 人魚様を釣り上げてしまうとは!」
豪快な水飛沫を上げ、咥えたイワシと一緒に小舟に倒れ込んだアクア。
目の前には釣り竿を持った白髪に白い髭を生やした老翁な釣り人が興奮気味にアクアを見つめていました。
「ふええぇぇぇ……痛いです、助けて下さい」
思わぬ形で初めて人間と出会い、陽の当たる地上へと上がったアクア。
しかし、激痛のあまり、感動に浸る余裕はありませんでした。
釣り針が刺さった口を開き、涙ながらに救助を訴えかけるアクア。
情けないその姿に度肝を抜かしたまま、釣り人は大変な粗相をしてしまったと慌てて釣り針を抜いて、塗り薬を塗って治療を施しました。
「申し訳ねぇだ。まさかこんな海域で人魚様と出会えるとは思わなんだ」
「いえ、私も道に迷って空腹に耐えかねていました。助かりました」
見渡す限り紺碧の海が広がる小舟の上で少しずつ冷静さを取り戻し始めたアクア。
初めて見る人間の姿に感慨深いものを感じながら、いきなり襲い掛かって来る様子がないことにまずは安堵した。
(悪い人ではなさそう……。ちゃんと話も聞いてくれる。今はこの人に頼るのが安全だよね)
眩しい陽射しや水のない船の上、そして初めて目の当たりにする人間の姿。
慣れないことばかりの状況の中、アクアはまず親切な釣り人を信じることから始めました。
「若い人魚さんや、人間と会うのも初めてだったのかい」
「はい、情けない姿を見せてしまい、お恥ずかしい限りです」
これまでの経緯を話し、人間とのファーストコンタクトを経験していくアクア。アクアの苦労話を聞かされた釣り人は大変な旅であったことを知ると、直ぐに親しみを覚え、家に招待することに決めました。
「うちの息子は料理上手だかんな。もう陽が落ちる頃合いだ。遠慮はいらん、今日は泊って行くといいさ」
「良いのですか? 見ず知らずの人ではないですが、人魚を家に入れて」
「人魚を連れてりゃ、そりゃあこの集落じゃ目立つが、家は集落から離れた場所にある。人魚はオラにとって幸福の女神さね。困っているなら助けてあげるが礼儀だ」
まるで警戒する様子もなく軽々と言ってのける釣り人。その優しさに触れたアクアは悪い人間ではないとすぐさま認識を改め、警戒を解いて涙ぐんだ。
「魚釣りの人間さん、ありがとうございます」
「オラはもう高齢だ。お爺さんと呼んでおくれ」
「はい、お爺さん。お世話になります、私は人魚の国からやって来たアクアと言います」
命の危機を脱し、恵まれた出会いを果たしたアクアは笑顔を取り戻し、ようやく自己紹介を済ませた。




