21話 ディルマ村への旅支度
日の落ちたセレア広場は、二つの月を背景に露店が徐々にシャッターを下ろし始め、喧騒の余韻だけを残して落ち着きを取り戻しつつあった。
風にはほんのり焼きもろこしの香りが残り、街の活気の名残を漂わせている。
キッチンカーの中、輪は売上帳に視線を落としながら、今日の集計を進めていた。
思った以上におにぎりは数が出たらしく、帳面の数字は悪くない。むしろ上々。村の時と比べ20倍は優に超えている。
「店長さん、今日も盛況でしたね!」
カトリナがキッチンカー前に掲げていたマキノ屋の旗を回収しながら、嬉しそうに言う。頬には汗が張り付いていたが、その表情には疲労感よりも満足感が強く表れていた。
「おにぎり屋にも大分慣れてきたみたいだな。良い働きだった」
「えへへ、ありがとうございます。でも、すごいんですよ、食材。こう、ポーンって無くなったら出て来るんです!」
『食品補充の面では有能な食材管理車がいますからね』
自慢気な機械音がカーナビから響く。
そろそろパンやおにぎりの仕入れ先が気になるところであったが、この世界のお金を入れると自動で食材やパンが現れるシステムに肖っているのも事実。深くは探るまい。
「オヒツの中も米が熱々のままで……えへへ、ちょっと火傷しちゃいました」
カトリナが、両手でジェスチャーを交えながら話す、その少し赤らんだ掌。
輪は直ぐにショーケース下にある冷蔵庫、そこの冷凍室から氷を取り出すと、布でくるみカトリナに手渡す。
「おい駄目だって、何で黙ってたんだ!綺麗な手なのに痕が残ったらどうするんだ!」
「あ、あい……」
カトリナの頬から耳が手と同じように紅潮する。隠すように俯くと氷を手に「綺麗な手……」と呟きながら頬が緩んでいた。
「お店の片付けしちゃいますね!」
「無理しないでくれよ。力仕事は俺がやるからさ」
氷を包んだ布を手に巻き付けると、キッチンカーの内部を拭き掃除していく彼女の背を見つめながら、輪は少し言葉を選びつつ切り出した。
「で、話なんだが──急なんだけど、明日からちょっと依頼を受けることになってな」
「依頼……?」
カトリナが手を止めてこちらに顔を向ける。
「ここから3時間くらいの距離にある村に行く。ディルマって村だ。麦の産地らしい」
「3時間!? それって……魔道具のクルマで、ですよね?」
サラン村からセレア街までは馬車であれば本来、馬を休ませつつ進む為、最低でも1日半から2日は掛かる道程。それを車なら5時間程度に短縮出来ているのをカトリナは知っていた。
「ああ。馬車だったら一日コースだけど、車なら半日もかからない」
「それって危ない依頼なんですか……?」
輪はマッチョの話を思い起こす。商会から数人派遣したが調査員が行方不明。魔獣が道を塞いでる訳でもなく村が突如として音信不通。危険はないといえば嘘になる。
「少し変な噂もあるみたいで、念のため……ってことで冒険者も同行してくれるらしい。おにぎり20個予約していったお客さん、覚えてるか?」
「ああ、20個さん! あいあい、覚えてます!」
妙なあだ名で即答するカトリナ。当人に聞かれていたら今度こそ腕を握り潰されそうな発言に、輪は思わず吹き出してしまう。
「ははっ……その人の名前、リュシエルさんって言うらしい。上級の冒険者で、暴迅って二つ名があるらしいよ」
「ほへぇ……20個さん凄い人だったんですね」
普段の歩き方や買い物時の気品や威圧感など、常人離れした雰囲気は垣間見えていたが、彼女にとっては沢山購入していく上客的な印象であったらしい。
上級冒険者がこの世界でどのような評価なのか今一理解出来ていなかったので、輪はこれ幸いとカーナビの画面を指でつつく。
「ナビ子、上級冒険者ってどれだけ凄いんだ?」
『検索──冒険者、主に魔獣の討伐・捕獲、迷宮探索、護衛任務等を請け負う職業。大多数の冒険者は、各街に設置された冒険者ギルドによって管轄されている。全体的なランクは上中下で分かれており、10万人以上登録者がいる中で、上級冒険者は登録者10人程度』
冒険者の母数自体はかなりの物だが、上級冒険者ともなると針の穴ほどの狭き門。
『輪様と触れた際、リュシエル様の戦闘能力を測定しました。車両との能力共有した輪様の身体能力を軽く5倍は上回っております。レッドベアならば、互角以上にステゴロの殴り合いに持ち込めている程でしょう』
やはり熊かゴリラの類であったか。自分達が銃火器や車両の能力を最大限活かし、辛くも撃破したレッドベアと素手でやり合えると聞き、輪は絶句する。
握手の時、相手は明らかに力量を測っていた。本気のほの字も出していない筈だが、こちらは車両の能力全開で推し負けそうになったのだ。もはや魔獣以上に敵に回ったら厄介であろう。怒らせないようにしようと心に誓った。
『ご安心下さい。輪様は車両のレベルアップに従い身体能力も強化されていきます。現在レベル15──伸び代は十分です』
特に地上最強の男を目指している訳でもなし、それよりも知らず知らずの内に愛車と共に自身の体が魔改造されている事実に顔が引き攣る。
「と言う訳でちゃんと名前で呼ぶんだぞ。失礼になる行為絶対駄目、車吹き飛んじゃう」
「だって……印象的だったんですもん。一人で20個も注文する人、初めて見ましたよ?」
「まぁ、確かに」
呆れながらも、輪は苦笑をこぼす。その時、二人の前に見慣れた顔が現れた。
街灯に照らされた広場を横切ってくる二つの影。ラナとジークだった。
「おーい、店長ー! カトリナちゃーん! 今日も大盛況だったねぇ」
「お疲れ様です!」
明るい声を上げて二人が近づいてくる。手には閉店前の露店で買ったらしい肉串と、袋に入った焼き菓子が見えた。
「もうそろそろ、村に帰ろうと思ってさ。その前に、最後におにぎり食べたいなって」
「はい、すぐ握りますね!」
「いやカトリナは手火傷してるだろ。休憩しとけって。俺がやるからさ」
カトリナが笑顔のまま無理をしようとしていたのを静止し、輪はショーケース越しに立つ。最近調理場は腕の良いカトリナが占拠していた為、カウンター越しに客の顔を覗くのは久方振り。
ジークは鮭、ラナからは角煮の注文。
輪は手をショーケース横に準備した冷や水に付ける。塩を一摘み右手に振り掛けると、おひつから熱々の米をしゃもじで掬い、手の平へ。
確かにめちゃくちゃ熱い。久し振りに握るから更に熱く感じる。
手の平に乗せた米へ具材をはみ出んばかりに投入し、もう一度米で包む。そして三角を描く様に軽く握り込んでいく。おにぎりの型を使わず握る輪の姿を、後方で真似するカトリナ。
「……何してるんだ?」
「わたしも型を使わずに握れたらなぁって……練習です練習!」
相変わらず可愛らしい事を言いながら笑顔を浮かべている。その様子にほっこりとしながら、海苔で包んだおにぎりを輪はジークに手渡す。
「そういえば、ディルマって村のこと、何か知ってる?」
今回の行き先について情報収集出来ないかと思い、ジークに尋ねる。ジークは鮭のおにぎりに齧り付きながら、思い出すように空を見た。
「ああ、小麦の産地っすよね。何回か荷物運びで寄ったことありますよ。静かで良いとこでした」
「村長さんがめっちゃ良い人でさ、いつもお茶出してくれて……あ、でも最近奥さん亡くされたんだって」
ラナがぽつりと続ける。
「それでずっと塞ぎ込んでるらしいのよ。やだやだ、ジークとお別れするなんて耐えられないわ!」
「俺もだよラナ!」
激しく抱き合う二人。荷台から飽きる程聞いたやり取りと熱々具合にげんなりとしていると、カトリナが笑顔のまま後ろから出て来て、
「はいはい、そろそろ店仕舞いです」
笑顔のまま、二人のやり取りを聞き流しながら、手慣れた動作でキッチンカーのシャッターを降ろし始めた。カトリナも徐々に彼等の扱いに慣れつつあるようだ。
輪は閉まりゆくシャッターの音を聞きながら、明日から始まる新たな依頼に思いを馳せる。
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