43話 代償の行方
「えー……でもわたしはリューさんはお姉さんって感じだから、あんまり呼び捨ては……あっ、ハナさんが呼んでます!ごめんなさい店長さん、行ってきますね!」
部屋の外から呼ばれる声。
カトリナは魔法が施され、店長と呼ぶ相手が映る鏡に向かい、申し訳なさそうに頭を下げると、部屋を飛び出した。
湯上がりで湯気をほんのり漂わせ、普段のゆるふわな胸元まで伸びた栗毛もしっとりと潤わせている。
服装はディルマ村村長の娘、ハナに借りた純白ロングのネグリジェ。胸元に可愛らしくリボンが付けられ、肌を心地良く包む着心地に自然と笑みが漏れる。
店長と呼ぶ彼が、この姿を見て若干頬を赤らめてくれていた。その事実が何故か嬉しい。自分でも理由が分からない。
「ハナさん、お待たせしましたっ」
「カトリナちゃん、ごめんね。眠る前にお茶でもどうかなって」
自分を呼ぶ声を頼りに食堂に向かうと、カトリナと同じような薄い青色のネグリジェに身を包んだハナの姿。
手にはポットを持ち、注ぎ口から小さく湯気が漏れている。並べられたティーカップと、少量のクッキーを見て軽く頷く。
「わぁー、頂きますね!」
「誰かと話している声がしてたけど……独り言?」
「えーっと……あはは、初めてこんな綺麗な服を着れて、舞い上がっちゃって……」
遠方の人と会話出来る鏡があるんです、とは信じ難い。
実際に証拠を見せる事も出来るが、今日両親を亡くし、母に至っては2度目の死を見届けたハナに対して驚きは心労になりかねない。
カトリナは頭をかきながら、視線を外す。
「ふふ、そっか」
よく見るとハナの目元には赤い隈。無理もない、ここ2日ハナが眠る姿をカトリナは見ていなかった。
短時間入眠出来たとしてもうなされ、額に玉のような汗をかきながら飛び起きる。心配し同じ部屋で寝ていたカトリナは、頭を抱える彼女を何度も見ていた。
「ラベンダーのお茶なの。気が休まるからって……よく母が買っていたの。父も……それで、一緒に……」
何が沸点になるかは分からない。この時は家族が好んだ茶葉だったのだろう。
両親が息を引き取り、布を被せた時に歯を食いしばり涙を堪えていたハナの目元から、堰を切ったように大量の涙が零れ落ちる。
「あ、あれ?ごめんね……っ、ごめんなさい……っ。泣かないって、決めてたのにっ。なんで、なんでぇ……」
落とし掛けたティーポットをハナの手から受け取りつつ、カトリナはそっと嗚咽を我慢する彼女の体を包む。
きっと何も出来なかった自身への責苦。嘔吐したいくらいの後悔。過去への未練。様々な物が入り混じり収集が付かなくなっているのだろう。
過去の自分と大量の後悔を目から流す彼女が重なる。
村が亡くなる寸前、手を伸ばしたけど届かない。大人に抱き抱えられ逃げ延びた自分。何でわたしだけ、皆と一緒にいたい。
『アンタは一生、故郷の死んだ物達の“嫉妬”に渦巻かれながら生きるのよ。あたしが刻んだ、その証、大切になさい』
誰。何だろう、聞こえた気がした。青く燃える家の中で連れ出される前、女性のような人影から発せられた声。
同時に右脚、太股から腹部にかけてが熱く疼く。ティーポットを触れている火傷しかけの手と違い、皮膚の内側から冷たく刺されるような感覚。
その痛みに顔をしかめながらも、カトリナは「大丈夫」とハナに声を掛ける。
どんな声掛けも意味を成さない。だから今は自身の苦痛を無視して相手を抱き締める。今離れたら、この人は壊れてしまう気がしたから。
* * *
「やっぱり何もない……なんなんだろう、あの痛み」
次の日、姿見で太股に何も痕が残っていない事を確認する。
日で軽く焼け健康的な脚部、純白の下着の下の太股部分には傷跡などなく、軽く叩いてみるが赤みを帯びるだけでそれ以上の疼痛はない。昨夜の痛みが嘘のよう。
果たして背筋の凍るような声の主は誰だったのか、見当も付かない。
カトリナの記憶にあるのは村から連れ出された時と、その次の日にベッドで起きた時しか無い。村が崩壊した時の記憶は、削り取られたように覚えがない。
「嫉妬……?あっ、それよりも準備準備!」
純白のネグリジェは名残惜しいが、普段の服装に着替える。
白い袖がふわりと膨らんだブラウス、簡単な刺繡の入ったスカート。胸元から下をコルセットで止め、動き易さを重視した服装になっている。最後に革靴を履けば、普段通りの村娘完成である。
まだ朝の冷気が残る頃、ハナとカトリナの二人は村を出発した。
木製のソリは村の倉庫から引っ張り出したもので、本来は薪や収穫物を運ぶためのもの。
その頑丈に作られたソリの上に、白布で包んだハナの父と母の遺体を並べる。骨と皮の状態になりかけていた村長も女子二人の力では想像以上の重量であり、運ぶだけでも一苦労。
母の方は液体状の為、布に浸出液がじわじわと滴る。何重か布で包み、村長の腕の中に戻す。亡くなり血色が抜けつつある村長の顔は、未だ幸せそうな表情が滲んでいた。手を合わせ、再度布に包む。
その脇にスコップを積み、ソリを二重三重に縄で結ぶ。万が一横転した際に中身が無事であるように。
そしてソリから伸ばした縄を腰に巻きつけ、二人は左右に並ぶ。
ディルマ村は山の麓にある。今からその山を中腹まで登っていく予定だった。
最初のうちは緩やかな坂道だった。
だが、土が乾いて滑りやすく、砂利や生えた雑草にソリは引っかかり、二人共転がりそうになる。
その度に後ろを振り返り、ソリが無事な事に安心し息を吐く。
「……ごめんね、ママ。もうちょっとだけ、我慢して」
妻を抱え小さく丸まった父。白布で覆われたその小ささは、父の生前の威厳を感じさせない物だった。
呟くハナを少し気にするが、声を掛けずただ縄を握る手に力を込める。
途中、足元の石につまずいて転びかけた。
ぶつけて擦りむいた足と、膝をついた拍子に縄が喰い込み、腰に鈍い痛みが走る。
だが、立ち止まると寒さが沁みてくる。止まったら諦めが勝って二度と歩き出せなそうな気がした。心配気なハナに、カトリナは力強く頷き返すと、一歩、また一歩と山道を踏みしめた。
1時間程歩いただろうか。やがて、木立の隙間から村全体が見渡せる場所に辿り着いた。
刈られた麦畑が茶色の絨毯のように広がる。そこに傷跡のように刻まれた亀裂。小さくなった村の家々と、足元には村長邸が見える。
ディルマ村は麦畑を含めると、サラン村の倍の面積は優にあった。それが今では無人。麦を収穫し暮らしていた村人達も大半が亡くなり、25人の生存者もセレア街に搬送された。広大ではあるが寂しい、過去の遺物となり掛けている村が、そこにはあった。
「……ここには毎年、麦の収穫後、家族で登ってきて次の年の豊作を祈っていたの」
ハナがそう言って、腰の縄を解く。その表情は穏やかで、昨日の涙を流した村長の娘はいなかった。
「幸せだった。母が寝込むと、途端にそれもなくなったけれど……一生懸命に生きるこの村の人達の事も、わたしは好きだった」
妻の亡骸を抱え込んだ村長の遺体、それを包んだ白い包みを、二人掛かりでそっと地面に降ろした。亡骸は出立前より重く、息が上がる。
「でもお父様は、それじゃ足りなかったんだね。ママが……心の支えだったんだね。娘のわたしじゃ、代わりになれなかった……」
あとは、穴を掘るだけだった。
冷たい土は硬く、スコップの音が鈍く響く。
根が引っかかれば、力を込めて切り裂く。
額から汗が滴り、泥にまみれながら、二人は交互に掘り続けた。
どれほど時間が経ったか分からなかった。
二人が入るだけの深さまで漸く掘り進められた時、山の頂から吹き込む風が一層強くなった。
「誰も……赦してくれない。わたしだって……ママを二度、死なせた貴方を……赦せない」
「でも……大好きだったよ……パパ」
その風に揺れて、ハナの頬に付着した泥が、目元から溢れた水分で湿っていた。
カトリナはそれを拭おうとはしなかった。
山の頂から流れ込む風は、普段の冷たい物と違い、亡き者達を弔うかのように暖かく感じた。
ここまでがっつりカトリナ視点って初めてかも知れない。
強い子なんです。本当に強い子なんです。生まれた村が崩壊して、他の村をたらいまわしにされても擦れずに生きてきた子なんです。
ハナさんもなんだかんだ言って父親大好きっ子だったんです。この墓作りは絶対に書かなきゃと思い、43話としてあげました。
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