4話 マキノ屋バイト、採用
朝。パンの香ばしい匂いが、教会跡の裏手から村へと流れていく。
輪は屋台を押しながら、少し重いため息をついた。
「今日も売るぞー……いや売るけどさ、昨日のレジの釣り銭処理がまだガチャついてるのが気になる……」
『現在、釣り銭処理ユニットを再調整中。温水スチーム式トング殺菌装置も起動中です』
「パン屋にしては妙にハイテクすぎる」
村の通りに出ると、すでに村人たちがぽつぽつと集まり始めていた。
昨日、あんぱんを食べた少年が今日も母親の手を引いて来ている。
ああ、やりがいはある──と輪は思う。
早朝から続く会計処理、補充作業、客との対応。そのすべてを一人でこなすのは、さすがに限界が近づいていた。パンの補充は自動でできるとはいえ、カーナビでそれなりの操作が必要で、補充時に布で隠して補充しているフリも必要であり、パンを焼いているわけでもないのに汗がにじむ。
「いらっしゃいませー!あ、はい、食パンですね!あっレジが……いたっ!あー! ナビ子、今レジ開けないでくれよ腹に直撃したって!」
『申し訳ありません。釣り銭収納ユニットが──』
レジだの釣り銭入れが唐突に開き、輪の腹部を直撃。もんどり打ちそうになるのを堪え、冷や汗をかきながら客にパンを手渡す。
慌ただしく接客しながら、視界の端に何か違和感を覚えた。
「……うぅ……どうしよう、もうお小遣いが……でもでも……」
聞こえてきたか細い声に、輪が顔を上げると、身を屈めてショーケースに顔をべったりとくっつけてパンを覗き込んでいる女の子がいた。列にも並ばず、端っこの方でガラス越しにクリームパンを凝視し、涎まで垂らしそうな勢いだ
──あまりに至近距離である。
「うわっ、びっくりした!」
「ひゃっ⁉︎ あ、ご、ごめんなさいっ!列に並ばなきゃなのに……っ!」
少女は慌てて顔を離し、手でショーケースをぬぐう。
茶髪のセミロングに、ゆるやかなウェーブがかかった髪。
この村では珍しくもない、ディアンドル風のワンピース──白いブラウスと編み上げのコルセット、膝丈までの長めのスカートが特徴的だ。
「民族衣装っぽい服」と最初に思っていた輪だが、どうやらこの村の女性たちにとっては日常着らしい。
しかし、それにしてもこの子はインパクトが強かった。
少女はパンを見つめ、表情を曇らせながら呟いた。
「……でもでも、クリームパン、昨日は食べられなかったし……いや明日の宿代がぁ……」
彼女の視線は真剣そのもの。
まるで飢えた小動物が、ショーケースの向こうの楽園を見ているかのようだった。
「……あの……もし良ければ手伝ってくれないか?」
列で並んでいる村人に待ったを掛けつつ、輪はつい、少女に声をかけてしまった。
「え?」
押し当て過ぎて少し赤らんだ鼻を隠しながら少女がきょとんとした顔で振り返る。
「会計とか、パンの受け渡しとか手伝ってくれるだけでいい。あ、ちゃんと賄いも出すから」
すると、少女の瞳がぱぁっと輝いた。
「えっ!? ほんとに!? そ、そんな、働かせて貰っていいんですか!?」
「いいよ。むしろ助かる。今一人じゃ手が足りなくてね」
少女はこくこくと頷いたあと、ちょっと気まずそうな表情になった。
「ええと、わたし、カトリナっていいます。前はこの村の林檎農園で働いてたんですけど……」
「ふむ」
「でも、3日前にクビになって……。魔獣が出て街道が塞がれて、貿易が止まったから、収穫しても売れないからって……」
なるほど──と輪は納得した。
魔獣レッドベアによって外部との交易が絶たれ、農産物の流通が止まった。
結果として農家の経営が立ち行かなくなり、真っ先に切られるのは日雇い等の非正規雇用。異世界でも派遣切りがあるのか、何とも世知辛い。
「それで……お腹すきすぎて、元職場の林檎……食い尽くしてやろうかと、思ってたところだったんです」
にっこりと笑って爆弾発言を放つカトリナに、輪は思わず肩をすくめた。
「……可愛い顔して倫理観終わってるな」
「え、なんか言いました?」
「ううん、気のせい。とりあえずエプロンこれ。あとパンを持つ用のトングと、このレジの使い方教えるね」
* * *
数時間後──。
「いらっしゃいませー!……あれ? この銀貨ってパン何個分でしたっけ……?」
「あーそれだと、それパン10個分くらいあるやつ!」
「えーっ!? じゃあ釣り、銅貨8……え9枚? え、数えるとこからやり直しですー!」
カトリナは何度か会計ミスをしながらも、笑顔を絶やさず接客していた。
めげずに挑戦する姿勢、とても美しい。服装も相まって看板娘のよう。林檎農家には悪いが収穫作業よりも対人の接客業の方が彼女には向いていそうだ、と輪は後方で腕組みをしながら頷く。
『売上が増加しています。カトリナ様による顧客吸引効果を確認。販売効率が約1.35倍に向上中です』
ときどき会計を間違えたり、パンを逆さに入れたり、慣れずにトングをパンに突き刺したりするものの──カトリナの明るさと整った容姿は、屋台を訪れる村人の心を和ませていた。パンの美味しさに加え、元気な声と笑顔が加わったことで、屋台にはますます人が集まるようになった。
「カトリナちゃん、可愛いねえ」
「働いてる姿が見られるなんて、パン買いに来る理由が増えたよ」
「えっへへ〜! ありがとうございますっ!」
若干、男客の目当てがズレてきている気もするが、売上が伸びてるので黙認する輪だった。
『経験値蓄積、確認。レベル3に到達』
遂にワゴンRに仲間が加わります。ようやく作品に華が……ナビ子がいましたね、すみません
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