契り
「んん……」
直はふと目を覚ます。辺りを見渡すと、まるで宇宙・銀河のような風景が広がっていた。しかし一緒にいたはずの健の姿は見えなかった。すると遥か彼方から、赤い光が直を目掛けて向かってくる。それは遂に彼の身体とぶつかって弾き飛ぶ。
「痛っ!」
「ぐえっ!」
その衝撃で直の胸に少しだけ痛みを感じた。彼にぶつかってきた赤いものは、先ほどの子狸のような姿に形を変えていく。そして、それは直にぴたりと抱きついた。
「寂しかったよ、お兄ちゃん」
直は思わずそいつの頭をゆっくりと撫でていた。
「まったく離れたらダメだぞ」
直はハッとして思わず口を覆う。勝手に口が開き、言葉を発していたことに気持ち悪さを覚えた。おそるおそるその子狸を見つめると、瞳の奥には緑色の何かが映っていた。その正体が何なのか気になって見つめると……、直は思わず叫び出した。
*
気づけば直は、汗をかきながら起き上がっていた。そこは見覚えのある風景、健の家の居間であった。布団が敷かれており、いつの間にか寝てしまっていたようだった。目の前の現実に安堵する直。それは健も同じだったようで、彼の姿もまたひどく疲れたように見えた。
「ちょっと体を洗ってきます……。終わったら呼びますね」
「すみません……」
そう言って健はシャワーを浴びに行った。直はテレビを点けてニュースを眺めていた。芸能人のスキャンダルや。ふと目に留まった。
『……六科島で相次いでいる連続失踪事件ですが、未だに発見には至っていません。地元警察は……』
この島で起きた失踪事件。それを聞いて直は少し寒気を覚えた。
「直さん、次どうぞ」
「どっ、どうも……」
健に続いて直もシャワーを浴びに行った。しばらくして直が居間に戻ると、健も同じニュースを見ていた。直が呆然としていると、健が声をかけてきた。
「気になりますか?」
直は黙って頷く。健は彼を近くの席に促し座らせる。
「あの狸といい、あの事件といい、こんなことが起こるなんて初めてです」
「……」
突然、そのとき、外からガソゴソと物音が聞こえた。健は思わず網を携えると、勢いよく屋外に出ていった。そして気づかれぬように背後から二匹に近づいていく。
「このイタズラ狸めが!」
「「ぎゃああ!」」
健は瞬時に網で二匹を掬い上げる。二匹はその中でジタバタと暴れ回るが、ついに観念したのか急に大人しくなってしまった。
健は二匹を連れて帰ると家の柱に手際よく縛りつけた。そして直とともに獣たちの様子を見つめていた。彼らは放せ放せと騒ぎ立てるも、二人は気にせずに放置していた。
「しゃべる狸を保健所とかに持っていけば、儲かりますなあ」
直は少し悪どい顔をしながら近づくと、文は顔を強張らせて怯えながら、ひいぃと声を上げる。その一方、健は考え事をしていた。
「災厄……、喋る狸……」
そして健は掌に拳を打ちつけると、直のもとに寄ってきた。
「最近の失踪事件とこの狸共の出現。何か関係があるんじゃないかと。確かに言い伝えでは、怪奇が生まれた時に精霊が現れるっていうのがあって……」
健が直に説明しようとすると、赤狸の文と、緑狸の亮が騒ぎ始めた。
「何をコソコソ喋ってんだ! 早く縄を解け!」
「まったくだ。こんな目に遭うのは文だけで十分だ」
「なんだと!」
二匹の口喧嘩に、直と健は思わず溜息をつく。ふと時計を見ると、時刻は午後八時を回っていた。
「って、大爺さんの葬儀……!」
「もう終わっちゃいましたね……」
どうしようかと青ざめながら頭を抱える直に、コホンと亮は咳払いをする。
「心配しなくともいい。寝てる間に二人に化けて、なんとか済ませておいた。先ほどのお詫びだ」
「化けたってことは……」
「うむ、僕たちがその精霊なのだ!」
文が得意気にそう言い放った。健はそれを聞くや否や二匹の縄を解くと、文にポカポカと叩かれる。亮は、何を思ったかそのまま仏壇の方に向かうと、ある一人の遺影に目を向けた。
「トシ坊……?」
「父を知っているんですか?」
亮はゆっくり頷いて、健にこう言った。
「儂らは昔、トシ坊によって生み出された精霊なのだよ」
そう言って緑の狸こと亮は語り出す。昔、叔父すなわち健の父の俊成が小さい時に描いた絵から偶然生まれたこと。そして数年前に偶然何らかの力が働いて精霊となって見守っていたが、突如封印され、洞窟に閉じ込められてしまったと話してくれた。
「そっか、トシ坊は亡くなったのか……」
「流行病で一昨年に」
亮は肩をガクッと落とす。その時、ふいに窓を黒い影が横切ったのを直は見逃さなかった。それに応じて二匹はゾクっと何か感じ取ったようだった。
「……怪異を感じる」
「そういえば何か変わったことない? 」
健は最近起きた六科島の失踪事件のことを話した。あわせて直も、同級生がこの島で失踪したことやフェリー乗り場で黒い影を見かけたことを話した。
「やはり怪異たるものは、妖力で使って退治せにゃあかんけど、儂たちの力では……」
亮は頭を悩ませる。すると、文が勢いよく切り出した。
「一つだけ方法があるよ! 僕たちの力を二人に分け与えて、怪異と戦ってもらえばいいんだ!」
そう言って、二匹は直と健をそれぞれ見つめた。
「僕たちが……退治するってことですか? 」
「そんな魔法少女……いや魔法少年みたいなことできるわけが……」
「とりあえず試しに変身だ! えいっ!」
「ほいっ!」
亮は直に、文は健に目掛けて飛び込むと、彼らの心臓当たりをタッチする。すると、直は緑色、健は赤色の光にそれぞれ包まれていった。しばらくして光がゆっくりと消えていく。二人の体はいつの間にか少し膨よかになりながらも、狸の耳と尻尾が生えていた。直は緑、健は赤を基調とした和装を施し、その上に唐傘を纏っていた。
「見事に契りは結ばれたな。おめでとう。二人とも立派な化狸になったぞ」
亮に言われる二人。健は鏡をまじまじと見つめて自身の姿を確認していた。
「本当に変身しちゃった……」
その反面、直は少し落ち込んでいるようだった。
「この耳と尻尾はどうにかならない?」
「不可抗力じゃ。堪忍せい」
そう言われて、直はさらに落ち込んだのだった。
「でも健くんはこの島の人だからわかるけど、島外出身の僕はどうしてできたんだ……?」
直の疑問に、亮はこう答える。
「直と健といったな。さっき二人は祠にお参りしただろ? 直はこの島の人間の血を引いていたから、そのときに覚醒したのさ」
その答えに直は渋々納得するしかなかった。
「まあとりあえず、その怪異とやらを退治しに行こうか」
そう言って狸たちは、二人を新たな世界へと誘っていったのだった。
「無事に戻ってこられるかな……」
「二週間で帰れるかな……?」
直と健の不安は、過ぎるばかりだった。