74話 目覚め
視界が白から徐々に色を取り戻す。
輪は泣き腫らした重い瞼をこじ開けると、湿った洞窟の空気を肺に吸い込んだ。
身体にのしかかるようにあった倦怠感が幾分か軽減していた。周囲にある魔鉱石の光を体に浴び、ようやく体を動かせるだけの力を取り戻したのだと気付く。
残り少ない命の灯火を、自分にも分け与えたのか。遠井 美咲の遺した魔鉱石を、輪は苦悶の表情で見つめた。
ここから出なくては。
足取りはまだ覚束ない。それでも凹凸の山程ある洞窟の壁を辛い、薄い緑色の光を頼りにゆっくりと外へ向かった。
洞窟の出口に差し込む光は、夜明けの輝き。
東の空が橙色に染まり、浜辺に射し込む朝日が濡れた砂を照らしていた。
目を細めた輪は、しばし立ち尽くす。
戦いの夜が終わったことを、遠井 美咲が亡くなっていた事実を世界が告げている気がした。
「あ……店長さん!」
聞き慣れた声に、息を荒くしながら顔を上げる。洞窟の入口のすぐそば、カトリナがこちらに気付き手を大きく振りながら叫んでいた。
腕、そして頭にも厚めの包帯が巻かれている。エアバッグの衝撃を受けても尚、6mの巨体との衝突は吸収し切れなかったのだろう。
時折顔を顰めながらも、彼女は手を振る事をやめず。輪に駆け寄ると、涙を浮かべながら、彼の作業着をぎゅっと掴み、顔を埋めた。
「心配したんですよ!? 起きたら店長さんいなくて……どこに行っちゃったのかって……探してっ!」
声が震えている。安堵と怒りが混ざり合って、言葉にならない感情が押し寄せていた。
カトリナの包帯で覆われてない部位をゆっくりと撫でると、作業着を掴む力が一層強くなり、顔を擦り付けられる。
「随分探しましたのよ。まさか洞窟の奥にいるなんて……何かありましたの?」
カトリナを宥めていると、リュシエルの落ち着いた声。
LAVの天井で戦い抜いた彼女もまた傷だらけ。ライダースーツの至る所に戦闘やターロスからの水星を浴びた裂け目。どういう原理か血が流れた痕跡はあるが、下の皮膚は傷口が塞がり、瑞々しい柔肌が露出している。
「全員、ゴーレムの爆発の衝撃で気を失ってね。気付いたら君の姿だけが消えていたんだ」
ケセドが付け加える。視線を浜辺に動かすと、6mのターロスの体が散乱しており、翠の光は消え失せていた。洞窟の中のターロスや魔鉱石同様、魔力を失い、力尽きたのだろう遺体。
壮絶な戦闘の末撃破したターロスだが、輪は思わず奥歯を噛み締める。同じく異世界から転生してきた遠井 美咲の子供ともいえる存在。それに銃弾を撃ち込み”殺した”という事実。再度胸が絞られるような想いが湧き上がる。
視線を思わず下に動かすと、輪の視界に映るケセドの腕。ローブから覗く左手、中指が青紫色に腫れ、痙攣するように震えていた。
「お前それ……」
「彗星……魔力を限界超えて練り上げた結果だよ。左腕は痺れて感覚がないが……安い物さ。魔鉱ゴーレムを木っ端微塵にしてしまった事だけが、心残りだけれど、ね」
ターロスが放った水星により所々抉れた砂浜。朝日に照らされた場所では、生き残った冒険者や町民達が、互いを称え合い、更に夜明けと同時に駆けつけた町の救援部隊が、倒れた仲間の介抱をしていた。
つい数時間前まで地獄のようだった浜辺は、今ようやく「終わり」を迎えていた。
そんな光景を眺めながら、輪はぽつりと呟いた。
遠井 美咲を追い込み、自身は戦いの場にも現れない町の長の風上にも置けない人物。
「……なぁ、あの町長はどこにいる?」
ケセドがレンズにヒビの入った眼鏡の奥で目を細める。
「あぁ、あの豚ならここにはいないよ。きっと自分の小さな城にでも引き籠もっているんじゃないかな」
「結局最後まで姿を見ぬままでしたわね、豚」
「さて──クッルーマーの主よ、あの時の約束を……」
「悪い。後にしてくれ」
輪は言葉を遮り、まだ抱きついたままのカトリナをそっと引き剥がした。目元が赤く、泣き腫らした彼女から目を逸らし、砂浜に停められた車へと足を向ける。
魔力の枯渇の影響か、漆黒のLAVは既に元のワゴンRの姿に戻っていた。荒れ果てた戦場には似つかわしくない、小さな相棒の姿。
LAVから損傷状態を引き継いでいるようで、バンパーは自動修復が追い付かず、ターロスに衝突した凹みがそのまま残っている。右ヘッドライト部分はひしゃげ、中の電灯が露出。フロントガラスは残っておらず開放的。
輪は運転手席に乗り込むと、試しにエンジンを掛ける。回復したとはいえ枯渇寸前の現在の魔力量で動作するか賭けではあったが、微かな振動と共に、車体が答えた。排気口から煙を出しつつ、満身創痍の相棒は嘶く。
運転手席のシートに深く体を埋め、深呼吸ひとつ。
動くだけでも視界が揺れ、嘔吐し掛けるような不快感がこみ上げる。本当であれば車の後部座席に横になり泥の様に眠りたいという欲求もある。だが遠井 美咲を死まで追いやった当事者は飄々とした顔で町で踏ん反り返っている事を考えると、腸が煮えくり返る。その思いが無理矢理体を動かしていた。
顔は青白いままだが、輪は呟くように皆に投げかける。
「帰るか……町に」
「店長さん……?無理をしない方が……」
目元を赤く染めたカトリナが、心配そうに鼻声混じりで尋ねるが、輪は視線を落としナッソー港町の方向を睨んでいた。
その背を見つめ、リュシエルは一言も発さなかった。ただ、目を細めて輪の背中を見ている。
「……乗りましょう、カトリナ。貴方も限界でしょう?」
「で、でも店長さんがっ。今クルマを動かしたら──」
「大丈夫だ。町に帰るくらいなら……持つさ」
洞窟の中で何があったに違いないが、輪の鬼気迫る蒼白の顔に誰も声を掛けられず。
カトリナはヘルメットを抱えながら、不安気に助手席へ乗り込む。心配をかけているのは百も承知だが、輪はその心配に言葉を返す事無く、ギアをドライブに入れ込んだ。
車は四人を乗せて洞窟前の浜辺からゆっくりと動き出した。ナッソー港へ向けて。
すみません、前話で少し燃え尽きておりました。お待たせさせた方、申し訳ありません。
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