1話 吹き飛ぶ車輪と配送者
配送の仕事は地味だが、悪くない。
文句を垂れる客も時にはいるが、時間通りに荷物を届けて、印鑑やサインと一緒に「ありがとう」をもらえる。それだけで、わりと報われるものだ。
何より独りの時間が好きな牧野 輪にとって、荷物をパンパンに載せて走るこのススキ・ワゴンRの車内は、まるで実家のような安心感をもたらしてくれていた。
時にはカラオケボックス、時には疲れた身体を休める寝台にもなる──そんな相棒。
シルバーのその車は喋りこそしないが、72回ローンという絆もあって、輪にはそれが宝石のように輝いて見えていた。毎日洗車していたことも、自慢のひとつだった。
今日もまたこの相棒と数十件、都内をぐるぐると散策しながら配達をこなしていく──はずだった。
「……あぶないっ!」
信号無視のトラック。陣痛が来たのか冷や汗をかきながら横断歩道に立ちすくむ妊婦。
輪は反射的にハンドルを切った。自分の軽自動車が、トラックの進路に滑り込む。
心臓まで届きそうな衝突の衝撃、そして浮遊感。車体の窓という窓が粉々に割れ、荷物が空中へと放り出されていく。
そして意識は、すうっと遠ざかっていった。
⸻そうか、死ぬんだ。
できればこの相棒と、もっといろんな場所を巡りたかった。
仕事に追われ、私生活はろくに充実していなかった。
実家にも随分帰っていない。
最後に頭をよぎったのは、走馬灯ではなく、やり残したことへの後悔だった。
* * *
目を覚ましたとき、輪は草原に寝転んでいた。頬を撫でる風が気持ちよく吹いている。
「……二日酔いの時くらい頭が痛いな」
都会とは違い、田舎は空気が良い──そんなことを言っていたやつがいた。
当時は「空気に味なんてあるか」と流していた輪だったが、今なら分かる。肺の中に満たされる清涼感、まるでミント系の菓子類を食べた時のようなそれに、目を見開く。
「……え、どこだ……ここ。俺、死んだはずじゃ……」
つぶやきながら振り返った輪は、目を疑った。
そこには、事故の直前まで乗っていたはずの軽自動車──いや、少し様子が違う。
外装は磨き上げられており、ボンネットには見慣れない謎の紋章。
フロントガラスには、淡く輝く文字列が浮かんでいた。
⸻
《魔導車 スズメ・ライフ》
・形式:軽自動車(現世型)
・動力:魔力(使用者の魔力量に依存)
・装備:運転補助機能、魔導ナビゲーション
・特性:車種切替可能(※使用者の成長により解放)
⸻
「……スズメ・ライフ? いや、元の名前“ススキ・ワゴンR”だったろ」
輪は頭痛でふらつく体をなんとかドアを開け、車内に乗り込む。中は慣れ親しんだ内装。ただし、ハンドルの中心に、魔法陣のようなエンブレムが淡く光っていた。
「なんだこれ……光ってるぞ」
相変わらずフロントガラスに映し出されたステータス画面のようなそれに溜息を漏らしながら、輪は試しにブレーキを踏み込み、車に差し込まれているエンジンキーを捻る。
聞き慣れたエンジン音と軽く振動する車体。
辺り一面草原しかなく、シルバーの車がいるには場違いな場所。
車体から半分体を乗り出し、空を見上げると、輪の目に映るのは太陽と思われる照りつける惑星と、二つの月。
まるで平然としているように見えるかもしれないが、配送ドライバーとは何があっても慌てない職種だ、と信頼する先輩に教わった。
輪は死んだ事、異世界に来た事と様々な出来事が舞い込みパニックになりそうな脳内を、職業柄の冷静さでなんとか保ちつつ、アクセルを軽く踏み込む。
車輪が芝と砂利を小削ぎながら前へ徐々に動き始める。まるで生まれたての子鹿のように慎重に。
こうして牧野 輪、25歳、死んだはずの男は──
魔導軽自動車を相棒に、異世界での新たな“配送業”を始めることとなったのだった。
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