20話 暴迅のリュシエル
街の朝は、騒がしくも活気に満ちていた。まだ陽が高く昇りきる前だというのに、セレアの広場には早くも商人たちが店を開き、品物を並べ始めている。
マキノ屋も同様、旗を掲げ、商品の陳列を欠かさない。
昨日朝にパンを販売していたので、今日はおにぎりの日。
「シャケに、コンブに……えっと、店長、この茶色いお肉はおにぎりに入れる物ですか?」
「あぁ角煮だな。ちょっと嵩張るだろうけど、具材で使ってくれ。美味しいぞ」
試しに一つ摘まんで口に入れると、カトリナの顔が綻ぶ。相変わらず良い表情をする。
「なんでしょう、甘辛い中に少しだけ香る……お花?のような香りもあって……美味しいです!」
八角とはこの世界にあるのだろうか。自動生成されるおにぎりの具材だが、相変わらず手が込んでいる。輪も口に運ぶと言われた通りカツオ出汁の中に醤油、みりんと存在感のある八角。甘辛い中に豚の脂も溶けて御飯が進みそうな一品。
これは定番メニューの一つになりそうだと頷く。
「あと煮卵……、シーチキンでしたっけ?全部ありますね。お米も美味しそう……!」
艶々に炊けたおひつ入りの米をしゃもじで掬うように混ぜながら、カトリナは喉を鳴らしている。頼むから涎だけは米に混入しないで頂きたい。
そうして開店準備を進めていた時、看板を設置していた輪の肩が背後から叩かれる。
「よぅ兄ちゃん。商売繁盛してるか?」
「マッチョさん、お陰様で」
振り返ると、朝日に照らされ眩しい頭皮の商会ギルド長が立っていた。久方振りにみるとキャラの濃さを実感してしまう。
それよりもギルド長直々に露店街に顔を出すのは珍しい。周囲の露店の主も少しだけざわついている。
「ちぃと顔貸してくれ。バイトの嬢ちゃん、店長借りていっても良いかい?」
まるでヤクザか半グレのような声の掛け方。そして店長ではなくアルバイトに許可を求めるのは如何な物か。
「あ、はーい!店長さん、いってらっしゃい!」
「……ちょっと行ってくる。多分すぐ終わると思うけど」
随分と逞しくなって。輪は一人で店を切り盛り出来るようになりつつあるカトリナに寂しいような嬉しいような複雑な想いを抱えながら、名前通り筋骨隆々なマッチョに肩を抱かれ商会ギルドへ連行されていくのであった。
* * *
木製の床を踏みしめる音が、応接室の重い空気に吸い込まれていく。
マッチョは新品に買い替えた机に手を置き前回と変わらぬ、笑顔に近い表情で手を振った。が、その隣に積まれた金色の貨幣の存在が、場の雰囲気を一変させる。
「これは……?」
「報酬だよ。レッドベアの素材、解体費用と運送料を差っ引いて──ざっと金貨50枚ちょうど。まあ、相場よりちょい甘めに見てるが……兄ちゃん達、よくやってくれたからな」
輪は思わず机に近寄り、積まれた金貨を一つずつ数える。50万円、現実の円で換算すると、その価値にごくりと喉を鳴らした。
異世界に来てからの初大金。その輝きと重みは、まさしく現実の力を象徴するものだった。
「すげぇ……マジか、これが全部……」
「レッドベアの魔力を秘めた希少種だからな。爪もほぼ無傷だから、商会本部も結構色付けてたみたいだ」
死闘の末に手に入れた金貨50枚。果たしてあの強敵の死体と爪など素材の相場が不明だが、そもそも他の買取業者を知らないので商会ギルドに頼らざるを得ない。
アルバイトに臨時ボーナスでも出そうかと思案していた輪に、商売の大先輩のマッチョが声を掛ける。
「大金だからって、あんまり舞あがんなよ?商人ってのは稼いだ金の使いどころも腕の内だ」
マッチョはそう言って、再び真顔になる。分厚い指で資料を机の上に置き、輪の前へと滑らせた。
「兄ちゃん、今度は一つ、頼まれてくれねぇか」
「……仕事ですか?」
「あぁ。今回は商会だけじゃなく、冒険者ギルドとも連携してる。なにせ、妙な状況でな。とある村の貿易が突如として途絶えたんだ」
マッチョの大きな指が地図の一点を指し示す。
セレア街から北東へ、およそ30キロの山裾にある村。その場所には赤い印が付けられていた。
「麦を主に栽培してる山の麓の村──ディルマっていうんだが、ここ最近物資のやり取りがパタリと途絶えた。商会から数人派遣したが、帰って来ねぇ。到着したその日の報告は手紙で受けているから、レッドベアの時みたく魔獣が道を塞いでる訳でもねぇんだ」
「つまり……調査と、物資の搬入を兼ねて?」
「察しが良くて助かるぜ。兄ちゃんの魔道具があれば補給は万全。なにより、こっちも小麦が手に入れば助かる。取引が止まってるせいで、パン屋が軒並み小麦不足でな。近い内に小麦が高騰しそうなんで、それは避けたいんだ」
異世界でも物価高騰の恐怖に怯える事になるのか、輪は転生する前の現実世界の米不足を思わず憂いた。
そこで応接室の扉がノックされる音。
「あぁ……入ってくれ」
マッチョが応じると、静かに扉が開いた。
そして姿を現したのは──、
「まぁ……またお会いすることになるなんて。縁、ですわね」
深緑の羽織。その袖はふわりと広がり、縫い付けられたフードが銀色の髪を隠している。
だが、ふとした拍子に覗いた翡翠のような瞳が、輪の記憶を鮮やかに呼び起こす。ほぼ輪達の露店の常連になり掛けている女性。
「あぁ、おにぎり20個のお客さん」
「そうね、明日予約していたわね。でも一緒に行くなら、道中で握って頂いた方が良いのかしら?」
「えっと、そうですね。すみません受け取り時間も聞き忘れちゃってて、その方がウチとしても助かります」
思わぬ遭遇と大量注文を思い出し、輪はおにぎりの会話に引っ張られてしまう。
そんな時、マッチョは大きく咳払い。場の空気を依頼に引き戻す。
「知り合いみたいだな。彼女は……冒険者ギルドから選任された者だ。何でも依頼したかった中級冒険者達は今飛龍の大量発生に対応しているらしくてな。その上不可解な依頼なだけに、ギルドの中でも数人しかいない上級冒険者の同行が認められたらしい」
どうやら村の調査の為だけに上級冒険者を派遣する事は大変稀なようだ。マッチョも言葉を濁している。
輪が女性に向き直ると、彼女はふっと軽く微笑み、袴スカートの両裾を摘み上げながら片足を斜め後ろの内側に引き、もう片方の足の膝を軽く曲げ、背筋は伸ばしたまま会釈。カーテシーという貴族特有の挨拶には、彼女の気品が伺えた。
「あまり他人とは組まないのだけれど……ふふ、今回は例外でしてよ。上級冒険者──リュシエルですわ。宜しく、店長さん」
彼女がゆっくりと差し出す手は、細く、優雅だった。
輪は少し戸惑いながらも、その手を握り返す。
だが、次の瞬間──、
「っ……!?」
凄い。ギシギシと骨が軋む音。彼女の細腕から信じられない握力が伝わってくる。
輪は咄嗟にスズメ・ライフとのステータス共有を展開し、車両の馬力を握力に変換する。
それでも──押される。
涼しい顔のリュシエルと冷や汗混じりの輪は、しばらく目を細めたまま手を握り合っていた。不意に彼女が握力を解き、くすりと笑った。
「貴方、とても良いわ。商人よりも──腕に物を云わせた方が稼げるのではなくて?」
輪は無言で肩をすくめ、赤く熱を帯びた手を軽く振りながら苦笑するしかなかった。
「こいつは『暴迅』の二つ名を持ってる。言葉通りの強さだ。兄ちゃんも、油断すんなよ」
「ま、マジで……」
「さて、それじゃあ依頼内容はまとまった。村への出発は明朝だ。準備は今日のうちに済ませてくれ」
輪とリュシエルはそれぞれ頷いた。
* * *
応接室を出た輪は、深く息を吐いた。
また新たな任務が始まる。今度の舞台は、穏やかではなさそうだ。
かつてないほど、嫌な予感がした。
感想、レビュー、ブックマークして頂けると今後の執筆活動の励みになります。宜しくお願いします。




