第四章「色彩の魔術師 」
森の奥へ進むにつれて、空気が重くなっていく。
木々の隙間から差し込む光は弱々しく、足元には黒い霧が這うように広がっていた。
「……サキ、口紅は何色持ってるの?」
ソニアさんが前を向いたまま尋ねてくる。
「えっとどうなんだろ?塗ると色が変わるから、赤と青と緑と……ピンクもありそう」
「ピンクは使うな」
「え?」
「多分ピンクは魅了だわ。魅了の魔法は、森の瘴気に反応する。逆に魔獣を呼び寄せることになるわ」
ソニアさんの声は冷静だけど、どこか張り詰めている。
私は思わず、口紅をポケットの奥にしまい込んだ。
しばらく歩くと、視界が開けた。
そこには……巨大な洞窟の入り口があった。
「……ここね」
ソニアさんが剣の柄に手をかける。洞窟の奥から、ゾクリとする冷気が漂ってきた。
「サキ、ここからが本番よ。絶対に私から離れないこと」
「は、はい!」
洞窟の中は暗く、湿っていた。
壁には奇妙な光る苔が生えていて、青白い光を放っている。その光に照らされた壁には、古代文字のようなものが刻まれていた。
「これ……何か書いてあるよ?」
「古代語ね。読めるわ……」
ソニアさんが壁に手を触れ、目を細めた。
「色を纏う者よ、汝の心に宿る色彩こそが真の力なり。されど混色の彼方には、破滅と創造が同居す……。ですって」
私はゴクリと唾を飲み込んだ。
「混色って何……?」
「多分口紅の色を混ぜるんだわ。赤と青を同時に使ったり、緑とピンクを重ねたり」
「え?そんなこと出来るの?!」
「出来る……でしょうね」
ソニアさんの声が、わずかに震えた気がした。
「……昔、色彩魔術師がいたの。色彩魔術師は何かを媒体にして、色の魔法を使う。そう、サキのようにね。そしてその人は、とても才能のある子だった」
「え……?」
「その人は、感情が高ぶると色が混ざってしまう体質でね。混色の魔法は強力だけど、制御できなかったのよ」
ソニアさんは壁から手を離し、ゆっくりと歩き出した。
「ある日、魔獣の群れに襲われて……その人は必死に戦った。でも、恐怖と怒りで色が混ざり始めて……」
そこで言葉が途切れる。
「最後には、自分の魔法に飲み込まれた。私の目の前で」
「ソニアさん……」
私の胸が締め付けられる。ソニアさんの背中が、とても小さく見えた。
「だから、サキ。サキには同じ目に遭ってほしくない。絶対に色を混ぜるなよ。感情を制御して。いいわね?」
振り返ったソニアさんの目は、炎のように強く、でも同時にとても悲しそうだった。
「……うん、わかった!」
私は強く頷いた。
洞窟の最深部に着いた時、そこには巨大な空間が広がっていた。
天井は高く、中央には黒い結晶のようなものが浮かんでいる。
「瘴気の核……!」
ソニアさんが剣を抜く。その瞬間、結晶が脈打ち、周囲から複数の魔獣が這い出てきた。
「サキ、来るわよ!」
戦闘が始まった。
私は青い口紅を塗り、水の魔法で魔獣を牽制する。ソニアさんの剣が閃き、次々と魔獣を斬り裂いていく。
でも、数が多すぎる。
「くっ……!」
次に私が塗った口紅は赤い色になった。集中して火の魔法を放つ。炎が魔獣の群れを飲み込んだ。
「サキ、左!」
ソニアさんの声に反応して振り向くと、巨大な魔獣が飛びかかってきていた。
「きゃあっ!」
咄嗟に口紅を塗るが、間に合わない!
恐怖で手が震えているのがわかる。赤い口紅がまだ唇に残っている。その上から口紅を重ねてしまった。
「サキ!!」
ソニアさんの叫び声。
でも、遅かった。
私の唇には、赤と緑が混ざった。
唇から、見たこともない光が溢れ出す。黄色? いや、もっと複雑な……金色に近い何か。
魔法が暴走する。
巨大な光の奔流が、魔獣を、壁を、結晶を飲み込んでいく。
「あ……あああっ!!」
制御できない。力が溢れて、溢れて、止まらない!!
「サキ!!」
気づいた時、ソニアさんが私の前に立ちはだかっていた。
暴走した魔法が、ソニアさんの背中を直撃する。
「ソニア、さん……!?」
目の前のソニアさんがバタリと倒れる。
その瞬間、魔法が止まった。
私の恐怖も、混乱も、全てが止まった。
「ソニアさん!ソニアさん!!」
駆け寄ると、ソニアさんの背中が大きく焼けていた。でも、彼女はなぜか微かに笑っていた。
「ば、馬鹿ね……私……また、同じこと……繰り返してる……サキ、大丈夫?」
「喋らないで!今、治すから!」
私は震える手で口紅を取り出した。でも、唇にはまだ混色の残滓が残っているのが分かる。私の力はまだ治まってはいない。
震える私の手を、ソニアさんが弱々しくを握った。
「いいの……サキ。サキは……悪くない……」
「そんなこと言わないで! 私のせいなのに! 私が……私が制御できなかったから!」
涙が溢れて止まらない。
「ソニアさん……ごめんなさい、ごめんなさい……!」
その時だった。
ソニアさんが、私の頭をそっと撫でた。
「泣くな……馬鹿……。サキは……あの子とは違う……」
「え……?」
「あの子は……一人で抱え込んで……誰にも頼らなかった。でも……サキは違うでしょ?」
ソニアさんの目に、涙が滲んでいた。
「サキは……後悔できる。だから……大丈夫よ……」
「ソニアさん……」
「だから……もう一度、やり直し……なさい。今度は……ちゃんと……制御して……。大丈夫、サキなら出来る」
私は唇を拭った。
何度も、何度も、混色の痕跡を消し去る。
そして、震える手で口紅を塗った。
「絶対……絶対に助ける……!」
深呼吸をひとつ。
心を落ち着ける。
恐怖を、後悔を、全部飲み込んでやる。
そして純粋な緑の光が、私の手のひらから溢れ出した。
「……お願い」
癒しの魔法が、ソニアさんの傷を包み込んでいく。
ゆっくりと、焼けた皮膚が再生していく。
「……やるじゃない」
ソニアさんが、小さく笑った。
「……まだ、生きてる……」
「当たり前でしょ。私が死ぬわけないじゃない」
強がりだとわかる。でも、その強がりが嬉しかった。
私は泣きながら笑った。
「……ありがとう、ソニアさん」
「礼を言うのは私の方よ。サキが……制御してくれたから」
ソニアさんがゆっくりと起き上がる。傷はまだ完全には治っていないけど、命に別状はなさそうだ。
「……行くわよ、サキ」
「え?でも、まだ傷が……」
「大丈夫。これくらい」
ソニアさんは剣を拾い上げ、中央の黒い結晶を睨んだ。
「仕上げよ。あれを壊せば、この森の瘴気は消える」
「……はい!」
私も立ち上がった。
「今度こそ、ちゃんと制御してみせます」
「信じてるわ」
ソニアさんが、初めて本当に心から笑った気がした。
二人で、黒い結晶に向かって駆け出した。
私の唇には、赤い口紅。
ソニアさんの剣が、炎を纏う。
「せーのっ!」
二人の攻撃が、結晶に叩き込まれた。
結晶が砕け散り、光が洞窟を満たしていく。
黒い霧が晴れていく。
森に、再び光が戻ってきた。
洞窟を出ると、森はすっかり明るくなっていた。
鳥のさえずりが聞こえる。吹き抜ける風が心地いい。
「……終わったのね」
ソニアさんが空を見上げた。
「はい……終わりました」
私も隣に立って、空を見上げた。
「ねえ、ソニアさん」
「何?」
「その……昔の色彩魔術師の子のこと、もっと教えてもらえませんか」
ソニアさんが少しだけ驚いた顔をして、それから柔らかく笑った。
「……いいわよ。長い話になるけど」
「聞きたいです」
「じゃあ、村に戻りながら話すわ。あと、サキ」
「はい?」
「まだまだ修行が必要ね。私が鍛えてあげる」
「え!本当ですか!?」
「ああ。ただし、厳しいわよ」
ソニアさんがニヤリと笑う。
「覚悟しなさい、サキ」
「はいっ!よろしくお願いします、師匠!」
私はまた敬礼してしまった。
ソニアさんが吹き出す。
「……馬鹿ね、本当に」
でも、その声はとても優しかった。
二人で森を歩く。
私の手には大切な口紅。
ソニアさんの背中には、まだ癒えていない傷。
でも、私たちは前を向いて歩いていた。
これから、どんな色の魔法を使えるようになるのかな?
どんな冒険が待っているのかな?
なにもわからないけど、ソニアさんと一緒なら、きっと大丈夫。強く、強くそう思えた。




