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休日はアルバイトと共に

 朝から晴れ渡った空の下、セレア街の広場は今日も活気に満ちていた。

 だがその一角、昨日までキッチンカーに変形していた販売車は、シルバーの車両、ワゴンRに戻り今日はただ静かに鎮座していた。


「なぁカトリナ。今日、休みにしようか」


 エプロンを畳みながら輪はふと告げた。

 朝の販売は好調だった。通りの露店を見ても、あんぱんやクリームパンという変わり種は珍しいのか、次々と興味本位の購入もあり、昨日のおにぎりから継続して購入してくれる客もいた。特に焼きたての香ばしさと中の具材の柔らかさが受け、評判は上々。

 懐が潤う。だが心の潤いも大切。ワークライフバランスを重視してこそ異世界生活を満喫できるのだ。


「えっ、休みに?でもパン、まだ売れそうですけど……」

「売れそうだけどさ、昨日と今日の朝分で結構売り上げたし、たまには一息入れてもいいだろ。はい、バイト代」

「え、ありがとうございますっ!」


 少し驚いた様子のカトリナに、輪はきっちりと計算した金貨と銀貨入りの麻袋を渡した。中身はおにぎりやパンの売り上げに応じて、時給換算よりもやや多めだ。彼女の働きは十分すぎる成果をあげていて、手早さに至っては輪を追い抜く勢い。

 昇給も考えた方が良いだろうか。


「店長さんは、今日どうされるんですか?」

「俺? ぶらぶら歩きながら、食べ歩きとかしようかなーって思ってる」


 言いながら輪は、車の後部を軽く閉めて鍵をかける。道具類もひとまずは中に保管。異世界となっても盗難や空き巣対策は万全にしておかなければならない。


「……じゃあ。わたしも、その食べ歩き……ついて行っても、いいですか?」


 カトリナは麻袋で貰った給料を握り締めながら、遠慮がちに輪を見上げる。

 村を出る時のことがあってから、彼女の目には少しだけ強さが宿っていた。自分で希望を言葉にできるようになったその変化に、輪は嬉しくなって頷く。


「もちろん。一緒に行こう」

「あいっ!」

『忘れられているようですが、ナビ子は留守番ですねそうですね。ですがこちらも作業が残っているので、今は我慢しましょう。いってらっしゃい、輪様、バイト』


 今日ばかりは食べ歩き代全て店長が持とうと、嬉しそうなカトリナの笑顔を見て輪は静かに誓っていた。

 それとナビ子が言っている”作業”とやらが少し引っかかるが、気にするだけ無駄だなと流した。


* * *


 セレアの街は、規模こそそれほど大きくはないが、貿易の中継点として栄えていた。旅人や商人、行商の馬車に、異国風の装飾を身に付けた人々も多く、歩く度に目を引くものばかりだ。


 街道に面した広場には数多くの露店が並び、香草を効かせた肉串や、塩を振った焼きもろこし、四等分にして揚げたポテト、揚げ油に浸された魚のフライなどが所狭しと並んでいる。

 自分が出店していた時は売る事に必死で気付けずいたが、現実の渋谷などの中心都市の人並には負けるが、サラン村とは全く異なる圧倒的な人並みに思わず尻すぼみしてしまう。


「流石に賑やかだな」

「そうれふね!」


 いつの間にか手にしていた肉串を頬張りながらカトリナが返して来る。食うか喋るかどっちかにして欲しい。奢る暇すらなかった。

 彼女が噛む度に肉汁が滴り落ち、香草の匂いと少し付いた炭火焼きの焦げが食欲を誘う。


「店長さんも一口どうですか?」


 恥ずかしげなく自身の齧った肉串を輪に差し出す。輪は少し迷いつつ、だが好意は受け取っておくべきかと控え目に肉を齧る。

 大量の香草でも隠せない若干の獣臭さ。例えるなら、ジビエ。鹿肉に近い。脂は極端に少なく、歯応えが異常。嚙み切れずに塊のまま輪の喉を通過する。


「これもどうぞ!デスシャークのフライです!」


 続いてねじ込まれたのは物騒な名称の魚を単純に油で揚げたもの。

 生臭い。運送に問題あるのだろうか、採ってから日が経っている身は魚の脂独特の臭いが鼻の奥を刺激し、えぐみで喉が焼かれる感覚。駄目だ、魚は火を通しても駄目だ。


 デスシャークのフライで頭がフライしている輪を尻目に、カトリナは露店の食べ物を制覇せん勢いで歩を進める。


「おぉぉぉぉ……」


 カトリナが目を輝かせたのは、店先で売っている焼きたてのタルト菓子。

 名称はフラン。カスタードのような柔らかな中身を詰めた、タルト生地の甘いお菓子。丸く、手のひらに乗るほどのサイズながら、上に砂糖が軽くまぶされ、香ばしい香りが漂っていた。


「店長さんっ、これ、買ってもいいですか!」

「おー……良いぞ。何個でも買え奢ってやる」

「え、い、良いんですか!? やたー!」


 魚の生臭さに鼻をやられ青い顔をしている輪は、店主と思わしき者に代金を支払う。

 カトリナはフランを両手で持ち、ぱくりと口に運ぶ。とろりとした中身が唇から覗き、彼女は幸せそうに頬を緩めた。


「おいしいですっ。チーズが芳醇で……」

「良かったな……あとで俺も買ってみようかな……うぷっ……今は無理」


 下手をすれば朝に食べた賄のおにぎりですら胃を遡りそうな勢いに思わず口元を押さえる。


 そんな中、突然、ふわりとした風が吹き、輪の目に一人の姿が映った。


「……あら」


 まるで舞うように歩くその姿に、輪は思わず息を呑んだ。


 深緑の羽織──袖口がふくらみ、肩を柔らかく覆う。縫い付けられたフードが顔元を隠していたが、その隙間から、翡翠色の瞳と、絹のような銀髪がちらりと覗く。


 静かに、優雅に近づいてきたその女性は、昨日おにぎりを買っていって、次の日パン屋として出店した時も店に訪れていた──あの人物だ。

 銀髪も長く、耳も完全にフードの中に隠されているため、輪にも種族までは分からない。ただ、その動きには一切の隙がなく、気品と静かな威圧感が自然と漂っていた。


「ご機嫌よう、店長さんにカトリナさん。今日は露店、お休みですのね」

「あっ、お客さん!」


 流石のアルバイトは二日連続で来店してくれた客の顔は頭に入っていた。。輪も軽く会釈する。


「うちの商品、気に入ってくれたなら嬉しいですっ」

「ええ、とても。残念ですわ、今日が休みだなんて。貴方方の露店の食事は、オニギリもパンも絶品ですのに」


 頬に手を当て溜息を吐く仕草も艶めかしい。一挙手一投足が見惚れるような動き。

 思えばこの女性のお陰でキッチンカーはセレア街での売り上げを伸ばしたのだがら感謝しなくては、思わず輪は手を合わせそうになる。一昨日だけでなく昨日彼女はパンを10個まとめ買いしていき、その後他の客で長蛇の列が出来たのだ。まるで客引きの女神。


「また、明日もやりますから!」


 その返答に、女性は少し寂しげに肩をすくめた。


「それが……明後日から、少し遠方に向かうことになりまして。冒険者ギルドからの依頼ですの」

「冒険者さんなんですか!?」


 道理で、静かな佇まいの中に威圧感、僅かな息苦しさを感じる。輪は感ながら彼女が相当な実力者なのであろうと推測した。


「本当に、嘆かわしい……明日、おにぎりの日でしょうか? もし出来れば旅先で食べるために、20個ほどまとめて作っておいて下さるかしら?」

「はい、もちろん!」


 即答するカトリナに、女性は満足そうに頷く。

 彼女が身を翻した瞬間、羽織の裾が風に揺れ、黒の袴風スカートのサイドスリットから、色白な太股がちらりと覗いた。


 輪が思わず無意識で目で追ってしまったその瞬間、いる筈のないカーナビの電子音の舌打ちが聞こえた気がした。

 いや男ならこれは見るだろう。不可抗力、事故。俺は悪くない。

 心の中でありったけの言い訳を無駄に述べながら、輪は女性に声をかけた。


「その……服装、俺が元いた場所のにすごく似ていて。どこで手に入れたんですか?」


 和服に似たその衣装、気になるのも無理はなかった。輪の質問に女性は一瞬だけ表情を止めた後、ふっと翳りを帯びた目をして答える。


「……わたくしの故郷の物ですわ。もう関係ありませんけど」


 その言葉と共に、彼女は羽織を翻し、人混みの中へと去っていった。

 気品と寂しさを纏いながら、フードで身を隠した彼女は人々の波に溶けていく。


「……何者なんだろ、あの人」


 輪が小さく呟いたその隣で、カトリナはじっとその背中を見つめていた。


「……そういえば時間聞き忘れてました!え、何時に受け取りでしょう!20個ですよね!?」

「あぁ、そうだな」


 最後に見えた寂し気な表情は何だったのか。受け取り時間忘れと20個のおにぎりの課題を残し大慌てなカトリナを横に、小さな束の間の休日のひとときは、静かに暮れていく。明日はまた、忙しい一日になりそうだった。


* * *


『作業完了しました。ぶいぶい』


 散策を終えて帰るとすっかり日が暮れ始めていた。

 カトリナは連泊している宿屋に帰ったあと、輪がワゴンRの運転手席を開けると、機械的に自信満々な声。

 そして目の前には現実世界で使用していたスマホ。電池切れになり使い物にならなくなって助手席のグローブボックスに保管していたそれが、何故か運転手席に鎮座していた。


 ――しかも画面には、『NAVI』と表示され、スマホのスピーカーから何時もの声が響いている。


『いえいつもカーナビからしか音声を出せないので困っていたのです。これで持ち運び可能な万能ナビゲーション・システムとして活躍出来ますね。あぁ感謝には及びませんよ』


 輪は無言で、車両の外で膝から崩れ落ちる。

 最近辛辣な物言いのナビ子から逃げるには、そうか宿屋に身を寄せれば良いのだと最後の手段にしていたのだが、ついにびったりと寄り添う機能まで追加してきやがった。朝言っていた作業とはこの事だったのかと、輪は頭を本気で抱えていた。

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