30話 月色の髪と長耳
「名乗り遅れました。魔王配下、七つの大罪を冠する者──“強欲”を賜った、名をマモンと申します」
その声が空気を伝った瞬間、村を包む“それ”が反応した。
足元の大地に走る赤黒い魔力の帯が、細かく蠢く。まるで心臓の鼓動のように、地面の奥から脈打つような衝撃が響いた。
空気が変わる。重く、張り詰める。風の音すら──死んだかのように。
視線を浴びるだけで、肺が圧迫される。
何かが違う。ただの“強敵”ではない。レッドベアに睨まれた時でさえ、ここまで息をする事すら躊躇わせる圧迫感は無かった。そこに在るだけで、世界が歪むような異物感。存在の位相そのものが、この地に合っていない。
“魔王の配下”──その言葉が、現実のものとして肉体に食い込んでくる。
『解析完了。該当魔法陣──術式、二重層構造。主目的は“生命吸収”。村全体より魔力および生命力を抽出する設計と推定』
「生命……吸収……?」
機械音で通知された事実に、脳が理解を拒む。
目の前のこいつは、村全体の命を今正に奪おうとしているのか。狐の顔を卑しく歪ませながら。
『魔法陣数、2。現在の進行速度に基づき推定される発動猶予時間──10分』
スマホから告げる声が、静かに、それでいて確実に死を知らせる鐘のように響いた。
10分。それは猶予ではない。既に時間は進み出している。
「ふむ……実に素晴らしい」
マモンは首を傾げつつ、こちらへゆっくりと歩みを進める。腐った麦、血管の如く走った線を踏み締めながら、一歩また一歩。
「見ただけ……ではありませんね。検知、それも魔力を使用していない。だが魔法陣の種別から用途まで正確に判別する知性……非常に興味深い。貴方方が“終わった”後、その装置ごと、拝借させて頂きましょうか?」
言葉遣いはあくまで柔らかい。丁寧で、その一つ一つの動作が滑らか。けれどその言葉の裏にあるのは、奪う事に対して躊躇は一切ない残虐性。
マモンが片手を上げる。
「あら、貴方でしたの。わたくしの風を払っていたのは」
その先にいた輪との間に割って入るように、リュシエルが立ちはだかる。敵の前で見る羽織越しの背中の頼もしい事この上ない。輪はそのお陰で、我慢していた息をようやく吐く事ができた。
彼女の言葉に、狐は嘲笑する。長く牙が見え隠れする牙を、白手袋で隠しながら。
「おや、あの微風ですか?ただ手を振っただけで、霧散してしまう程の」
「ふふ……流石、魔王の配下ともなると冗談も御上手ですのね。全力で弾き返したこと、分かっていてよ」
一見ただの口論。だが、牽制が混じっている。
リュシエルの右手の親指は刀の鍔を軽く押し、隙を窺い鯉口を切ろうとしている。だが相手は得物はなく、ぶらりと垂れ下がった両手。何も武器を持っていない、彼女が一挙に攻め立てられない理由にはそれもあった。
「久方振り……100年程振りですかねぇ。ここまでわたしに圧されず、口を交わすお馬鹿さんは」
その白手袋に包まれた指先が、宙をなぞる様に、ぬるりと持ち上がる。その先には──リュシエル。
「──ッ」
反応する間もなかった。
指差された次の瞬間、抜刀し掛けたリュシエルの深く被ったフードが爆ぜるように発火。
青白い火花。風のない場所で、突然吹き上がるような火炎。
「リュ、リューさんっ!?」
驚きながらカトリナが叫ぶ。突如目の前で人体発火が生じたのだ、慌てるのも無理はない。
リュシエルの肩に手を伸ばしかけるが、発火している本人は至って冷静であった。
荒く縫い付けられていたフードを左手で掴むと、躊躇いなく引き千切る。
そして──露わになる。内側から一筋の銀が現れた。
まるで月の糸を紡いだかのような輝き。絹のように滑らかなその髪は、乱れながらも崩れぬよう、後ろで精巧にまとめられていた。
クラウンハーフアップ。頭頂部の髪を優雅に束ね、残る髪は背へと流れる。結い止めるのは、光沢のあるバレッタ。装飾の一つ一つが煌びやかであり、力強い彼女の誇りを示すよう。
そして──
その長く尖った耳。
髪の隙間から覗いたそれは、明らかに人の物ではない。輪の世界では小説や漫画に度々登場する、魔法に長け知識の豊富な耳長の種族、エルフ。輪は漸く彼女が常時フードを被り通してきた意味を理解した。
役を終えたフードが地面にふわりと落下する。
無防備になったその姿を、マモンが静かに眺めていた。
「……なるほど、道理で稀有な風魔法を使う」
穏やかに、けれど確かに感嘆の息を漏らす。双眸を細めて、実に愉し気に。
「エルフ……ではありませんね。その緑がかった瞳……ハイエルフとはまた、逸品っ。目にしたのは、2百年ぶり、でしょうか」
その言葉は、品評だった。
まるで芸術品を見るように。まるで所有物を選ぶように。
声を震わせながらも視線の先にあるのは、同じ命などではなかった。
言葉を失うような“価値観の違い”。そのギャップが、より一層の恐怖となって染み出す。
当のリュシエルは眉一つ動かさず。刀を自身の前で構えると、鞘をするりと抜く。
美しい。抜き身となったリュシエルの腕程の長さの刀身は銀色に鈍く光り、彼女の姿を映し出すほど磨き抜かれている。抜かれた瞬間の空気を断つかのような鈴の音と聞き紛う抜刀音も、その手入れの甲斐あってのものだろう。
深い藍色の鞘を腰に据え、彼女は刀柄を両手で握ると、腰を低くして構える。
その翠の瞳は、真っ直ぐにマモンを見据えていた。
「行きなさい。これは、わたくしが抑えます」
二言はない。
再度マモンの指先が彼女を下から嘗め回すように上へ向く。剣先が見えない程の斬撃が、その火花を寸前で斬り、風が左右から火種を閉じ込め窒息させる。片や指差すだけ、片や刀を振り、風を使い繊細に始末を要求される。
だがリュシエルは後手に回る事なく、輪やカトリナに向かう火種すら切り捨てる。
「い、行こう……!」
ここにいては邪魔になる。それならば猶予が迫っている魔法陣の方に手を割いた方が良い。
輪が後ろを振り向きカトリナに言おうとすると、その背後に見えた。
鎌を両手に付け替えた、白いドレスを泥まみれにして泣き笑う、何か。死人形マタドールが、カトリナの首元に刃先を伸ばしかけていた。
カトリナは気付かず、輪は声を出す事すら忘れ、必死に手を伸ばす。
最悪抱き庇ってでもと考えたが、距離が、届かない。
「そこも、わたくしの距離でしてよ」
マタドールの首が宙を舞う。斬られた彼女は、死ぬことに救いを見出し、笑顔を浮かべていた。
持ち主を失った胴体は動きをとめ、カトリナの背後で沈黙する。
輪はそのまま駆け寄ると、カトリナにその亡骸を見せないよう抱き締めた。慌てる彼女を他所に、輪は振り返る。
届く筈のない範囲。
それを刀の先から伸びる刃を補強する刃──、彼女の瞳と同じように翠色の、透き通った刃がまかり通した。リュシエルは振り向く事なく、マモンとの撃ち合いに集中している。
「行こうカトリナ!魔法陣を壊すぞ!」
「えっ、いやっ、はいっ!あの店長さん、抱き締められてると動き辛いんですけど……!」
そのまま慌てふためく彼女に死体を見せないよう慎重に抱えると、輪は走り出す。その魔法陣の線のある先へ、10分以内に到達する方法は一つしかない。
強者同士の戦いって書くの疲れますけど楽しいですよね……。
ようやく魔王配下との本格的な戦闘が始まります。リュシエルの正体も分かって、刀も初めて抜き、初めてだらけです。そして30話到達です。読んでくれている皆さんのお陰でモチベーション保てています。本当にありがとうございます。
感想、レビュー、ブックマークして頂けると今後の執筆活動の励みになります。宜しくお願いします。
また、↓に☆がありますのでこれをタップいただけると評価ポイントが入ります。
本作を評価していただけると励みになりますので、推して頂けると嬉しいです。




