54話 ミサキ=トオイ
「町長は代替わりでな……町民はほぼ蚊帳の外だ。それでも前の町長は良かったんだぜ?俺達の意見もちゃんと聞いてくれてな……今の町長は度を超えて酷い。税を上乗せ、加えて船で漁に出る度に課税と来やがる」
「あいつだけが儲かるんだ。やってらんねぇよ」
「町を逃げ出したいけど……家族もいるから。それにここでの生き方以外知らないのよ」
「一度町が津波に飲まれてね……あれは酷かった。完全に無事だったのは町の中でも1番高い位置に豪邸を建てている町長のとこだけ」
そんな時に急に現れたのが、女神と呼ばれるミサキ=トオイだった。
「不思議な服装だったよ。白い服に、青いスカート……胸元に赤い帯を付けてたね。顔も……そう、貴方と同じ様な感じ。この辺だと見慣れない顔付きだった」
セーラー服、かも知れないと輪は感じた。中学生か、高校生。トオイ ミサキは確実に自身と同じ場所から来た日本人。
彼女は町にふらっと現れ、存在自体が珍しいゴーレムを、まるで手足のように動かしていた。
まるで神の御業。町は津波に流され、人力だけでは修復の目処が立たない破損具合だったが、数十体の人形のゴーレムが飲まず食わずで昼夜問わず働き回り、3ヶ月も経過する頃には、津波前とほぼ遜色ないまでに戻っていた。
前町長は喜び、ミサキを功労者として、土塊の女神として崇めた。
王都からの呼び出し、招待を彼女に伝えず揉み消したのは、前町長。この町にいて欲しいと考えての事だったのだろう。恩人に対しての仕打ちとは思えない。
そして二年後、息子の元町長になってからは扱いが正反対、文字通り180度変わった。
「女神から魔女扱いよ。いつかあいつは町を乗っ取るつもりだって……ミサキ様の家に乗り込んだの。身柄を取り押さえてね……見てられなかった。手枷をかけて、町民全員の前で吊し上げて、的外れな叱責をしてたの」
「……でもさ、誰が庇えるんだよ。恩人だよ、間違いない。この町にとっての救世主だ……でもよ、次は俺の番になるかも知れない……子供がいるんだ。そんな事、口が裂けても言えなかった」
聞けば聞くほど気分が悪い。込み上げる吐き気と憎悪。
あの立派な防波堤を築き、村を立て直した少女を、誰一人として我が身可愛さで庇う事なく、彼女は一身に否定を受け、誰も寄り付かない洞窟、入江へ投獄された。町にした行いは間違いなく善意であったにも関わらず、あの肥えた町長の策略のせいで。
「……ゴーレム、止める必要あるのか」
半壊した港から海を眺めながら、輪は思わず呟いた。
間違いなくゴーレムを制御しているであろうミサキ様は、怒りの留め金が外れてしまったのであろう。町長からは魔女を貶され、町民達に見捨てられ、憤る理由は納得しかない。
理解してはいる。このままいけば、この港町はディルマ村と同じ結末を迎える。数多の犠牲が出て、港町も再起不能に陥る可能性がある。罪のない子供もいる。
だが同郷の者かも知れない女性が、自分と同じように右も左も分からない彼女が、受けた仕打ちを赦す事は──、
「僕も同意見だ。あの豚は彼女を追放し、今は我が身可愛さで邸宅に引き籠っている。物資を欲していたのも、それを裏で商人か何かに流し、金銭を工面しようとしているのだろうね。町民も彼を非難しているが、彼女を見捨てた……自業自得ってやつさ」
黒いローブに潮風を受けながら、輪の憤りを代弁してくるケセド。
精巧に作り出された、貼り付けられた笑み。業とらしいそれだが、異性であれば虜にしていたに違いない。相手は同性で、その動機について判明していれば話は別。
「俺に同調すれば、車の中を見させてくれるとか思ってるだろ」
「ふむ……バレたか。人間は同調、肯定してくる者に弱い筈だが、君は違うみたいだ」
顎先を掻きながら、悪びれもせずに自身の思惑を惜しげもなく暴露する。裏表ないその態度に、輪は思わず苦笑した。
「僕は正直、ここにいる町の者達の命、因縁にも全くもって興味はない。死のうが破壊されようがどうでも良い。女神とゴーレム、君と魔導具……それ以外は研究対象には含まれていないのでね」
根っからの研究体質なだけで、興味の有無による、その線引きが極端過ぎるともいえる。
「教会の書庫に行くと良い。ミサキ=トオイ……彼女が足繫く通っていた場所のようだ」
「書庫……あ、おい、ありがとうな」
「サンドウィッチとやらの礼さ。他人に貸しを作るのは好まないのでね」
根っから悪い者ではないのかも知れない。変態だが。
* * *
避難所として使われている教会の裏手。
重く軋む扉を押し開けると、そこには時が止まったような静寂が広がっていた。
「えほっ……凄い埃だな」
天井まで届きそうな書棚が並び、積み重なる古文書、記録、辞典、祈祷書。
扉を開けたことで空気が動き、棚の隙間から眠っていた埃がふわりと舞い上がる。鼻に紙の乾いた香りと、微かなカビの匂いが混ざって届いた。
窓から差し込む沈み掛けた夕陽の微かな明かりを頼りに、輪は一歩ずつ、軋む床を踏みしめながら書庫の中へと足を進めた。
本は好きだった。
仕事の合間にワゴンRの中で読み漁っていたライトノベルやSF小説。異世界なんて夢物語を笑っていた自身が、その境遇に合うとは夢にも思わなかった。
輪はこの世界でも一度、本を買った事はあった。だが、翻訳スキルが勝手に発動した途端、文字がじわりと蠢き、蛆虫のように変化して日本語に変わる、その瞬間がどうしても生理的に受け付けず。いつしか、読書の習慣が途切れていた。
ミサキ=トオイ。セーラー服姿の少女。ゴーレムを生み出し、この町を救い、それでも見捨てられた女神。
ケセドの忠告、「教会の書庫によく通っていた」と。一体何をしに、目的は、意図は。
輪は奥へと進む。書棚と書棚の合間、狭い隙間に小さな木製の机があった。
人ひとりがようやく座れるくらいの古びた椅子。誰にも見つからない場所に、ぽつんと置かれた作業台のようなその机の上に──
「……!」
目を奪われた。
そこにあったのは、明らかにこの世界の物ではない、見慣れた品。輪も授業で使った覚えのあるリング式のノート。罫線が印刷された白い表紙。少し角が折れて、使い込まれた跡がある。
手が自然と伸びた。指先で表紙に触れる。この世界の紙とは違う、さらりとした質感。なつかしい感触。
そして、そこに書かれていた名前。
──遠井 美咲。
止まる、呼吸が。胸の奥で何かがぐっと詰まる。
「……とおい みさき」
間違いない。これは彼女のものだ。
日記か、記録か、それとも──、
そっと、ノートを開いた。
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