7話 白銀の牙、黒い車体
ゴォン……ゴォン……ゴォン!
村の鐘が鳴り響く。
重く低いその音は、誰もが知っていた。“魔獣襲来”を告げる非常の合図だ。
朝のおにぎり販売を終えたばかりの屋台の周りでも、村人たちが慌ただしく駆け出していく。
荷車を捨てて走る男、泣き叫ぶ子供の手を引く女。村の兵士たち──十人ほどが通りへ飛び出し、女子供を村の外れの“気高い丘”へと誘導していた。
その騒ぎの中で、カトリナが小さく悲鳴を上げた。
「店長さん!今……今、おばさんに聞いたんです!林檎農家の……あの子たち、どこにもいないって!」
彼女が指さす先には、いつも朝に親子でパンを買いに来ていた林檎農家の子供たちの母親が、不安げに周囲を見回していた。
「丘にも、家にもいないらしくて……っ、逃げ遅れたかも……!」
輪は顔をしかめた。
「くそっ……ナビ子、魔獣はどこまで来てる⁉︎」
『西の森を突破、村境から約300メートル地点。推定個体数、7。大型2、中型5』
嫌な予感が確信に変わる。
輪が顔を上げるより早く、カトリナが駆け出した。
「わたし、探してきます‼︎」
「待て、カトリナ!あぶ──」
危険を伝える声は届かなかった。
風のように走り去る背中に、輪は短く舌打ちをした。
「ナビ子、なんか手はないのか……?戦闘車両の簡易版みたいなさ……お前なら出来るだろ」
ショーケースを力無く叩きながら、歯を噛み締め輪は声を震わせる。なんだかんだで幸せを感じていた。今まで魔獣だなんだと言葉では聞いていたが、初めて村人の人達が震え上がっている様子を実際に見て、自身も恐怖で足が竦む。
『レベル7、SP現在13ポイント。通常解放条件はレベル10、SP20……』
数値が足りない。今のままでは、本来の方法では使えない。
それでも──あれを使えば、守れる。
「……全部だ。スキルポイント、全部。強制解除……できるなら、やってくれ」
ナビ子が一瞬押し黙るかのように沈黙する。
『所有者の承認受領。現在保持中のスキルポイントを全消費し、【戦闘車両モード】を一時的に解放します──』
カーナビ画面に警告表示が次々と流れる。
《※注:起動後は冷却時間が必要です》
《※注:車両への高負荷が予測されます》
《※注:一般人への視認リスクがあります》
「あぁ無理させるな相棒……今は、守る方が先だ」
輪が愛おしそうに屋台の外に押し込められたシルバーの外壁を撫でる。次の瞬間、販売車のステータスウィンドウが赤く染まり、唸るような機械音と共に、スキルポイントが13から0へ──車体が変形を始めた。
車体の横腹が展開し、タイヤが重厚な物へ伸び上がる。窓は黒くスモークされ、外装には鋼鉄の装甲板が自動展開。そして黒光りする銃身が男心をくすぐる5.56mm機関銃MINIMIが上部に搭載され、丸みを帯びた商用軽バンは、まるで軍用車のような重々しいフォルム、LAV(軽装甲機動車)へと姿を変えていった。
『戦闘車両モード、起動完了。目標、排除可能』
配達用の軽自動車が立派になって、輪は少し涙を堪えつつ、運転席に飛び乗った。
「行くぞ、相棒」
アクセルを踏み込むと販売車が呻くように振動を始めた。
かつての“配送車”は、今、戦うための車へと姿を変えた。
* * *
一方その頃、村の北西──古い林檎の木が並ぶ道端で。
「お、おかあ、さ……」
2人の幼い兄妹が、手を繋いで震えていた。
視線の先にいたのは、月色の毛並みを持つ巨大な魔獣──ダイヤウルフ。生暖かい息を吐きながら、ゆらりゆらりと獲物を追い詰めるように左右から2体がかりで囲む。
ザリッと砂利を抉る爪の音が、いやでも子供達に残酷な未来を想像させた。
涎が滴る牙を剥き出しにしながら、ゆっくりと子供たちに迫る。
その瞬間、茂みの奥から少女が飛び出した。
「下がって‼︎」
叫んだのはカトリナだった。
迷うことなく子供たちの前に立ち、両腕を広げるようにして庇う。申し訳程度に握られた石は武器のつもりだろうか。狼達にとっては正に鴨葱である。
「来ないでって!言ってるでしょ!」
投石するが、虚しい。石はころころとダイヤウルフの前に落下し、威嚇にもならない。その投石が相手の力量を計る絶好の機会となってしなった。
2匹は示し合わせたように踏み込むと、一斉にカトリナと子供達へ飛び掛かる。
思わず背中を向けカトリナは子供達を腕に抱いた。せめて肉壁にでもなれればと。
迫る爪──その瞬間、
ドォンッ‼︎
地響きのような衝撃と共に、ダイヤウルフ達の身体が跳ね飛ばされた。金切り声と聞きまごう悲鳴を上げながら、その身は木に叩きつけられる。
気が揺れ、林檎が重力に争わず数個、狼の亡骸を弔うように落下する。
カトリナの横を、鋼鉄の車体がすれ違っていく。
「……な、なにあれ……車輪のついた、真っ黒の……箱?」
振り返った彼女の目に映ったのは──かつての屋台とは全く異なる姿の、戦闘車両(LAV)だった。
スモークウィンドウ、強化タイヤ、衝突バンパー。
村の誰もが知らない、“異世界から来た軽自動車の戦闘形態”。
「間に合った……!」
車体のドアが開き、輪が駆け寄る。
「て、店長さん⁉︎ あの黒い箱、から……⁉︎」
震える子供2人を抱えながら、自分も震えているカトリナが、車から降りて来た輪の姿を見て驚愕する。この中世時代の世界観では有り得ない技術の産物から知り合いが降りて来たら、たまげるのも無理はない。
「大丈夫か、カトリナ!」
「わたしは……でも、まだ村にダイヤウルフが……」
『輪様、強制解放制限時間まであと10分ほどしか猶予がありません。お急ぎを』
ナビ子から急かされる。本当なら泣き震えるバイトを1人で取り残すのは気が引ける輪だが、仕方がない。だがその代わり、心強い言葉をせめてかけて行こう。
「大丈夫だ!俺と車が全部やっつける!だから待っててくれ!」
* * *
そこからの戦いは、まさに“異物”の暴れっぷりだった。
車両は森の中を縫うように走り、迫るダイヤウルフを次々と跳ね飛ばしていく。
だが流石に一度で仕留められたのは意表をついた一度のみで、ダイヤウルフ達も丈夫だった。撥ねても体勢を立て直し、鋭い爪を車体へ突き立てる。車内にいても響くその爪が車体を削る音。
輪は優勢ではあるが頬を伝う冷や汗に、思わずハンドルを強く握り締める。
『心配無用。敵の威力では傷を付けたとしても装甲は同箇所を30回以上殴打しなければ車体は抜けません。輪様、ハンドル横にあるスイッチを押す事を提案します』
安心させるのか不安にさせるのかどっちとも取れないナビ子の報告。輪は目の前の木を避ける為ハンドルを切りながら、言われた通りに緑のスイッチを押す。
途端に車体底部から煙が凄い勢いで周囲を満たす、『スモークディスチャージャーです。因みに……』煙の中を眩い閃光が数回駆け抜ける『放電ユニット追加発動』。
目眩しから麻痺させ、林の中をドリフトしながらのUターン。
「もしかして俺って……割と運転才能あったのかな」
電撃でもんどり打つダイヤウルフ達を側面から重厚な車体で吹き飛ばす。
村の兵士たちが武器を持っていたが、一撃で応戦する姿に誰もが唖然としていた。
「な、なんだ……あれは……⁉︎」
残る一体を跳ね飛ばし、地に伏せさせた瞬間、車両が限界だと告げるようにバンパーから白煙を上げる。
『エネルギー残量無し。戦闘車両モード、強制終了』
重々しい装甲が折り畳まれ、軽自動車の姿へと戻っていく。ガコンガコンと喧しく、静まり返った村中に響き渡った。
誰かが呟いた。
「……なにあれ……銀色の箱?」
村人達が訝しげにワゴンRを囲み触っているのを尻目に、輪は既に車を降り、カトリナのもとへ向かっていた。
「カトリナ、無事で良かった」
「いえ……でも、わたし、また震えてて……怖かったです……でも、あの時より……怖くなかった」
彼女の小さな体が、子供たちを抱くように包み込んでいた。
* * *
夕方──、
村長は、倒され積まれたダイヤウルフの死骸を前に、輪へと頭を下げた。
「……おかげで助かった。お主は、いったい何者なのだ」
「ただの配送屋です。いい車持ってるだけの」
冗談交じりに答えると、カトリナが笑った。
「パン屋で、オニギリ屋で、ヒーローです!店長さんは!」
「やめろって……」
輪は顔をそむけながらも、肩が少し誇らしげに揺れていた。
『車両レベル:8に到達。スキル選択可能です』
まだ、終わりではない。
村を救った今、次はどう生きるか。正体はバレてしまった。あんな大立ち回りの末で「ただの商人です」と言っても納得してくれるかどうか。頭が痛い事だらけだ。
でも自分の隣で誇らしげに車に礼を言いながら車体を撫でるカトリナを見つめ、死ぬ前の自分の働く理由を思い出していた。物を運び言われるありがとう、それと今の感謝の言葉が重なった気がした。
「悪くないな……異世界も」
輪は、遠くの空を見上げて呟いた。
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