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エピソード12:夜に落ちる涙

会議に出席したガーデラ。

魔王や厄災七幹が勇者について語る中、

彼女の精神はゴリゴリと削られたいった。

『では、ヴァイア』

魔王エデルスの声が、重く会議室に響く。

『勇者は、もう少し観察を続けるというのだな?』


「ええそうですね。もうちょっと放っておいてもいいと思います」

軽く肩をすくめ、あっさりと言った。

(...ん?...あれ?もしかしてこれ、いい方向に進んでる?)


『わかった。他の奴らはどうだ?』


「うん賛成」

メラードが即答する。

「はい、私もそれで大丈夫です」

ラティナも、小さく頷いた。

「naraoremosannsei」

ジストの低い声が続く。


(や……やった...やった!!)

胸の奥で、歓喜が爆発する。

(助かった!!)

(とりあえず今は見逃してもらえる!!)

(まだ“狩り対象”じゃない!!)

全身の力が、少しだけ抜ける。


(よし……!)

(このまま……このまま終わって!!)

(終わったら宿に戻って、メルザと今後の対策を――)


『ゴルドラ、お前はどうだ』

ゴルドラは、少しだけ視線を落とし、顎に手を当てて考える素振りを見せる。

沈黙。

ほんの数秒。

だがガーデラにとっては永遠だった。

(やめて)

(変なこと言わないで)


「まぁ賛成かな」

(よし!!よしよしよし!!)

内心でガッツポーズを決める。

『ガーデラ、リヴァーネ、お前たちはどうだ?』

背筋が反射的に伸びた。


「はい、構いません」

(ちぇー、またガーデラちゃんとしばらく会えなくなるじゃん...まーでも、今はその方が無難よね...)

「はい!私も賛成です!」

ガーデラは少し食い気味に答えた。


『わかった。では勇者はの観察は続行するという方針でいく』

『……ガーデラ』

「は、はい!」

『担当は、引き続きお前がやるか?』

『それとも、誰かに代わってもらうか?』


(代わる……?)

(誰か……?)

次の瞬間。

「いえいえいえいえいえ!!」

ガーデラは前のめりになった。


「いいです!!」

「私がやります!!」

「私に続けさせてください!!」

「お願いします!!」


『そ、そうか...では引き続き頼んだぞ』

わずかに困惑した魔王の声。

「はい!お任せください!」

(よっしゃああああああ!!)

心の中で、盛大に叫ぶ。

(少なくとも今日は安心して眠れる!)






『では、今回の会議はこれにて終r...』

「あーちょっと待って」

エデルスの言葉を遮り、ゴルドラが手を挙げた。

『...どうした?ゴルドラ』

「いや、ちょっと注意喚起をね」


「ガーデラ君」

「ん?」

名を呼ばれた瞬間、ガーデラの背筋が反射的に強張る。

「もしこの先、勇者側に何か“不自然な動き”があったら――」

一拍。

「それを、速やかに報告するんだよ」

「え、ええ」


(……重い)

(なにこの声)

(いつもの軽口はどこ行ったの?)

ゴルドラの声は落ち着いていた。

というより重かった。

いつものような軽率な態度がなく、どこか思い詰めている雰囲気だった。


「それとみんな」

今度は厄災七幹全体に向けて。

「戦闘を楽しむのは結構だけど、遊びすぎて危なくなるような状況は作らないようにね」


「最終的に……勇者は“必ず”殺す」

ゴルドラは、淡々と言った。

会議室の空気が、凍りつく。

「それを、忘れないように」


(え?....え!?いまなんてった!?必ず!?必ずって言ったこの人!?)

(待ってよ!何必ずって!?私絶対殺されるの!?おかしいでしょ!?)


『では、今回の会議はこれにて終r...』

「ちょ、ちょっと待ってください!」

今度はガーデラがエデルスの言葉を遮る。

『んん...どうした?ガーデラ』


「え?あ、えっとその...」

(落ち着け……落ち着け落ち着け落ち着け!!)

(深呼吸!今の私は“側近”!勇者じゃない!)


ガーデラは必死に言葉を選ぶ。

「その...なにも、殺す前提で考えなくてもいいんじゃないかと...」

会議室の空気が、ぴたりと止まる。

「い、いえ、その……私はポラリスの村から勇者の行動を観察していましたが……」

声が、わずかに震える。

「今のところ、魔王様を討とうとしているようには……見えませんでした」


沈黙。

あまりにも長い沈黙が、ガーデラの心臓を締めつける。

(なにか言って……誰か……)


「……ガーデラ君」

沈黙を破ったのは、ゴルドラだった。

いつもの軽い口調ではない。

聞いたことのない重さがあった。


「悪いけどさ」

視線が、まっすぐにガーデラへ向けられる。

「勇者を……というか、人間を...あまり、信じない方がいいよ」

「え?」


「勇者ってね」

ゴルドラは続ける。

「僕ら魔王軍にとって、ずっと牙を剥き続けてきた存在なんだ」

「その中にはさ」

「“和解したい”って言いながら、平気で嘘をついて近づいてきて」

「油断したところを、殺そうとしてきた奴も……何人もいた」


「実際」

ゴルドラの声が、一段低くなる。

「厄災七幹の№1も……その手口で、殺された」

一瞬、会議室の空気が凍りつく。


『ゴルドラ』

エデルスが、制止するように名を呼ぶ。

「ごめん...これあんま言っちゃダメだったよね」

ゴルドラは、軽く肩をすくめた。


「とにかくさ」

再びガーデラを見る。

「勇者は、信用しない方がいい」

「善人の皮をかぶってても」

「中身まで同じだって保証は、どこにもない」


「嘘にまみれ、偽り続ける悪人かもしれない」

その言葉が、刃のように胸に突き刺さる。

(そんな...私はそんなつもりは...)

思わず、否定の言葉が喉までせり上がった。

だが――


(……いや)

次の瞬間、ガーデラは気づいてしまった。

(間違ってない)

喉の奥が、ひりつく。


仲間には、自分が勇者であることを隠している。

フランズや町の人々には、魔王の側近であることを隠している。

どちらの側でも、都合のいい顔を使い分け、真実を伏せ、嘘を積み重ねている。


(ちが...私はそんなつもりで言ったんじゃ...)

心の中で、必死に言い訳を探す。

傷つけるつもりはない。

利用するつもりもない。

裏切るつもりだって、ない。


――でも。

誰かを守るため、なんて綺麗な理由じゃない。

正義のためでも、世界のためでもない。

ただ――

(生きたいだけ)

(自分のためだ)


死にたくない。

壊されたくない。

この先も、呼吸を続けたい。


そのために、嘘をつき、

そのために、周囲を欺き、

そのために、本当の自分を誰にも見せない。


(私……)

胸の奥が、重く沈んでいく。

ゴルドラが語った、かつての勇者たち。

和解を装い、善人を演じ、最後に刃を向けた者たち。

(……大して、変わらない)

自分もまた、立場を隠し、真実を伏せ、己のために立ち回っている。


「じゃあ...あなたたちが勇者を殺そうとしているのって」

言葉を選びながら、ガーデラは問いかけた。

「率直に言うと、安心のためだね」

ゴルドラは、取り繕うこともなく答えた。


「エデルスの死。魔王軍の崩壊。魔族の絶滅」

「そんな最悪の未来を引き起こす“可能性”を、勇者は持っている」

「だから殺す。危機を遠ざけたっていう安心感を手に入れるためさ」

淡々とした声だった。

感情を込めていないからこそ、その言葉は重くのしかかる。


「身勝手な理由だってのは分かってるよ」

「でもそれ以上に――勇者ってのは、魔族(ぼくら)にとって怖い存在なんだ」

その瞬間、ガーデラの心が、音もなく沈んでいく。


(……身勝手なんて、思えない)

胸の奥が、冷たくなる。

(だって……私も、同じことをした)


本来、ガーデラはポラリスの村で勇者が誕生した瞬間に殺すはずだった。

剣が抜かれた瞬間、その人間を殺し、魔王への脅威を早急に排除する。

理由はただ一つ。

――安心のため。


しかも自分は、それを正しいと心の底から思っていた。

しかし目の前にいる厄災七幹は、自分たちの行動を「身勝手だ」と自覚している。


怖いから殺す。

安心したいから排除する。

その醜さを、ちゃんと理解したうえで、

それでも選ぼうとしている。


喉が、きゅっと締まる。

自分は、正しさを理由に疑いもせずに人を殺そうとした。

怖いから。

生き残りたいから。

ただ、それだけ。


身勝手だと分かっている彼らよりも、

身勝手だとすら思わなかった自分の方が――

ずっと、ずっと。


その重みは、

もう「勇者」でも、

「側近」でも、

どちらの仮面でも誤魔化せないものだった。


(でも...それが分かったからって...今更どうすればいいの?)

答えの出ない問いが、頭の中でぐるぐると回る。

もう既に勇者として戻れないところまで来ている。


(嘘をやめる?)

(正体を明かす?)

――無理だ。


そんなことをした瞬間、すべてが壊れる。

今まで積み上げてきた関係も、居場所も、信頼も。

フランズも、メルザも、旅の時間も。


(でも……このまま嘘をつき通したら)

いずれ、必ず殺される。

“勇者”として。

“脅威”として。

(死ぬのも……嫌)


喉の奥が、きゅっと締めつけられる。

生きたい。

ただ、それだけなのに。


(なんなの……なんなの、これ……)

心の奥で、何かが軋む音がした。

正解なんて、どこにもない。

選択肢は全部、地雷だ。

嘘をつき続けても地獄。

真実を明かしても地獄。

逃げても地獄。

立ち向かっても地獄。


(私……どうしたらいいの……?)

不安が、恐怖が、迷いが、疑問が、

一斉に膨れ上がり、心の内側を内側から削り始める。


(なんで……?)

小さな疑問が、やがて怨嗟に変わる。

(なんで私が、こんな目に遭わなきゃいけないの?)

(なんでこんな、選びようのない選択を突きつけられて……)

(なんで、こんなに苦しまなきゃいけないの……?)

理由なんて、どこにもない。

ただ――


(……なんで、私ばっかり……)

その思考に辿り着いた瞬間、

ガーデラは自分でも驚くほど強く、歯を噛みしめていた。

――泣いたら、終わる。


ここで泣いたら、

この場で崩れ落ちたら、

“側近ガーデラ”は成立しなくなる。

だから必死に、表情を保つ。

背筋を伸ばし、視線を前に向ける。


誰にも気づかれないように。

誰にも悟られないように。


ただ一人で、

逃げ場のない迷路の真ん中に立ち尽くしながら。


「ま、そんな感じだよ。わかってくれた?」

「......ええ」

短く、乾いた返事だった。


「よし、エデルス、もういいよ。話したいことは終わった」

『そうか...では、今回の会議はこれにて終了する。解散だ』

その言葉を最後に、会議は幕を下ろす。


水晶に映し出されていた魔王エデルスの像は、揺らめく光とともに霧散し、

重苦しかった空気も、形式上は解散という名の終止符を打たれた。


扉が開き、

ヴァイアは名残惜しそうにリボルバーを肩に担ぎ、

ディビアンは最後まで厳しい表情のまま、

メラードは髪を整えながら、

ラティナはぺこりと一礼し、

ジストは相変わらず何かを呟きながら、

厄災七幹(パンデラズ)|は次々と会議室を後にしていく。


やがて、広い会議室に残ったのは二人だけ。

ガーデラは、ソファに座ったまま動かなかった。

視線は落ち、肩はわずかに強張り、まるで魂だけが数拍遅れているかのよう。

それを――

リヴァーネは、見逃さなかった。


(ガーデラちゃん、元気がない……?)

いつものガーデラなら、「よし終わった!」とでも言いそうな勢いで立ち上がる。

なのに今は、まるで地面に縫い止められたみたいだ。


(まさか……)

脳内で雷が落ちる。

(ゴルドラに、きっついこと言われて、落ち込んでる!?)

(それなら!それならここは!!)

(好感度アップのチャンス!!)


(よし、落ち着けリヴァーネ。ここは自然に、さりげなく、大人のお姉さんムーブよ)

すっと、彼女は歩み寄る。

「ガーデラ、私たちも行きましょう」

声音は柔らかく、しかし有能秘書感を忘れない完璧なトーン。

「いつまでも、こんなせまっ苦しいところにいる必要はないわ」


「...うん」

ガーデラは少し間を置いて、か細く返した。

(よし、効いてる!これは効いてる!)

(ここで追撃!)


「ほら」

リヴァーネは、そっと手を差し伸べる。

(さあ!)

(手を取って!)

(その瞬間、軽く引き寄せて、肩を抱いて!)

(「大丈夫よ」って囁いて!)

(頭を撫でて!)

(ついでに匂いを――いやそれは我慢!!)

脳内では完璧な流れが再生されていた。


しかし、

「いいわ。大丈夫」

ガーデラは、リヴァーネの手を――取らなかった。

そのまま、自分の力で立ち上がり、何事もなかったかのように、静かに会議室を出ていく。


「.........」

(のおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!???)

内心で絶叫しながら、リヴァーネは差し出したままの手を、そっと引っ込めた。






リヴァーネと共にガーデラは大広間に戻ってきた。

張り詰めていた空気が一気に流れ込んできた。

その変化を、誰よりも早く察したのがメルザだった。

「ガーデラ様!」

呼んだ瞬間には、もう駆け出している。


「大丈夫ですか?」

「......えぇ、大丈夫よ」

返ってきた声は、“大丈夫”という言葉だけが独り歩きしているような、どこか遠い響きを持っていた。


「......ごめん...リヴァーネ」

「?」

「ちょっといいかしら?外の空気....吸ってくるわ」

それはお願いというより、自分に言い聞かせるような声音だった。


リヴァーネは一瞬だけ迷ったが、柔らかく微笑む。

「ええ、わかったわ」


ガーデラは何も言わず、一人で大広間を抜け、廊下の奥へと歩き出す。

背中はまっすぐで、足取りも乱れていない。

けれど――

その背中が、やけに小さく見えた。


「ガ、ガーデラ様!」

メルザは後を追いかけた。

我慢できなかった。

次の瞬間には、もう後を追っていた。


暗く、静まり返った廊下を、二人は言葉もなく歩いていた。

足音だけが、やけに大きく反響する。

「ガーデラ様、どうしたんですか?会議室で一体何が......」


メルザが声をかけた、その瞬間だった。

ガーデラはいきなり、足をぴたりと止める。

「...ガーデラ様?」

名を呼んでも、返事はない。


次の瞬間、

ガーデラは背に負った剣を引き抜き、躊躇なく、窓に向けて投げつけた。

破裂するような音。

ガラスが砕け散り、夜気が廊下に流れ込む。


「っ……!」

メルザは思わず身をすくめた。

すると、投げ出された剣は不自然に軌道が歪んだ。

そして、まるで「帰る場所」を思い出したかのように、剣は弧を描き――

ドンッ、と重い音を立てて、ガーデラの足元へ突き刺さった。


「...くっ!」

歯を食いしばり、ガーデラは剣を引き抜く。

そして、もう一度。

今度こそ、力任せに。


だが――

剣は再び、

意思を持つかのように向きを変え、

彼女の足元へと戻ってくる。


三度、四度。

投げるたび、呼吸は荒くなり、腕は震え、動作は乱れていく。

それでも。

何度拒絶しても、

何度突き放しても、

剣は必ず、彼女の元へ帰ってきた。


「ガーデラ様!落ち着いてください!」

見ていられなくなったメルザは咄嗟に剣を投げようとする腕を掴み、必死に抑え込んだ。

それでも、ガーデラは剣を振りかぶった。

「ガーデラ様!」


その呼び声が、ようやく届いたのか。

ガーデラの体から、ふっと力が抜けた。

剣が床に落ち、乾いた音を立てる。

そのまま、彼女はその場に崩れ落ちるように座り込んだ。


「...いやだ」

か細く、擦り切れた声。

目は虚ろで、焦点が合っていない。

涙は出ない。ただ、乾いた絶望だけが滲んでいる。


「なんで私が……」

「……私だけが……こんな目に……」

両手で頭を抱え、背中を丸める。

呼吸は浅く荒く、うまく空気を取り込めていない。


「いやだ...もう全部嫌だ...何もしたくない」

吐き捨てるような言葉。

メルザは、動けなかった。

声をかければいいのか。

無理に動かすべきなのか。

叱る? 励ます? 慰める?

――どれも、違う気がした。


その姿は、勇者でも、魔王の側近でもなかった。

ただ、追い詰められた一人の少女だった。






メルザに支えられながらガーデラは大広間に戻ってきた。

(――はっ! 来た!!)

その姿を視界に捉えた瞬間、リヴァーネの背筋がぴんと伸びる。

一瞬で表情を整え、服の裾を払う。


(よしリヴァーネ、落ち着いて。今度こそ完璧にやるのよ)

(弱っているガーデラちゃんを優しく魔王城に泊める)

(自然な流れで「私の部屋」を提案する....よし!)

内心で何度もガッツポーズを決めつつ、外面はあくまで冷静沈着。

淑女然とした足取りで、ガーデラの前に立つ。


「おかえりなさい。気分は晴れた?」

「ええ、まあ少し...」

その掠れた声に、リヴァーネの胸がきゅんと鳴る。

「そう……ガーデラ、今日はもう遅いわ」

「今夜は魔王城で休みなさい」

そう言って、そっと手を差し伸べる。


(フフ……完璧)

(この手を取った瞬間、メルザから自然に引き離して)

(優しく慰めて)

(そのまま部屋に連れて行って)

(温かいお茶を入れて)

(そして――)


「いいえリヴァーネ、私たちはもうタウロスに戻るわ」

(……そうそう、タウロスに戻……)

「え?」

「こうしてる今も、勇者は何か行動を起こしてるかもしれないし」

「戻って、観察を続ける」

「え? あ、ちょ、え?」

脳が理解に追いつかない。


「そういうわけだから、またね」

「あなたも会議、お疲れ様」

にこり、と微笑むガーデラ。

「メルザ」

「はい」

返事と同時に、メルザが魔法陣を展開する。


「ちょ、ちょっと待って!せめて一時間は...」

その言葉が最後まで形になる前に。

二人は光に包まれ、次の瞬間にはその場から消えていた。


「あ...あ...ああ」

その場に取り残されたリヴァーネは、

差し伸べたままの手を宙に固定したまま、固まった。

背後にはいつの間にかゴルドラが立っていた。

ぷるぷると肩が小刻みに震え始める。



「......ざーんねーんでーしたー」

背後。

いつの間にか立っていたゴルドラが、愉快そうに囁いた。

「のおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」






深夜。

淡い転移光が宿の前を照らし、すぐに掻き消える。

ガーデラの表情は、戻ってきてもなお沈んだままだった。


「ガーデラ様...大丈夫ですか?」

メルザの問いかけに、少しだけ間が空く。

「ごめんメルザ...今回は無理かも...」

「明日は一日中ベッドに入るわ」

「フランズには...適当に理由を言っておいて」


「......わかりました」

それ以上、メルザは踏み込まなかった。

二人は静かに廊下を進み、部屋の前に立つ。


ガーデラが扉に手をかけ、ゆっくりと開けた。

その瞬間。

「.....!?」

ガーデラは一瞬思考が停止した。

「随分......遅かったな」

部屋の奥。

ベッドに腰掛け、腕を組んだままこちらを見ている人物。

フランズだった。


「フランズさん!?」

メルザは思わず声が裏返る。

「なんで起きてるんですか!?」

「ふと目が覚めてな……」

「で、隣を見てみれば、そなたらがいなかった」

静かな声が部屋に響く。


(勘弁してよ...こっちはもう限界なのよ)

「テラ殿、メル殿」

「そなたら……どこに行っていた?」

ガーデラは反射的に、無理やり口角を上げた。

「ち、ちょっと夜の修行に出てたのよ」

「ほら、休んでばっかじゃダメじゃない?」

「たまには体を動かさないと……」


「鉱山で一日中採掘をしていた日にか?」

「う....」

逃げ場を塞ぐ一言。

嘘の薄さを、正確に見抜く声。


「話せないのか?」

「いや、あの...えっとそういうわけじゃ...」

言葉を探そうとする。

けれど、頭の中は霧がかかったようで、何も掴めない。

あらゆるものが胸の奥に押し寄せ、喉を塞ぐ。


「……ごめん」

ようやく、絞り出した。

「……話せない」

それだけだった。


「そうか。我も無理に聞くつもりはない」

フランズの言葉に、ガーデラは小さく息を吐いた。

「うん、ありがとう。もう寝るわ。夜も遅すぎるくらいだし」

そう言って、自分のベッドへ向かおうとした――その瞬間。


「ちょっと待て」

伸ばされた手が、行く先を遮る。

「なに?」

「どこに行っていたのかは聞かない」

「何があったのかも、だ」

低く、しかしはっきりとした声。


「だが...それでも放っておけないものがある」

フランズの視線が、逃げ場なくガーデラを捉える。

「そなた...無理しているだろ?」


「な、なに言ってるの!?別に無理なんて...」

「我は、まだ数日しかそなたらと旅をしていない」

「だがな、今のそなたが“いつもと違う”ことくらいは分かる」

その一言が、胸に深く刺さる。


「今のそなたは、押し殺している」

「先の見えぬ絶望」

「叫びたいほどの感情」

「それらすべてを胸の奥に押し込め、平然を装っている」


ガーデラは言葉を返そうとした。

否定しようと、笑い飛ばそうとした。

しかし...できなかった。

喉が、固く閉ざされる。


「……凄いわね、あなた」

かろうじて、声を絞り出す。

「人のこと……よく見てるのね」

一瞬、視線を逸らし、すぐに無理やり笑顔を作る。


「まぁでも安心して、まだ大丈夫だから」

「ダメだ」

即答だった。

「ダメ?....ダメって何が?」

「このままいけば、そなたは壊れる」

「そんなことない!」

思わず声が荒れる。

「いや」

「平気よ!私は全然...」

「平気ではない」

短く、しかし強い否定。


「このままいけば、戻れなくなる」

その言葉は、忠告ではなく、断言だった。

「そなたは、すでに限界の一歩手前だ」

「それを、そなた自身が一番わかっているはずだ」


ガーデラの肩が、小さく震えた。

否定できない。

否定する力すら、もう残っていない。


ガーデラの声は、風が消え入るように弱々しくなった。

「じゃぁ...あなた何がしたいの?」

フランズは少しだけ視線を落とし、やがて静かに口を開く。


「正直に言おう」

「素性も分からぬ我が、何をしたところで……そなたを“完全に救う”ことなどできん」

その言葉は冷たいはずなのに、不思議と突き放す響きはなかった。

「だから、我はそなたに命令をする」


「……命令?」

「そうだ」

「我がそなたに与える命令は、ただ一つ」

一拍、間を置く。



「――泣け」



「え?」

「今ここで泣け」

「溜め込んだものを、すべて吐き出せ」

「そうせねば、今夜は寝ることを許さん」


「フランズさん、それはちょっと...」

メルザが戸惑いの声を上げる。

「そんなこと...」

ガーデラは、ほとんど息のような声で呟いた。

「テラ様?」


「……そんなこと言われなくても……」

「泣きたいわよ……」

俯いたまま、唇が震える。


「でも...泣いても解決しないでしょ?」

「そうだな」

「何も......変わらないでしょ?」

「そうだ」

「ただ自分が情けなくなるだけでしょう!」

感情が堰を切ったように溢れ出す。

「まったくもってその通りだ」

フランズの声は低く、だが否定はなかった。


「だがな」

「それの、何が悪い?」

ガーデラは顔を上げる。


「情けなく弱音を吐き、」

「限界に嘆き、」

「感情を出す」

言葉が、一つ一つ、胸に落ちていく。

「それのいったいどこが悪い?」


「違う...私は...わたしは...」

「辛いなら泣け!」

「苦しいなら頼れ!」

「我が...この手で必ず受け止めてやる!!」


その瞬間だった。

胸の奥に押し込めていた何かが、音を立てて崩れ落ちる。

喉が熱くなり、視界が滲む。

――ああ、だめだ。

ガーデラは悟った。

もう、止められない。


「……後悔するわよ……」

消えそうな震える声がでた。

フランズは、ふっと微笑んだ。

そして、ゆっくりと両腕を広げる。

「好きにしろ」

「いくらでも、付き合う」

「好きにしろ、いくらでも付き合う」

その仕草が、最後の堤防を壊した。


「……メル」

か細く呼ぶ。

「ええ、わかりました」


言い終わる前に、メルザは察したように頷き、そっとドアを開けた。

振り返らず、静かに部屋を後にする。

振り返ってしまえば、きっと胸が張り裂けてしまう。


足を止め、静かに指先を重ねる。

描かれた魔法陣が淡く瞬き、透明な膜となって部屋を包み込んだ。

防御魔法。

声が、外に漏れないように。

弱さが、誰かの刃にならないように。

(……どうか、誰にも聞こえませんように)

そう祈るように呟き、メルザはそっとその場を離れた。


室内は、ひどく静かだった。

ガーデラはゆっくりと、フランズの元へ歩いていく。

たった数歩の距離が、ひどく遠い。


一歩進むたび、肩が大きく震える。

必死に保ってきた表情が、少しずつ、確実に崩れていく。

視界が滲み、

ぽたり、と床に涙が落ちた。


「フランズ...」

「なんだ?」

「...ありがとう」

その言葉を言い切った瞬間、

張りつめていた糸が、ぷつりと切れた。


ガーデラは、力を失った人形のようにフランズの胸元へ倒れ込む。

短い嗚咽が、二度、三度。

そして――



「あああああああああああああああああああああああああ!!!」



押し殺してきたすべてが、叫びとなって溢れ出した。

勇者も側近も関係なく、

全部、全部、床に落として。

ただの一人の少女として、子供のように声を上げて泣いた。


フランズの衣を掴み、離さない。

「ごめん……!」

「ごめん……!」

意味のない謝罪を、何度も繰り返す。


「私、勇者なのに!」

「ちゃんとしなきゃいけないのに!」

言葉は途切れ、絡まり、順序を失っていく。


「もうずっと……」

「ぐちゃぐちゃで……」

「何が正しいかも……」

「どうすればいいかも……」

息が詰まり、声が裏返る。

「……わかんなくてぇ……!」


フランズは何も言わず、

その小さな身体を強く、確かに抱きしめた。

逃がさないように。

でも、傷つけないように。


大きな手が、何度も、何度も、優しく頭を撫でる。

「……辛かったな」

「よく、ここまで耐えた」


その一言で、

ガーデラの涙はさらに溢れた。

「うん……!」

「私、頑張った……!」

「いっぱい……いっぱい……!」

嗚咽の合間に、必死に言葉を探す。


「でも……」

「それでも...よくならなくて!」

「それが……それが、悲しくて……!」

胸の奥に積み上げてきたものが、

音を立てて崩れ落ちていく。


不安。

恐怖。

孤独。

後悔。

抑え込んできた感情が、涙となって溢れ続ける。


「……フランズ」

「なんだ」

「私……怖い……」

「未来も……今も……」

「全部、怖い……」


フランズは、迷いなく答えた。

「そうか」

腕に、ほんの少し力を込める。

「なら、今は我に預けろ」

「今だけでいい」


低く、揺るがぬ声で告げる。

「何が来ても」

「何が起ころうとも」

「今、この瞬間は――我がそなたを守る」


その言葉に縋るように、

ガーデラは再び声を上げて泣いた。

何度も、何度も。

胸に顔を埋め、子供のように。


やがて――

泣き疲れた身体から、少しずつ力が抜けていく。

呼吸が整い、

震えが止まり、

涙に濡れた睫毛が、ゆっくりと伏せられた。


そして、

フランズの胸に寄り添ったまま、

ガーデラは眠りに落ちた。


それは、

勇者でも、魔王の側近でもない。

ただ一人の少女として、

初めて安心して眠る姿だった。


フランズはそのまま、ガーデラの身体を抱き上げた。

起こさぬよう慎重に。

そしてベッドへとそっと横たえる。

規則正しい、小さな寝息が聞こえていた。


「……終わりましたか?」

扉がわずかに開き、その隙間からメルザが顔を覗かせる。

防御魔法の気配が消え、張り詰めていた空気がようやく解けていく。


「ああ、もう眠っている」

「フランズさん...ありがとうございました」

メルザは深く頭を下げた。

声には、安堵と、少しの悔しさが混じっていた。

「私では……テラ様に、何もして差し上げられませんでした」


「気にするな」

「我にできたのは、ただ受け止めることだけだ。それ以上でも、それ以下でもない」

そう言って、ガーデラに毛布をかける。


「さて、我々も休もう。どうせ傷も癒えきっておらん。明日は、何も考えず休む日だ」

「はい」

二人はそれぞれのベッドへ向かい、灯りを落とす。

夜は深く、宿は静まり返っていた。


「お休みなさい、フランズさん」

「お休み」

ベッドに入ったメルザは、隣で穏やかに眠るガーデラを見つめ、

誰にも聞こえぬほど小さな声で囁いた。


「……お休みなさいませ、ガーデラ様」

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