6話 おにぎり始めました
朝。冷え込みが和らいだ村の空気に、ふんわりとした湯気の香りが乗っていた。
教会跡の裏手、屋台の棚に置かれた大きなおひつから、立ちのぼる米の香り。ふっくらと炊かれた白米が、ほんのり艶をまとって湯気を立てている。
かすかに甘く、香ばしく、それでいて力強い──空腹時には胃袋を鷲掴みにする香りだ。
ふたを開けた瞬間、もわっと立ち上る蒸気に、輪は思わず目を細めた。
「……炊き立てだ。完璧なタイミングで仕上がってるな……パンの時も驚いたけどさ」
おひつの前には、小さなショーケース。そこには、異世界とは思えぬレベルで整えられた色とりどりの具材が、つややかに並んでいた。
塩鮭の切り身、出汁で煮られ細かく切られた昆布、艶やかかな梅干し、そして──とろける黄身の半熟煮卵までもが、完璧な状態で保温されスタンバイしている。
輪はパン屋状態とは様変わりした屋台を前に眉をひそめた。
「……で、ナビ子よ」
『はい。今朝も張り切って販売準備を整えました』
「なんでさ。なんでパンは自動生成なのに、おにぎりで名店感出してくるんだよ⁉︎ 握れってか!」
文句を言いながらも、しゃもじでおひつの中の艶々炊き上がり米を混ぜる。スキルポイントを使用した後悔を発散するかのように、激しく、それでいて米の粒を潰さないよう優しく。
『検索したところ、現代の都心部では“目の前で握るおにぎり専門店”が流行しているとのこと。流行の波には乗らないととナビながらに感じた次第です』
「ふざけんなあっつ!しっかり炊き立て出すなよ!」
おひつから立ち昇る湯気で指を火傷しかけながら、輪は叫んだ。
しかし、文句を言っていても始まらない。既に村には林檎農家の作業員が朝早くから動き出している。パンを売ってる時もそうだが、作業員も購入層の上位に食い込む上客なのだ。もたついていては稼ぎ時を逃してしまう。
そこへ、昨日振りの元気な声が響いた。
「おはようございまーす!……あえ?今日はパンじゃないんですか?」
ディアンドル風のスカートをひらめかせて、右側頭部から寝癖をつけたカトリナが屋台に駆け寄ってくる。ショーケースを覗き込んだ彼女の目が、炊き立ての湯気を出す米と並ぶ具材達に釘付けになった。
食欲旺盛なバイトはパンを眺める時と同じように、口の端から涎を流さんばかりの表情をしている。
「ああ、今日は新メニューだ。……名付けて、おにぎりだ」
輪はため息まじりに説明しながら、試しにひとつ、塩だけで握ったおにぎりをカトリナに手渡した。
「え、えと……オニギリ?どう食べれば良いんですか?」
「パンと一緒だ。齧り付いてくれ」
恐る恐る一口おにぎりを頬張るカトリナ。
それを尻目に、輪は自分も試食してみようとおにぎりを握る。ほかほかの白米に、指先に伝わるちょうどよい弾力。艶のある米粒が、指からこぼれそうになるのを包み込むように握っていく。力を入れ過ぎると米の歯応えが崩れてしまう。優しくを心がけ、器用に三角の形を描く。
炊き立ての香りと、手に事前に振っておいたほのかな塩の香りをまとい──まるでそれだけで、幸福の塊のようだ。
カトリナは既に食べ終えており、そっと頬に当てて目を閉じていた。
「お、美味しいです……塩気があるけど、オコメ……?が甘くて、食べ応えが……これ凄いです!店長さん、どこでこんな美味しいものを⁉︎」
「あー……俺は東の方出身でさ。そこの料理なんだ」
輪はやや照れながら、嘘とも本当ともつかない言い訳を返す。異世界の事を隠し通すのは中々難しい。特にこの世界に存在するかどうか分からない米などの存在は特に。餡子も中々に危ない橋ではあったが。
一口自分で握ったおにぎりを食べると、輪は思わず身を震わした。上手い、日本人やはり米。異世界に来てから混乱だらけであったが、米は全てを吹き飛ばす栄養剤である。
「でさ、今日はこのおにぎりを握って欲しいんだ。さっきの俺みたいに……出来るか?」
「あいあい!お任せください店長さん!」
満面の笑顔とともに、カトリナは輪からおにぎり専用の型を受け取り、販売準備に取りかかった。
このおにぎりの型は凄い。熱々の米でも型に適量入れ込み、具材を真ん中に、更に反対の型で包むだけ。同時に三つほどおにぎりを素人でも作ることが出来る。最後に海苔を巻くと立派な商品の完成。
そういえば海苔を消化出来るのは一部の人間のみと耳にしたが、異世界人が食べても大丈夫なのだろうかと輪は不安に思ったが、死にはしない精神で行く事にした。レベルの為、致し方なし。
具材のショーケースの中身も、ナビ子のセンスが爆発していた。
・しっとり塩鮭──ふんわりと脂の乗った切り身がほぐされ、ほんのり香る炭火の香ばしさ
・味付け昆布──醤油で甘辛く煮詰め、細切りにした上で胡麻が振りかけてある
・煮卵──とろけるような食感で、ほのかに甘い醤油味。半熟具合がそそる
・柚子胡椒鶏そぼろ──ピリッとした柚子の香りが鼻に抜けるアクセント
・梅干し──清涼感のある風味が口いっぱいに広がる。果たして異世界で通用するのか
試しにカトリナは型にご飯を詰め、丁寧に具材を中央に入れていく。適量が難しいらしく、上から横からはみ出ることもあるがご愛敬である。
前から後ろまで下を潜り込むように海苔を巻き、最後に中身が分かるよう具材の鮭をおにぎりの上に乗せ、完成。第一号としては上々。
「はいっ、おにぎり一個、できあがりですっ!」
その声に引かれ、徐々に村人が集まり始めた──が、皆どこか眉をひそめていた。
「これは……何だ?今日はパンじゃねぇのか」
「この丸い塊は……」
明らかに戸惑いの色が濃い。当然である。パン以上に正体不明の食べ物、3日前からとはいえ得体の知らない商人が販売しているのだ。
しかし、カトリナにお熱気味の一人の農家民が、興味本位でひとつ買い求める。
カトリナのおにぎり第一号と銅貨2枚を交換し、恐る恐る一口──そして。
「……おいしい!なんだこれ、あったかい!中に……魚⁉︎」
男性の驚きも交えた叫びに、周囲の空気が一変する。
次の瞬間、パン屋の時と同じように列が一気に伸び始めた。
「おい坊主、それは何だ!その中身は⁉︎」
「その具材はどれを選んだ!?」
「そっちの女の子、俺にはそれと同じのを頼む!」
戸惑いは、たったひと口の感動で吹き飛んだ。
気づけば屋台の前には、昨日以上の活気があふれていた。
その後、村人たちは列を成し、異国の料理「オニギリ」を次々と手にしていった。
「この……シオジャケってのが旨いな!」
「この黒いの……甘い!?コンブ?うまっ……!」
「うちの婆さんにも持って帰りてぇ!そっちの女の子、もう一個頼む!」
最初は警戒していた村人たちだったが、一人が食べてみせた途端に流れが変わった。
温かさと噛むほどに広がる味。見慣れぬ形も、香ばしい米の匂いと食感の前では何の障壁にもならなかった。
「コメの塊だって⁉︎ こんな旨いもん、初めてだぞ!」
「カトリナちゃん、わたしにはタマゴのやつをひとつ!」
「俺はユズの香りのやつが好きだな。あのピリッとしたやつ!」
注文の声が飛び交う中、カトリナは笑顔でオニギリを量産していく。
型に詰めて、具材を入れて、握る。最初こそ不格好だったが、数をこなすうちに手つきも慣れてきた。
輪は横でレジと補助に回りながら、その様子を見守る。
ナビ子の無機質な声が、耳元で状況を報告する。
『現在販売数:53個。獲得経験値:18ポイント。レベルアップまで残り6ポイントです』
「すげぇな……銅貨2枚で売ってんのに、全然躊躇がねぇ」
普段なら節約重視の村人たちが、今日は財布の紐をゆるめている。
この世界にはまだ存在しない“コメ”と“オニギリ”という文化が、確かに人々の心と胃袋をつかんでいた。
やがて昼を過ぎ、具材がほぼ完売する頃。
「今日も……めっちゃ売れましたね店長さん!」
「おう。カトリナの頑張りのおかげだ。……というか、めちゃくちゃ上達してんな」
「えへへ〜!最初はシャケがはみ出しちゃってたけど……でも楽しくて!」
カトリナは笑いながら、もうひとつ残っていたオニギリを紙に包んで懐にしまう。
「わたし、今日の賄いはこの“コンブ”にしますっ!」
「……いいセンスだな。俺はシャケ派だけど」
輪は車内の画面を確認した。
経験値バーがちょうど満タンに達していた。
『販売車:経験値蓄積完了。レベル5に到達』
瞬間、表示が切り替わり、新たなスキル候補が一覧に並ぶ。
その中には、「戦闘車両モード」の文字も浮かんでいた──必要レベル10、スキルポイント:20。
「あと5レベル……か。ん?なんだこれ……制限解放?」
未だレベル的に解放できない筈の戦闘車両の欄の下に表示された見覚えのない文字列。思わず輪はそれを読み上げてしまう。
──その時、
遠くで、ゴォン……ゴォン……と、重く鈍い鐘の音が鳴り響いた。
「……え、これって……うそ……⁉︎」
カトリナがびくりと肩をすくめる。
村の通りを走る人影、ざわめく声。普段は聞こえない“緊急時”の雰囲気が漂う。
輪が警戒しながら耳を澄ませると、村の門番らしき男が叫んでいた。
「魔獣群だ!西の森からっ……ダイヤウルフの群れが来るぞ‼︎」
「……ダイヤウルフってお前……中級ハンター達の獲物じゃねぇか。俺達衛兵でどうしろってんだ……」
『警告:中型魔獣接近中。推定個体数5~7体。現在、村へ向けて直進中』
ナビ子の声が、今朝とはまるで違う、低く緊張をはらんだトーンで響いた。
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