婚約破棄は行われない
陽の光を束ねたような金髪に、碧玉の瞳、物語の王子のように整った顔だち。
婚約者のファルスが平民上がりの男爵令嬢の庶子、マリアンと並んで楽しそうに歩いている。
それを、ソフィアーヌはじっと見ていた。
紅茶色の髪に、同じ色の大きな瞳をしたマリアンは、表情も豊かで可愛らしい。
惜しむらくは、勉学が得意でなく、礼儀作法が壊滅的なところか。
いや、それだけではなく、婚約者の居る男性に無遠慮に近づくのも、御法度である。
けれど、本来ならそれを窘めるべきは、婚約者の居る身である男性の方だ。
言い寄った女性に注意をする令嬢もいるが、注意をするべきはそれを許す婚約者の方であるべきだとソフィアーヌは思う。
ただし、話をまともに聞かない場合も考えられる為、婚約者と自らの友人を同席しての話し合いをする事にした。
最初から話し合い、などとは言っていない。
ただ、話があるので必ず同性の友人を一人伴ってくるよう侍女に伝えさせたのだ。
そして、放課後。
学園の近くにある喫茶室の一室を貸し切って。
待ち合わせに訪れたファルス・アルター伯爵令息と、同じ家格で友人でもある、ムラート・ケイン伯爵令息がソフィアーヌの待つ部屋に通された。
ソフィアーヌの友人は、エルニア伯爵家と遠縁でもある、ワース伯爵家の令嬢であるリリー。
リリーもムラートもそれぞれ婚約者がいる身である。
最初は他愛のない、喫茶店の飲み物や菓子の話をしながら、供されるのを待つ。
一通り給仕が終わったところで、居心地の悪さを隠すようにファルスが微笑みながら言った。
「それで、今日は改まって、何か話があるとか?」
「ええ、最近ファルス様が親しくお付き合いしているご令嬢についてですわ」
ソフィアーヌが穏やかな笑顔で言えば、ムラートは少し呆れたような目をファルスに向け、ファルスは不機嫌そうに答える。
「マリアンとは友人で、特にやましい事など無い」
「お名前でお呼びする仲ではございますのね?」
静かな問いかけに、ファルスがしまった、というように手で口を覆った。
「親しいが、友人だ……メルナ男爵令嬢とは」
しん、と沈黙が降り、食器の音だけが静かに響く。
その静けさに居心地が悪そうに、ファルスは目を伏せる。
ソフィアーヌは穏やかに笑みを浮かべながら、紅茶を一口飲んだ。
「ムラート様にお聞きしますけれど、二人の距離感は如何ですか?」
ムラートへと矛先を向ければ、ファルスはほっとしたように、でも目線で頼むというようにその顔を注視する。
ふう、とため息をついて、ムラートは言った。
「友人だと思う。今はまだ」
「今はまだ、とは言い得て妙ですわね。この先に何があるのかしら?」
余計な一言を添えるなというかのように、ファルスはムラートを睨むが、ムラートもその視線には軽く睨み返した。
男同士の友情と正直さを天秤にかけて、わずかに正直さに傾いている様だ。
ソフィアーヌは続けて質問した。
「では、更に質問します。マリアン様の様に、貴女の婚約者のケリー様が殿方とお近づきになってらしたら、果たして友達だ、と思われます?」
一瞬目を見開いて、ムラートは考えながら答えた。
「友人だと言われれば、一応は信じる。だが、距離には気を付けるよう注意はするだろうな」
つまり、誰から見ても、友人と言い切るには近い距離だという事だ。
リリーは穏やかに微笑んだまま何も言わないけれど、以前話した時にムラートと同じ感想を言っていた。
敢えてその事には触れず、ソフィアーヌは微笑みを浮かべたまま言う。
「ああ、ファルス様。わたくし別に貴方を責め立てたくてお呼びしたのではありませんの。ただ、婚約を解消するのなら早目にお願いしたいのです」
「……は?何を言い出すんだ、君は」
頬を紅潮させてファルスは言うが、困った様にソフィアーヌは微笑んだ。
「もし、彼女との仲を深めたいのであれば、わたくしはかまわないと申しておりますのよ。可愛らしいご令嬢ですから心惹かれるのも理解出来ますし。でも、今後二人の仲が発展するとして、わたくしという婚約者は邪魔になりますでしょう。わたくしとしても、円満に婚約を解消して頂いた方が宜しいのと、早目に解消してくださらないと次のお相手を見つけるのが困難になりますので、今こうして申し上げておりますの」
ファルスは言葉に詰まって、ムラートを見るが、ムラートは何食わぬ顔で甘味を食べている。
「ん、これ旨いな」
「ええ、わたくしも大好きな一品ですわ」
そこにリリーが相槌を打った。
ソフィアーヌもにこやかに、紅茶を口にする。
まるで婚約の解消などどうとでもない様に。
「君は、私を愛していないのか?」
一瞬、ファルスの問いかけの意味を図りかねて、ソフィアーヌは考え込んだ。
けれど、首を傾げて問い返す。
「政略結婚ですから、ただの友人よりは好意的に見ておりましたけれど、最近の御姿を見て目減りしておりますわね」
「そう、か……」
彼女には熱烈な愛の告白でも受けているのかしら、とソフィアーヌはその顔を見て考える。
それならそれで、恋愛結婚がしたいのならばそちらを選ぶべきだろう。
「恋愛結婚も宜しいでしょうけれど、アルター伯爵家がそれを是とするかは存じ上げません。幸いまだ噂にもなっておりませんので、わたくしも家人には伝えておりませんの」
まだ、何も起きていない。
贈物のやり取りも、交流の頻度も規定通り、滞りなく。
ただ、距離が近すぎるというだけだが、早目に気持ちを問うておかなくてはならない。
何しろ、婚姻は本人達だけの問題ではないからだ。
終わりにするにしても早い方が良い。
「噂になっていないのは、例のご令嬢が親しくしている殿方のお一人に過ぎないからでございますわ。早目に改めませんと、その内噂になりましょう。それでも良いとお考えでしたらば、その前に婚約の解消をして頂きたいのです」
「………何故」
「ふふ。殿方にとって女性との噂は名誉になり得るかもしれませんが、逆ならば如何です?例えばわたくしが、別の殿方と噂になどなれば、ファルス様も良い笑い者となるでしょう。わたくしは浮気をされた上に嘲笑や憐憫を向けられるのは我慢なりませんの」
令嬢個人としてもそうだが、家門が軽く見られることになるのは避けなくてはならない。
だから、常に注意を払うように生きて来たのだ。
勿論、婚約には貴族としての利と派閥などの均衡もある。
どうしても為さねばならない婚姻もあるが、その場合でも係累から新たな候補を立てる事は可能だ。
だが、二人の場合はそこまで拘りのある婚約ではない。
けれど、そうは言っても。
政略結婚は貴族にとってはごく当たり前のことである。
当主が決めた婚姻に異を唱える事も儘ならない。
ある程度、恵まれた環境であれば好みや希望も多少は融通が利くだろうけれど、高位貴族には高位貴族のしがらみもあって、全ての希望が通る訳では無いのだ。
政略結婚が嫌だとなれば、後継から外されるのが普通である。
ファルスは友人だと言いながら、苦悩に満ちた顔をしている。
「身分を捨てて添い遂げたいのであれば、迷う必要はございませんわ」
「……何故、身分を捨てるなど……」
「覚悟のお話ですわ。……でも、我が家であれば、兄がそんな世迷言を言い出したら後継から外されますでしょうね。無論、わたくしの兄は無能ではありませんから、例えば別の相手を見初めたとして、現在の婚約よりも上回る利をきちんと提示できると確信した上で親に申し入れるでしょうけれど」
無能、とファルスは独り言ちた。
別にファルスを無能だと言ったつもりはなかったが、まあ、概ね間違ってはいない。
「わたくし達の婚約にはこれと言って利はございません。強いて言うなれば、釣り合いの取れた家格と、家同士の繋がりを持てるということ。で、あればそれを上回る利さえ提示できれば、身分を捨てなくとも愛する方との未来を手にする事は可能かと存じますよ」
「何故、君はそんな風に言うんだ。友人だと言っているのに」
あら、そこに戻りますか。
きょとんとしてからソフィアーヌは困った様に微笑んだ。
「友人ならばもう少し距離をお考え下さいませ。誤解を与えるような行動をしておいて、違うと口先だけでおっしゃいましても、信用には値いたしませんわ。それに、ファルス様が思いつめた顔をなさっておいでなので、ただの友人との関係を考えるにしては深刻な問題かと助言させて頂いたのです。それも誤解であれば、問題ございませんわ」
どこか不満そうな顔をしているファルスに、リリーが微笑みながら言った。
「わたくしも少し宜しくて?……ファルス様、友人だと言えば全て許されるとは思わないでくださいませ。手を繋いでも、腕を組んでも友人だと言い張れば通用するなどと思われては困りますわ。婚約者がいないのならば、まだ許されるとしても、婚約者の居る身では許されないのです。もし、そういう平民としての友人関係になりたいのであれば、まず婚約の解消をされた方が宜しいですよ。そうすれば、誰も貴方の“友人関係”には口を挟まないでしょう」
穏やかな笑みに反して痛烈な言葉で言われ、ファルスは顔色を悪くした。
これが、婚約者であれば嫉妬か?などと言えたとしても、婚約者の友人である。
自分が連れて来た友人のムラートもうんうんと頷いているのだから、お前はどっちの味方だ!?と聞きたくなったりはしたが。
「あの、これは別に一般的で典型的な物の見方であって、ソフィの友人として厳しく言っている訳ではありませんの。あまりにも都合よく友人、という言葉を使われるので気になりましたのよ。わたくしが異性の友人とそんな近い距離で接していたら、わたくしの婚約者もわたくしに失望するでしょうし、軽蔑もいたしましょう。幾らわたくしが友人だと言い張ったとしても、無理でございましょうね」
「リリーは溺愛されておりますものね」
「監視も厳しゅうございますわよ」
監視されているのか、と男子二人はぽかんと口を開けたが、リリーはお構いなしに微笑んだ。
「ですので、お気をつけあそばせ」
そう言われれば、二人は素直に頷く。
ソフィアーヌも同じく穏やかに微笑んで言った。
「すぐに答えを出せとは申し上げません。ですが、今後も同じような対応をされて、噂になった時点でわたくしはお父様に申し上げます。婚約の解消に向けての話し合いをアルター家に持ち掛ける形になるという事はご承知おきくださいませね」
何かを言おうとして、だがファルスは口を閉じて苦い顔で頷いた。
不満ならば解消で良いのに、と思いつつも、本日の話し合いはこれで終わりだ。
言うべきことは言ったし、後は彼がどうするかによる。
平穏に学園生活は過ぎ、ファルスは男爵令嬢と距離を置くことにしたようだ。
男爵令嬢自身は、他に親しい友人はいるので追いかけなかったのか、特にしつこく迫られたりはしなかったようで。
暫く注視していたソフィアーヌも、終わったようだと肩の力を抜いた。
他の女性に目を向けていた事に関しては残念に思うものの、その後はきちんと自分の立場を考えたようで、今まで通りの穏やかな交流が続いて行く。
このまま問題がなければ結婚して、子供を儲ける事になるだろう。
それまでに少しでも目減りした愛情が育てばいいと希望を胸に抱きつつ、ソフィアーヌは変わらぬ日々を生きていく。
悪意を返して差し上げますの感想にて、婚約者に真摯に向き合うべきという感想を頂いたので、向き合ったらどうなるかというものを書いてみました。結果、婚約破棄or解消なんて大半は行われないんじゃないだろうかと。相手が全く話を聞かない人だと説得は無理だとして。令嬢側が把握していないとしたら貴族として無能だし、把握した上で泳がせているのなら打算的とか不誠実って事になるのかもしれないですね。
あと貴族による婚約解消というのはどちらかへの罰ではないと思います。商談が成立しなかったというのと同じかなぁと。お互いの条件が、合わなかっただけなので。家族以外の人前で言うのはNGだし、理由によっては侮辱になるくらい?
お久しぶりのひよこでした。
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感想ありがとうございます!そうなんです。真面目な貴族としての対応を追及すると、こんな感じ?という話なので、劇的な話にはならないですね。
あとうん、私も自分ならちょっとうーん……て思うんですが、じゃあ他に婚約者探すかってなると、それはそれで大変なんですよね。転職するのに似てる気がする。一から条件に合う人を探して、一から関係を築き直すという大変さ。家格の釣りあい、派閥、財産、人脈、出来れば同じ位の年齢、出来れば見た目の良さ。ご都合主義でない限りポンといい条件の相手と結ばれるのは難しいかなと思ったり。ひよこはそれでもリセット(解消)したい派です。とか追記書いてたら話思いつきました!(ダッシュ)




