激突レッドベア3
まるで地鳴り。横の斜面を並走し、驚異的な脚力で跳躍したレッドベアの巨体は、間一髪で車両の後方へと着地する。
輪は銃座に構えたまま、後部へと身を乗り出す。MINIMIの給弾ベルトを確認すると、即座にトリガーを弾いた。
弾幕が轟音とともに放たれ、レッドベアの胴体へと食い込む。何発も何発も。弾丸は筋肉を裂き、皮膚をえぐる。
止め処ない銃弾の雨。損傷が蓄積し、レッドベアの瞳孔の輝きが鈍い。
ようやく致命傷を負ったか、巨体がわずかによろめく。
しかし、その直後――蒸気が噴き上がった。
赤黒い皮膚の下、溶岩のように淡く光る傷口から立ち上る熱気。レッドベアの眼に再び凶光が宿る。
次の瞬間、燃え立つような熱を帯びた前肢が閃いた。赫灼と輝いた爪が木々を撫でるだけで、乾いた樹皮が火を噴く。
『輪様、警告。敵個体、身体各所に熱源の集中を確認。能力の増幅が推定されます。どうやら攻撃に火属性の魔力が付与されているようです』
「……ここにきて火事場の馬鹿力かよ」
ここに来て怯む訳にはいかない。相手は虫の息、ここで仕留めなければ。
輪は内心の焦りを隠すように再び引き金を引くと、その弾丸はレッドベアの傷口に衝突しーー蒸発する。
「へ……?」
あまりにも現実離れした出来事が重なり過ぎて、脳の許容範囲を超えた輪の口から声が漏れる。
霧散したのだ。弾丸がジュッと音を立てて。
先程とは違い鮮血が見える事なく、レッドベアはゆらゆらと車両に向かって前進を再開する。
輪は舌打ちし、銃座から身を引いた。
「カトリナ!加速だ、森の奥に入る!」
「あ、あいあい!」
素っ頓狂な返事と共にエンジンが唸り、車体が咆哮の余韻を断ち切って加速する。
天性の才能か、少しの実践でカトリナの運転は舌を巻くほどに上達していた。木々をすれすれで交わし、最小限の減速で森を駆け抜ける。
「ナビ子、さっきの射撃結果的に……銃で倒すのって無理め?」
『原理は不明ですがレッドベアの体内から発生する熱源により、銃弾が途中で霧散しておりました。皮膚に損傷を与えられても、致命傷には至らないと考えます。割と無理め判定です』
車内全員が沈黙し静寂が訪れる。輪は自分の唾を呑む音と、エンジン音が嫌に大きく聞こえた。
あれ、思ったよりも万事休すか。
「えーっとぉ……そういえば店長さん。ずっと気になってたんですけど、このクルマさんの前に付いてる角って、何用なんです?」
『衝角スパイク』「それだ!」
気不味そうにカトリナが車両前方に備え付けられたそれについて尋ねる。ナビ子が武器の説明を懇切丁寧にしようとした声を輪が遮った。銃弾で明確な損傷を与えられない今取れる唯一の一手。
輪は銃座から後部座席へ降りると、前で冷や汗を額に浮かべながら懸命にハンドルを握るカトリナに告げる。
「俺が囮になる」
***
数百メートル、車両は森を駆け抜けた。
『現在、敵との距離約二五〇メートル。直線的追跡を継続中。目標補足まで残り十秒』
「ここまでで十分だ。カトリナ、止まってくれ」
運転手席を背後から軽く叩きながら指示を出す。
「あいっ!」
車両が車輪痕を残しながら急停止し、ブレーキの音が森に吸い込まれる。
輪は急いでMINIMI軽機関銃を補助架から外すと、7㎏を肩に担ぐ。人体強化が施された輪にはまるで木材のような軽さに感じられる。そのまま人間離れした強化された脚で車外へ跳び出した。
「じゃぁ、カトリナ……計画通りに頼む。ナビ子、サポート頼むぞ」
銃座に念の為に置いておいたヘルメット。
運転手席の扉を開け、ハンドルを握り続けるカトリナの頭にそれを被せる。男性用の大きめのヘルメットは目元付近まで深く覆い隠す。
ヘルメットを微調整しながら、カトリナは輪に笑い掛ける。これからの不安を吹き飛ばすように。
「店長さんも!」
『お任せください。さぁバイト、レッドベアの現在地は……』
名残惜しそうに運転手席を閉じると、扉を合図するように2度叩いた。輪は歩を進める。今の状況なら木々が遮蔽物になり、砦になる。
呼吸を整え、木陰から銃口を突き出した。レッドベアがいるであろう進路目掛けて。
戦闘態勢を整えた輪を合図に、戦闘車両は車輪を強く回すと、来た道を斜めに森の中へ消える。
「……来いよ、ここが終点だ」
獲物は視野に捉えていないが、輪はMINIMIを中腰で構える。
スコープを覗く必要はない。引き金を強く引き絞る。装填された数十発の弾丸が木々の間を駆け抜け、薬莢が次々と地面に降り落ちた。銃身が熱され、レッドベアの傷口と同じように真っ赤に火照る。
――釣れた。
森の奥から怒りを携えた咆哮。それと共に木々をなぎ倒し、レッドベアが突進してくる。ただひたすらに迷いなくこちらへ。
MINIMIは止まらない。瞬き、弾丸がレッドベアの肩口、腹、首筋へと次々に撃ち込まれる。急所は必ずどこかで捉えている筈だが、銃弾はやはり蒸発し致命傷を与えるに至らない。
レッドベアの突進も止まらない。口から蒸気を漏らし、血反吐を吐きながら木々を燃やし、薙ぎ倒しながら突き進む、もはや生き物ではなかった。
「今だ、ナビ子……頼むぞ!」
目の前の獲物の息の根を止めようと夢中のレッドベアに、別方向から影が迫っていた。
スズメ・ライフ。元はワゴンRのそれは黒く重厚な車体に、鈍く輝くそれを――衝角を携えていた。正面のスパイクが展開され、金属の剣先が四本迫り出している。
『側面からの突撃コース、確保。衝角攻撃、最終調整完了。バイ――カトリナ様、車体保持を強化してください』
「あ、あいっ!」
カトリナはシートに体を沈め、ハンドルを両手で握りしめた。唇を噛み、逃げたくなる恐怖を、真正面から飲み込む。
普段のレッドベアなら、その側面からの攻撃も気付けていただろう。だが窮地に立たされ、顔面の近くに銃弾を受け、聴覚が弱まっていた。自身から溢れる蒸気で視野が狭まっていた。自身の奥底で燃え滾る魔力が小さく幾度も爆ぜる音によって、聴覚は意味を為さなかった。
ひと際大きな木の根を踏み越え跳躍した4.5tの車体はレッドベアの死角に躍り出る。
巨体に向けて、直進。
レッドベアは瞳孔を見開き、首だけを真横へ向ける。視野は完全に車両を捉えた。だが武器である前脚は輪側の前方へ向け、防御は間に合わない。
銀色の衝角が、無防備に露わになった赤黒い獣の胴体へと突き刺さる。
甲高い衝突音。金属と肉体がぶつかり合い、大地が悲鳴を上げる。車体がレッドベアを押し、そのまま巨大な樹へ激突した。
衝撃に罅割れたフロントガラスは飛び散り、車体前方がひしゃげる。
「わぷ⁉︎」
『SRSエアバック展開。衝撃に備え多重展開』
カトリナはハンドルからせり上がった透明な球体――エアバックに前面から包まれ、シートベルトが前方に迫り出しかけた体を強く座席に留める。過保護なナビ子は更に助手席、本来装備されていない運転手席側面からもエアバックを展開し、運転手の揺れを最小限に抑える。
断末魔のような咆哮。衝角から鉄が煮え滾る音、火花と蒸気が噴き上がり、レッドベアの体が仰け反った。
藻掻く、最後の最後まで。赤く鈍く光る爪が空しく空を切る。
絶え絶えの息を続けるレッドベアの胴体には、車体前部のスパイクは深々と食い込み、まるで杭のように動きを止めていた。
炎のように揺れていたその体表の赤い光が、次第に弱まっていく。
最後の最後に大きく息を吐くと、身体全体の発光が停止する。まるで蠟燭に灯った命の灯が消えるように。
『戦闘終了を確認。敵個体の生命反応、完全に停止しました』
***
「カトリナ!」
輪が車両に駆け寄る。車体の前部は樹木に突き刺さり、片方のヘッドライトは砕けていた。フロントバンパーはひしゃげ、見る影もない。そしてレッドベアの胴体を貫いた衝角には、黒ずんだ血がべっとりと張り付いていた。
一目散に運転手席のドアを開けると、四方からエアバックに押し潰されそうになっているカトリナが朦朧としたままこちらを見た。
「大丈夫か!」
「うぁ……て、店長さん!」
エアバックが萎む。次の瞬間、カトリナは輪の胸に飛び込んだ。ヘルメットを被ったまま頭突きのような体勢で。身体強化を受けた輪だが、顎先にその衝撃が走ると、目の前に星が舞う。
「無事で良かったです……本当に……!」
今日受けたどんな攻撃よりも重症な一撃を受けながら、輪はゆっくりとその背に腕を回す。
『車両損傷率、おおよそ35%。走行は可能ですが、前部冷却系とサスペンションに重大な損耗があります。30分程時間を下さい。応急処置、自動修復機能を展開します』
「無茶させたな、ナビ子。本当にありがとう。カトリナも」
初運転、初戦闘、初撃破。戸惑う事はあったが、腕の中で涙を浮かべる少女は、その全てを輪の想像以上の適応で越えて見せた。
深く被ったヘルメットを脱がせて、カトリナに輪は笑い掛ける。
「いい運転だった」
『いえ60点ほどで御座います。回避が十分でなく車体が幾度か木に衝突しかけています。アクセルが全て急過ぎます。ブレーキもです、ブレーキパッドを磨り潰すつもりですか。バイト、もっと運転技術を磨くべきです』
「あ、あいぃぃぃ……!」
輪の絶賛と対比し、ナビ子からの辛口評価。カトリナはまるでオニギリの梅干しを噛みしめた時のような苦悶の表情を浮かべる。
その二人のやり取りを眺め、輪はようやく自身の緊張が解れ、口元が綻んでいた。
レッドベアの死骸、その後方に輪は視線を向ける。戦闘に夢中で気付かなかったが、大樹の後方には舗装路があった。いつの間にか戦闘を続ける内に森の中から舗装路まで近付いていたようだ。
太陽の下、舗装されたその道は――草に侵されながら、それでも太陽の光を反射し、煌めいていた。
長かった気がするレッドベア編完結です。
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