61話 涙の跡
「危ないところだったぞ……」
ハンドルを握るカトリナの耳に、後部座席から輪の息混じりの声が届く。
海岸沿いの細い道を、ワゴンRは波音を聞きながらゆっくりと走っていく。
潮風が窓から吹き込み、エンジンの低い唸りと混ざって心地よい振動が足元に伝わってくる。
「何があったんですか?」
カトリナは急発進で傾いたヘルメットを直しつつ、バックミラー越しに視線を投げた。
輪の髪にはまだ洞窟の土埃が絡みつき、砂粒が頬に貼り付いている。
「ゴーレムを作った人と話そうと思ったんだけどな……拒否された」
輪は短く答え、背中を座席に預ける。
唐突な戦闘に、身に覚えの無いスキルの発動。様々な事象が行列で並び、脳の処理が追い付かない内に成人男性を抱えての全力疾走。疲労困憊。
「壮観だったよ」
ケセドが口を開いた。まだ顔は若干青白く息は少し荒いが、声には妙な熱がある。
「作り自体は簡素な物だが、あの数のゴーレムを生み出せるのは、人外級の魔力量でしかあり得ないね。流石女神、伊達では無い」
彼は指先を胸元で組み、大群を成す土塊を思い出すように瞼を細める。
輪にとってはただの悪夢の為、早々に消し去りたい光景だが、やはりマッドサイエンティストの思考は一線を画すらしい。
「奥にいる巨人と違って……あの白いリボンを付けたゴーレムは、戦う意志が感じられませんわ」
助手席のリュシエルが、海風に揺れる銀髪を指で押さえながらメロンパンを食べ終え、静かに言った。
その横顔は穏やかだが、眼差しの奥には鋭い観察の光が宿っている。
「あぁ、多分あの個体が美咲さ……女神様の意志を伝えてるんだと思う」
海面にきらめく朝日が、フロントガラス越しに揺れて見える。
間違いなく遠井 美咲は応答してきた。しかし姿は見せず、スマホのメッセージ越しな事が口惜しい。輪は何度もスマホでの彼女とのやり取りを眺める。
出来る事なら同じ世界の住人であろう自分が、対面して言葉を交わしたかった。少なくとも今車内にいる者達は彼女を化け物呼ばわりする事はない。孤独でないと伝えたかった。
「奥の個体の魔力に反応しているような波長だったね」
ケセドは自分のこめかみに指先を当て、何かを反芻するように呟く。
そして、ふいにその視線が後部座席横の輪へ向いた。
「それもそうだが君! あの魔法は何なんだい!?」
「あー……魔王の配下の狐から奪ったスキルというか……」
「奪った!?」
「いや、まあ、色々あってだな……」
「色々ってなんだい! あれは火でも水でも風でも土でもなかった! 光か闇かも判断できない! ぜひ僕に──」
「だから撃たねぇよ!」
輪は即答し、スーパーな男のように胸元を開けっ広げようとするケセドの肩を押し返す。
だがケセドは先程の軟弱さはどこへやら、妙に食い下がる笑みを浮かべ、後部座席でじりじりと距離を詰めてくる。
『輪様、その青髪の変態を窓から放り出しても構いません』
唐突にナビ子の冷ややかな声が車内に流れ、運転しているカトリナが吹き出しそうになる。
「お前まで何言ってんだ!」
「いや、僕は変態じゃない。魔導具と未知の魔法に対して探究心が──いや待てこの声は何処から」
「これ以上騒ぎますと、後ろ半分を切り落としますわよ?」
リュシエルが助手席から車内の空気を凍らせる一言。やりかねない。この暴迅、先程エネルギーチャージを終えている。本当にワゴンRがワゴンとRで分断され兼ねない。
『皆様これ以上騒がれませんようお願い申し上げます。後部座席がさよならしてしまいます』
ナビ子からの命乞いのような頼みに、輪は姿勢を正し、ケセドは不満そうに口をつぐんだ。
海沿いの道はゆるやかにカーブし、波飛沫が時折フロントガラスを濡らす。
それでも車内の空気は、先ほどの洞窟の緊迫感とは別の、奇妙に緩んだ空気に包まれていた。
* * *
港町の夜は、昼間の喧噪が嘘のように静まり返っていた。
昼間の復興作業や配給で疲れた人々は、灯りの消えた家屋に籠もり、遠くの波音だけがかすかに聞こえる。
輪はキッチンカーの片隅、ランタンの明かりの下で、一冊の手帳を膝に開いていた。
ページの所々がよれて、薄い紙が波打っている。指でなぞると、ほんのわずかに硬く、湿った跡が指先に引っかかった。
涙の跡だ。
読み返すたびに胸の奥がきしむ。そこに綴られているのは、心細さ、孤独、そして「信頼できる人がいない」ことへの恐怖だった。
短い文章と震えた字から、それを記した彼女の夜が、暗く寒いものだったことが伝わってくる。
「店長さん、何読んでるんですか?」
背後から聞こえた声に、輪は顔を上げる。
振り向けば、エプロン姿のカトリナが、湯気の立つマグカップを両手に抱えて立っていた。配給を終え、着替える間もなくこちらへ来たらしい。
「いや……カトリナがいてくれて良かったと思ってさ」
「っ!? な、何のことですかっ?」
唐突な言葉に、カトリナの耳まで赤く染まった。
輪はそれ以上茶化さず、再び手帳に視線を落とす。
──もし彼女がいなければ、この旅はもっと空虚なものになっていただろう。
レッドベア、マモンの魔法陣、彼女がいなければ救えなかったものは数え切れない。そして隣で笑ってくれる人がいたから、輪は自分がまだ前に進めている。そう思えた。
カトリナは頭をかき、気恥ずかしそうに笑う。
『バイト、調子に乗らない』
「ひゃい!」
背筋を伸ばして敬礼のような姿勢を取るカトリナ。その様子に、輪は苦笑を隠せなかった。
そこへ、背後からひたりと気配が寄る。
「二日後には、またゴーレムの襲撃ですわね」
リュシエルがランタンの明かりに銀髪をきらめかせながら近づき、手帳をちらりと一瞥した。
その声は淡々としているが、言葉の端にわずかな警戒の色が滲んでいた。
「ミサキ……ゴーレムの操り手ですの?」
「あぁ、この町の人達から女神って呼ばれてた子だ。多分あの白いリボンを付けたやつを通して、話しかけて来た」
白いリボンを結んだターロス。1番異質で、群れを率いているような印象の一体。他のターロスの動きを静止したり、奥の巨体を説得しているという言動、持ち主以外あり得ない。
「あ、このお花の……オリガミ?を教えて貰ったって町の子が言ってました……そんな人が、どうして」
遠井 美咲の年齢を考えれば、カトリナと同年代であろうか。子供が嬉しそうに、女神から教わった折り紙を作る姿を見ていた彼女は、複雑げな表情を浮かべる。
子供達は理解していないのだ。自分達を襲っている正体が、その女神だと。
輪は視線を手帳に落とした。
そこには震える字で、こう記されていた。
『誰かの「ありがとう」が、あたしにとって、どれだけ温かいものだったか』
ページの端は涙でにじみ、文字がところどころ欠けている。
胸の奥が熱くなるのを押さえながら、輪はそっと手帳を閉じた。
「止めなきゃな……その為に出来ることをしよう」
これ以上傷付けさせない。彼女が育んで築いたこの町を。彼女の想いを笑顔で紡ぐ子供達を。
ゴーレム襲撃まで、あと1日。
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