23話 ディルマ村道中立ち込める風
出発してから一時間が過ぎた頃、スズメ・ライフの車内には穏やかな静けさが流れていた。
舗装されていない森の中の道は時折ごつごつとした揺れを伴うものの、車両の足回りがそれをほぼ吸収し、揺れは柔らかいものに抑えられている。サラン村からの道はこの数倍険しかっただけに、林檎だけで生計を立てるあの村の行く末に不安が止まない。
「ふーん、ふふーん」
『このバイト、中々やりますね』
運転手席では発車当初の緊張感はどこへやら。カトリナが独特な鼻歌を鳴らしながら、ハンドルを余裕綽々と握っている。
レッドベア戦で見せた運転技術は幻ではなく、岩や舗装路の剥がれを器用に避けつつ、それでも速度は落とさず。理想的な運転でディルマ村へと車は駆けていた。
後部座席では、リュシエルが微動だにせず座している。背筋を伸ばし、きちんとした姿勢を保ったまま、まるで揺れなど感じていないかのように凛として。
その膝には羽織の袖がふわりとかかり、深いサイドスリットの袴スカートからは、白く整った脚がちらりと覗いていた。
輪はふと見たルームミラー越しにそれが視界に入ってしまい、慌てて目を逸らす。
「どうかなさいました?」
「い、いや……なんでもないです」
さらりと返す声はどこか愉しげだった。こちらの視線に気付いていたのかもしれない。
気不味さを誤魔化すように、輪はリュシエルの腰元に目を移した。そこに帯状の革で括られた一本の武器が見える。湾曲も装飾もない、直線的な鞘。明らかにこの世界の剣とは異質なそれに、思わず声を掛けていた。
「あの……その武器、刀、ですか?」
輪が助手席から尋ねると、リュシエルは軽く腰に手を添え、革紐を持ち上げる。普段は帯刀などしていなかっただけに、その鞘に収まった刀は彼女の服装と同じ程異質さを放っていた。
「“風切かざきり”。故郷の品ですの。鋼の質も、刃の鍛えも、この地方の物とは根本から違いますわ」
「……故郷」
その言葉に、輪の胸が僅かにざわついた。
彼女の言う“故郷”とは、自分が元いた世界の事を指すのか。それとも別に刀や和装といった特殊な文化を持つ地域があるのか。
──しかしその疑問を、結局口には出せなかった。答えを得たとして、それが何になるのか。今は旅の途中、目の前の目的に集中すべき。何より彼女のフードに隠れた素顔と同じで、質問しても煙に捲かれてしまう気もした。
「風切……綺麗な名前ですね」
「ええ。名の示す通り、とても──よく切れますのよ」
その言葉の裏に、何かを思い出しているような色が混じっていた気がして、輪はそれ以上追及しなかった。
* * *
助手席の輪はマッチョに貰った古ぼけた周辺の地図と、カーナビの案内表示を見比べながら、進行方向を確認していた。車窓からは、穏やかな草原と小さな森が交互に現れ、風が緑の香りを運んでくる。
「空気、澄んでますね~」
「そうだな……でも──」
生き物の声が聞こえない。鳥のさえずりや、小さな獣が草木を揺らす音すら。エンジンとタイヤが石畳を擦る音だけ。
それはレッドベアを捜索している時と似ている雰囲気があった。
圧倒的”個”に周囲が消え去る。普段なら周囲に生えた木々や花々を眺めるところだが、輪は思わず息を呑んだ。
その時、視界の端で、何かが揺れた気がした。
森の奥。緑の間に、一瞬だけ黒い影のようなものが見えた。錯覚かもしれないが、直後、風の流れが変わる。
まるで谷底から吹き上げるような逆風が、車体を押し返してくるような奇妙な感覚。
慌ててカトリナがブレーキを踏み込むと、車体は乗組員に軽い衝撃を与えながら動きを止める。
『注意。空気の流動が異常です。魔素濃度、通常の2.3倍』
ナビ子の冷静な警告音が車内に響く。
まるで警告、これ以上近付くなというような。だがここまでの異常があれば進まざるを得ない、逆に誘いのようにも感じる。
「……なんか、空気が変わったな」
輪が呟くと、カトリナが不安気に眉をひそめ、周囲を警戒するように窓の外を見回した。
「気のせいじゃ……ないですよね。ちょっと、怖いです」
その言葉に応えるように、後部座席で目を閉じていたリュシエルが静かに瞼を開く。艶やかな翡翠の瞳がまっすぐ前を見据えた。
「──嫌な風」
それは単なる比喩ではない。初めて見る憎悪に満ちたリュシエルの瞳に、輪はそう確信した。
鳥の声もしない。虫の羽音すら止んでいる。自然が息を潜め、何かを警戒している。
リュシエルは、静かに手を伸ばし、帯刀していた“風切”の柄に触れる。今にも抜き放ちそうな仕草に、車内の空気がさらに張り詰める。下手すれば車両を真っ二つにして敵に打って出る雰囲気すら感じ、冷や汗が首元を伝う。
「まさか……何か出るのか?」
「まだ。けれど、この風──普通ではありませんわ」
後部座席の右側の窓をリュシエルの手が撫でる。車内全体の空気が凍った。──今度は窓ガラスをやる気じゃなかろうか。
「この窓……開けられるかしら?」
皆の不安を他所に、リュシエルが車窓に視線を移し、静かに訊ねた。
『はい、開けます。ウィンドウ──オープン』
カーナビのスピーカーから即座に反応が返る。先程痛い目にあった為、文句を言うよりも従った方がいいという判断だろうか。
機械音と共に、後部座席の窓が音もなく下がり、冷たい風が車内に流れ込んできた。
リュシエルは静かに腕を伸ばし、風に手を晒す。その掌に、風が絡みつき、撫でるように流れ過ぎる。
──数秒後、彼女はそっと窓の外から手を引き、目を細めて言った。
「流した風が阻まれています。魔素濃度だけの話ではありませんわ……完全に”誰か”がわたくしの魔力を堰き止めた」
その声には、かすかに怒気が混じっている、だが口元は面白い玩具を見つけたかのように緩んでいる。出会ってから感情をあまり表に出さない彼女にしては珍しいことだった。
「ナビ子。周囲に魔獣の反応は?」
『現在のところ、明確な生命反応は確認出来ず。ただし、検知限界に近い範囲で反応の“空白地帯”が存在します』
「空白地帯……?」
聞き覚えのない単語。風やら魔力やらで索敵し、それを感覚などで伝えてくるのは止めて頂きたい。素人では危機が迫っているのか一切判断が付かない。
『想定1時間後到着予定のディルマ村範囲に、生体反応が確認不可。何者かによる“干渉”の可能性あり』
「……おいおい、索敵を明確に邪魔されてるってことか?」
進行方向に続く未舗装の山道は、木々に囲まれ、昼間にも関わらず薄暗く、まるで何かが待っているかのような気配が漂っていた。
背筋に寒気が走る。レッドベアの時は敵が明確に存在していた。想像以上に巨体、意図しない行動こそあれ、あれは紛れもなく生態系内で鼓動する生き物だった。
だが目の前の事態は異なる。突如音沙汰が消え去った村、尚且つ上級冒険者と高性能ナビの索敵を同時に妨害する正体不明の何者かがいる。
「このまま突っ込むのは危険か……?」
「いえ。道を外れて迂回する方が、返って危険ですわ。ご丁寧に”案内して頂いている道”を通るのが最も安全でしょう」
ここまで何かがいると存在を匂わされれば、力ない者は去り、探知できる者であれば好んで近づいてくるだろうという誘導。
上級冒険者であり修羅場であれば自身の何倍も潜り抜けてきたであろうリュシエルの言葉に輪は頷く。
「了解。慎重に進むぞ。カトリナ、ナビ子、サポート頼む」
「あい!」
『任務了解』
再びアクセルを踏み込み、スズメ・ライフはゆっくりと目の前に聳える山の麓へと踏み込んでいく。
張り詰めた空気。沈黙。濁った風。
何かが、この先にある。
輪たちは、それを確かめるために、消息を絶った村──ディルマへと進む。
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