9話 爪を研ぎし者
車が森の中をゆっくりと進む。エンジン音が林に飲まれ、所々にある小石や木の根っこ、崩れた舗装路に上下揺さぶられながら。
舗装されていたはずの道には、雑草がじわじわと侵食を始めていた。
半月──街道が止まった時間の分だけ、自然がじわりと牙を伸ばしている。
「……人が通らなくなっただけでこれか」
前方の道路に小さく伸びた背の低い草を、車のタイヤが無慈悲に踏み潰していく。轍の音が、静かな森に反響していた。
『植物の成長速度は平均で約一日数センチ。この場所の状況から判断し、通行停止からおよそ十五日が経過していると推測されます』
カーナビの画面に表示されたナビ子のアイコンが小さく頷く。
まるで自分の推論が当たったと誇らしげにでもしているように見えた。
輪はハンドルを握り直しながら、目を細める。
道の両脇、木々の隙間に小動物の気配はある。だが、肝心の“あいつ”の姿はまだない。
──レッドベア。
体高四メートル。森林地帯に棲む大型獣で、商人たちにとっては天災と同義の存在。
獰猛さは先日村を襲ったダイヤウルフの比ではなく、一度通商路を塞がれれば町一つが孤立しかねない。むしろダイヤウルフ達もレッドベアに棲家を追われたとも考えられる。
『この先、約800メートルで魔力反応を検出。方向、進行ルート上。出現確率、76.2%』
「いるってことか……」
輪の喉がごくりと鳴った。
車内は冷房が効いているはずなのに、汗が額を伝う。
一旦車を脇道に停め、輪はカーナビのUI、右上に表示された戦闘車両モードの枠に指を伸ばす。
「……ナビ子。戦闘車両モード、解放してくれ」
『了解しました。戦闘車両モード、ロック解除。プロセスを開始します』
車体がわずかに沈み、フレームの内部で何かが動き出す。鈍いモーター音。コンソールパネルの表示が切り替わり、見慣れたUIが戦闘仕様に変化する。
『現在の戦闘想定対象:大型獣種“レッドベア”。
脅威評価:体高約4.3メートル、近接型。機動力並、火力高。
推奨戦闘オプション、提示します』
パネル上に3つのオプションが浮かび上がる。
⸻
1.MINIMI軽機関銃:
・装備位置:車体上部ユニット。
・弾倉:5.56mm×45 NATO弾。
・射撃モード:単発/連射。
2.衝角スパイク:
・装備位置:フロントバンパー部。
・展開時:破城槌相当の貫通力。
3.サイドランチャー(スタン弾):
・装備位置:車体左右。
・効果:広範囲ショックで麻痺誘導。非致死性。
⸻
取り敢えず字面で目ぼしい物、銃火器の軽機関銃をタップする。即座に天井部からガコンッと鉄と鉄が競り合う音が響く。
輪が視線を上に向けると、車体の上部が開き、装備したばかりのMINIMI軽機関銃が静かに待機していた。
無骨なボディ。淡く光る給弾ベルト。これは紛れもなく“兵器”だった。
輪は、機関銃のグリップの感触を確かめながら、ナビ子の指示に従って弾倉をセットした。
金属音が車体に響く。見よう見まねではあったが、マニュアルUIが画面に自動表示され、動作は案外スムーズだった。
「これ、弾、何発入ってんだ……?」
『現在装填数、100発。補助ベルトは後部に搭載済みです』
「……俺は戦争でもしに行くのか……?なぁナビ子。俺、本当に撃てんのか?これ」
輪は自分でも呆れるくらい、声が震えていた。
射撃経験のない素人がフルオートの軽機関銃なんて撃ったらどうなるか。
それこそ先程の劣悪な道路を通った時のように、撃つたびに上下へ揺さぶられ、標的が定まらない。最悪、肩が外れる事もあるだろう。
『問題ありません』
あまりにも即答だった。
『現在の輪様は、車両と連結した状態で“負荷軽減制御”が作動中です。筋力・耐久性の一時的向上が適用されております。反動で肩が外れることなど、まずありません』
「……え、なにそれ、俺知らず知らずのうちに人体改造受けてるの?」
『厳密には、車両に接続された操縦者への同調アシスト。人体改造ではありませんのでご安心ください』
「いや、全然安心できないんだけど!?」
もう一回死んでいる身だ、どうにでもなれと輪は視線を前に戻す。
森の中、空気の密度が変わっていくのを感じた。
木々の間に、唐突に現れた“空白”。
それは道ではない。ただ、巨大な何かが通った「跡」だった。
『進行ルート上に大型体重圧痕を確認。対象はこの先、約300メートル圏内に存在すると推定されます』
「……いよいよか」
近づくにつれて鹿のような獣が内臓を抜き取られた死骸や木々につけられた巨大な三本の爪痕などの痕跡が色濃くなり、心臓が鳴る。
アクセルを踏む足にじんわりと汗が滲む。
やがて森が開け、視界が通る場所に出る。
そこに、いた。
赤褐色の毛並を揺らす巨体。
背後からでも分かるほど異様に発達した前脚と、獣とは思えぬ分厚い肩。
倒木に鼻先を突っ込み、何かを貪っている。
レッドベアが突如として倒木を前脚で払いのけた。
ごうっという音が響き、木の繊維と虫の群れが飛び散る。
その前脚が地面に残した跡は、斧で殴り潰したような深い裂け目だった。
「……あんなもんが街道にいたら、そりゃ誰も通らなくなるわけだ」
『視認確認。対象、レッドベア。戦闘開始のタイミングは輪様の裁量に委ねられます』
ナビ子の声がカーナビから静かに響く。
輪はハンドルを強く握りしめた。
「……でけぇな、実物は」
さっきまでの冗談は吹き飛んだ。
目の前のそれは、確かに“脅威”だった。車を止めたままでも、胃の奥に冷たいものが溜まっていく。
「ナビ子、いけるか?」
『はい、輪様と車両の連携は完璧です。現在の装備と制御状態であれば、勝算は必ず存在します』
「そっか……なら、やってみるか」
エンジン音が高鳴る。
スパイクが前方にせり出し、車体がわずかに沈み込む。
『戦闘モード、最終確認。MINIMI作動、準備完了』
輪は深く息を吸い、そして吐いた。
運転手席を目一杯倒し後部座席へ移動すると、そこから開いた天井へ身を乗り出す。目の前には軽機関銃の持ち手があり、窓越しよりも周囲の景色がハッキリと見える。
まだ遠目ではあるが、その巨体、熊の異質さは明らかに周囲の景色から浮いていた。
「──っ….…おいおいマジかよ」
瞬間、目の前の倒木に夢中になっていたレッドベアが、首をぐるんと反転させ、視線をこちらに向ける。体の柔らかさか、その異常な動作と、鈍く光る金色の瞳孔に、輪の軽機関銃のグリップを持つ手が震えた。
次の瞬間、咆哮。
空気が震え、森が一瞬沈黙する。
輪はグリップを握り直し、意を決してトリガーを押し込む。
銃口から火花が閃き、金属の咆哮が森に響いた。
こうして、赤い獣との“戦争“が始まった。
この熊ヤバいなって書きながら思っておりました。輪がこのヤバ熊にどう対抗していくか期待して頂けると幸いです。
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