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第五章「未知の味と、鏡の中の覚悟」

「……ふぇぇ、これが異世界の街かぁ……」


森を抜けた先に待っていたのは、私の想像を遥かに超える光景だった。

石造りの家々が重なり合うように並び、その間を縫う石畳の道は長年の月日に磨かれて鈍い光を放っている。


「見惚れるのはいいけど、足元に気をつけなさい。ズルガロンの落とし物を踏んでも知らないわよ」


前を歩くソニアさんが、呆れたように肩をすくめる。


「ズルガロン?あの岩が動いてるみたいな巨大なカメのこと?」

「そう。あいつらは大人しいけど、出し物のサイズも岩級だからね」


その言葉に、私が慌てて足元を確認すると横をパタパタパタ……!と軽快な足音を立てて、毛むくじゃらの生き物が通り過ぎていった。


「あ、可愛い!ソニアさん、あの足がいっぱいある子は何!?」

「あれはパタパタ。馬より小回りが利くから、この街じゃ一番の運び屋よ」


ふと見上げると、屋根の縁でスズメほどの小さな鳥が羽繕いをしている。羽が擦れるたびにチリリッと小さな火花が散り、宝石のようにきらめいた。


「わあ!あの子、火花が出てる……!」

「あれはチリリ。見た目は綺麗だけど、放っておくと火事の元になる害鳥よ。……ほら、着いたわよ」


連れられて入ったのは一階が酒場、二階が宿になっている『虚灯ノ厨(ことうのくりや)』。

店の扉を開けると、カウベルのような乾いた音が鳴った。


「あ、あの……ソニアさん。手を洗いたいんですけど」

「そこにある水瓶を使いなさい。魔法で浄化した水よ、貴重なんだから」


差し出されたのは、蛇口のない陶器の瓶。ひんやりとした水で手を洗うと、石鹸なんてないのに、不思議と泥汚れがするりと落ちた。


「すごい……魔法って、こんな身近なところにもあるんだ」


現代の全自動な生活に慣れていた私にとって、不便だけどどこか神秘的なこの世界の営みが、じわじわと胸に染みてきた。

運ばれてきたのは、飴色のスープが食欲をそそるシチューだった。


「これ……何の肉ですか?」

「モグリネのモモ肉よ。驚くと丸まって転がる変な豚だけど、味は一級品よ」


豚ならいけるかな?とか思って、恐る恐る口に運ぶ。


「……っ、おいしい!!」


現代の洗練された味とは違う旨味。ホロホロと解けるモグリネの肉は、噛むたびに深い脂が溢れ出し、冷えた体に染み渡っていく。

現代の化学調味料で整えられた味とは違う、荒々しくも力強い大地の旨味。


気がつけば、私は無我夢中でシチューを口に運んでいた。

温かいスープが喉を通るたびに、冷え切っていた心の芯がようやく解けていくのが分かった。


「私、本当に助かったんだよね──?」


ぽつりと漏らした言葉に、ソニアさんは何も言わず、ただ自分のエールを煽った。

その沈黙が、今の私には何よりの救いだった。


食後、案内された宿の一室で、私は一人曇った鏡の前に立っていた。髪はボサボサ、頬には泥。

ポケットから取り出した口紅は、暴走のせいか残量が半分以下に減っていた。


(これがなくなったら……私は、またあの森で震えていた無力な私に戻っちゃうのかな)


不安に駆られて口紅の先端を見つめると、私の体温に反応するように、ほんのりと淡いピンク色に光った。


「……私の魔力に、反応してるの?」


この口紅は誕生日に、奮発して自分へのご褒美に買ったものだ。本当なら、これを塗ってどこかお洒落なカフェにでも行くはずだった。それが今や、私の命を繋ぐ唯一の物になっている。

指先でケースの冷たい感触をなぞる。半分以下になった紅色は、この世界で私が削ってきた命の時間のようにも見えた。


「……頼むよ。私には、もうあなたしかいないんだから」


鏡の中の自分はまだ震えていたけれど、手の中の口紅だけは、頼もしく熱を帯びていた。



「あのね、いつまで鏡を見てるのよ。ナルシスト?」


背後から声がして、飛び上がりそうになる。ソニアさんが、古い革表紙の図本を手にドア付近に立っていた。


「ち、違います!ちょっと……これの減りが早いなと思って。……ソニアさん、これ、なくなっちゃったら……」

「魔法を使えば媒体は摩耗する、当然よ。あんたにはこれが必要になるわ」


ソニアさんは本をベッドに放り投げた。


「魔力回路の基礎、明日から修行よ。私があの子……色彩魔術師に教わったこと、全部あんたに叩き込んであげる」

「修行……。本当に、教えてくれるんですか?」


ソニアさんはふいっと顔を背け、ぶっきらぼうに言った。


「あんたがまた暴走して、私の背中を焼かないようにするためよ。……次は、私が安心して背中を預けられるくらいになりなさい」


その言葉に、胸の奥が熱くなった。キツイけど、私を思ってくれているのが分かるから。


「はいっ!よろしくお願いします、師匠!」


私が勢いよく敬礼すると、ソニアさんは苦笑いして部屋を出て行った。



その夜。一階の酒場の隅でソニアは一人、情報屋と向き合っていた。


「……森で『金の閃光』が観測された。ギルドの上層部が騒ぎ始めてるぜ。ソニア、何か知ってるんだろ?」

「さあね。ただの大きな落雷だったんじゃない?」


ソニアは二階へと続く階段を見上げる。

自分の放った光がどれほど異質なものか知らずに、泥のように眠る口紅使いの少女がいる部屋を。



私の小さな武器、この一本の口紅が──いつかこの世界の運命を塗り替えることになるなんて。


この時の私は、まだ何も知らなかった。



ここまで読んでいただきありがとうございます!

5話で登場した異世界の生き物たちについて、少しだけ設定を補足します。


*ズルガロン(泥殻獣)

巨大なカメとサイを合わせたような運搬獣。街の「大型トラック」的な存在ですが、落とし物のサイズも規格外なので、咲のように足元には注意が必要です。

パタパタ(六脚歩き)

6本の脚で軽快に走る、街一番の運び屋さん。モフモフした見た目から、街の人々にはマスコットのように愛されています。

チリリ(火花鳥)

羽を擦り合わせて火花を散らす、宝石のように綺麗な小鳥。でも実は火事の原因になる困った「害鳥」だったりします。

モグリネ(震え豚)

驚くと丸まって転がる、不思議な生態の豚。転がることで肉が締まって美味しくなる……という、食いしん坊にはたまらない設定の生き物です。


咲が食べた『虚灯ノ厨』のシチュー、私も書いていてお腹が空いてきました(笑)

次回からはいよいよ、ソニアによる修行編が始まります!

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