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第七章「紅い空と虹の系譜」

「……保護だなんて、聞こえのいい言葉を使わないで」


ソニアさんの声が、氷のように冷たく丘に響く。

彼女が剣の柄をわずかに親指で押し上げると、抜き放たれる直前の研ぎ澄まされた殺気が空気をピリリと震わせた。


「我々は法を執行しているに過ぎない。その娘が持つ『紅い棒』……未登録の特異魔導具は、公共の秩序を乱す毒だ。直ちにこちらへ引き渡し、貴様も鑑定のために塔へ同行しろ」


リーダー格の男が、無機質な声で宣告する。その目は、私を人間としてではなく、珍しい珍品――あるいは不具合を起こした機械を見るような、冷淡な光を宿していた。


「嫌……です。私は悪いことはしていないし、これは私の大切なものなんです!」


私は震える手で、ポケットの中の口紅を強く握りしめた。これは、元の世界と私を繋ぐ最後の欠片で、私を助けてくれた相棒だから渡すわけにはいかない。


「なるほど……拒絶か。それならば、実力行使を許可する」

捕縛の鎖(バインド・チェイン)!」


後ろに控えている男が短く杖を振るった。すると杖の先から放たれた青白い光が、空中で幾重にも枝分かれし、蛇のような鎖となって私へと襲いかかってくる。それは、私の逃げ場を塞ぐような精密な軌道だ。


「ひっ……!」


思わず身をすくめた瞬間、目の前で銀色の閃光が弾けた。

ソニアさんが、抜剣の音さえ置き去りにする速さで鎖を真っ二つに叩き斬っていた。魔力の残滓が火花のように散り、私の頬をかすめる。


「なっ……魔法を、ただの鉄塊で斬っただと!?」

「あんたたちの魔法は、頭でっかちで隙だらけなのよ。サキ、何でもいいから塗りなさい!あんたの力を見せてやりなさい!」

「えっ、でも、何色が出るか……わかんないよっ!」


修行を始めたばかりの私には、まだこの口紅の色を操ることなんてできない。でも今はやってみるしかないんだ。


(お願い!あいつらを止めて。私たちを逃がして!)


心の底から願って、一本線を唇に走らせた。

出たその色は――ひんやりとした、透明感のある薄氷のような淡い青だった。

まるで私の焦りを静めるように、冷気が唇を優しく包み込む。


「……っ、お願い!!」


ソニアさんに教わった通り、喉の奥に溜まった魔力を一気に押し出す。

私の声に合わせて放たれたのは、これまでの練習とは比べものにならない、太く強い蒼の奔流だ。


「なっ……!?足元が凍りついてくだと!」


私が放った光は、男たちの足元の草むらを一瞬で白く凍りつかせ、鏡のように滑らかな氷の膜へと変えた。

狙ったわけじゃない、思った魔法を放つなんて出来ない。ただ、足止めしなきゃという私の願いに、口紅が応えてくれたのを感じた。


「馬鹿な、無詠唱でこの規模の氷結を……しかも術式の構成が滅茶苦茶だ、予測できん!」


重いローブを纏った男たちが、無様にバランスを崩して転倒する。氷の膜は坂道の傾斜に沿ってどこまでも広がり、彼らは止まることができずにゴロゴロと丘の下へと滑り落ちていった。


「ナイス、サキ!じゃあ……行くわよ!」


ソニアさんが私の手首を掴んで走り出す。

背後でギルドの男たちが「待て! 追え!」と叫んでいるのが聞こえたが、一度転がったズルガロンのように、彼らの体勢はなかなか整わない。


私たちは街の裏道へと急いで飛び込んだ。迷路のように入り組んだ路地、軒先に干された洗濯物の間を縫い、辿り着いたのは昨日訪れたあの場所『虚灯ノ厨(ことうのくりや)』勝手口だった。


「おばちゃん、開けて!急ぎよ!」


ソニアさんが扉を激しく叩くと、中から恰幅のいい店主のおばちゃんが顔を出した。


「……あんたたち、派手にやったらしいね。魔術師ギルドの連中とやり合ってるって知らせが来たよ」

「話が早くて助かるわ。少しの間、匿って」


その言葉におばちゃんは何も言わず、私たちを薄暗い調理場の奥へと招き入れた。

落ち着いてきたと思ったのに、自分の指先を見ると、まだ少し震えていた。


「なんとかなった……」

「頑張ったわね。でも、いつまでも何色が出るか分からないじゃ困るわよ。助けてくれる色が出るとは限らないし、次は自分の意志で色を引きずり出しなさい」


そう言ってソニアさんは貯蔵庫の樽に腰掛け、愛剣を鞘に納めた。


「街にはもう居られないわ。あいつらは執念深いからね。サキ、あんたのその口紅は、今や彼らにとって喉から手が出るほど欲しい獲物になっちゃったわよ」


私は口紅を握りしめた。元の世界では自分を着飾るためだけの道具だったこれが、今は私を守り、同時に私の世界を回す鍵になっている。


「いい?ここを出たら、もっと大きな王都を目指すわよ。あそこなら人も物も溢れてるからギルドの目をごまかすのも、あんたの口紅の正体を探るのも、あそこが一番だと思うわ」


王都、この世界の中心か。


虚灯ノ厨の静かな灯りの中で、私は新しい旅の予感に胸を騒がせていた。

ただの迷い人だった私は今、自分を守り抜くための逃亡者として、本当の第一歩を踏み出したのだ。



サキが疲れて眠りについた後、私は一人、貯蔵庫の奥で情報屋の放った伝報虫(でんぽうちゅう)を受け取っていた。


「……間違いないわね、塔の連中が動いた。あいつら、あの子の魔力を『虹の系譜』だと睨んでる」


手の中で、伝報虫がチリチリと不気味な音を立てて消える。


「塔の連中も気がついたのね。サキが鍵になっているのを。私がサキを王都に連れて行くのは、逃げるためでも、助けるためでもない。……あの子を、サキを、本物の『色彩の主』にするためよ。あいつが辿り着けなかった『極彩色の領域』。サキなら、そこまで私を連れて行ってくれるはずだわ」


灰を振り払いながら、私は王都の方角――かつて自分の師であり、憧れでもあった色彩魔術師が消えた場所を、飢えた獣のような瞳で見つめた。


窓の外では、異変を察知したのかチリリの群れが一斉に騒ぎ出している。


遥か遠くを見渡すと、王都の空が不自然に赤く染まっていた。それはギルドの追っ手よりも、もっと根源的で、恐ろしい何かが目覚めようとしている予兆のようにも見えた。


二階の部屋で、自分の運命も知らずに泥のように眠る無防備な少女。

その唇に宿る力が、世界を救う光になるのか、すべてを焼き尽くす災厄になるのか、答えはまだ誰も知らないのだろう。


「……サキ。あんたは、私の最後の手札よ。いままで見たことない世界を、私に見せて頂戴」




読んでくださりありがとうございます。


ソニアの真意とは何か。

単なる逃亡劇かと思われた旅路は、色彩魔術師の遺産を巡る大きな渦へと飲み込まれていきます。


次からは王都への旅路編が始まります。

咲は自らの意志で色を操ることができるようになるのか?


彼女らの旅を見守ってもらえたら嬉しいです。


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