転校生
夏休みが終わり、翌日から二学期が始まる。健は居間から二階に上がると、学校に行く準備を済ませるために自室へと向かう。部屋の前には文が可愛らしく待ち構えていた。健は文を抱えると、直の部屋にやってきた。
「直、おじさんが呼んで……」
ドアを開けた途端に、直は振り向いた。顔にはシートマスクをつけており、無表情のまま健のほうを見つめていた。立ち尽くす健とは対照的に、赤狸の文は大爆笑だった。
「……何してんの?」
「スキンケア。こないだの六科島で日焼け凄かったし」
直はそう言ってシートマスクを外すと、机の方に向き直り、化粧水、美容液、乳液を順番に顔へ塗っていく。健は顔を少し顔をこわばらせながら切り返す。
「やっぱり都会の高校生って怖いね」
「喧嘩売ってる?」
一通り済ませると、亮が彼のもとにやってくる。
「直、いつものやってほしんだど」
「はいはい」
そして直はブラシを手に取ると、亮をブラッシングし始める。亮はその気持ちよさの虜になったせいか、だんだんと惚けた顔をしていた。
「あああああ……。段々と慣れてきたな、直」
「注文が多いタヌキさんでございますこと」
直は少し力を強めて亮にブラッシングを施す。獣毛がブラシに引っかかってしまい、無理やり引っ張る直であったが、亮はその痛みに耐えきれず、身体にブラシが絡まったまま健のもとへ逃げていった。
「まったく……。最近の男児たる者が女々しくなりやがって。恥ずかしいったらありゃしないど」
「……ブラッシング、今日からやらなくていいね? スケさんよ」
「……すみませんでした」
直たちのやり取りを見ていた健は、都会との違いを噛みしめていた。その一方で文は、亮からブラシをなんとか引きはがすと、ポツリと言葉を漏らした。
「スケちゃん、都会に染まっちゃった……」
「フミも健にやってもらえばいいど。これが疲れに効果覿面だど~」
そう言って亮は直のもとに戻ると、彼の膝の上でスヤスヤと眠り始める。文は亮のもとに駆け寄ってほっぺを突くも、亮は変わらずほんわかした顔で眠りについていた。どうしても起きそうにない亮。文は直を見ながら膨れっ面になった。
「ったく、だから都会の人間は嫌いなんだ! 僕の大事なスケちゃんを!」
「文ちゃん、一回やってみようよ」
文は嫌そうな顔をしたまま、健の方に振り向いた。そこには、ブラシを手にして少しワクワクした表情をした健が、文を手で招こうとしていた。文はゆっくりと首を横に振る。
「一回だけ! ね」
健はキラキラした目で文を見つめる。最初は嫌だと言ったものの、ついに観念したのか健の膝の上に乗せられた。
「痛くしないでよ」
「大丈夫だって、ブラッシングぐらい」
健はブラシをスッと文の身体に入れ込むと、すっと毛流れに沿って毛並みを整えていく。少しボサボサになっていた文の身体はブラッシングしていくごとに、まっすぐと綺麗になっていく。
「意外とうまいな」
「なんかね、フミちゃんは大事な子だよって思いながらやると、上手くいくよ」
「へぇ……」
直は亮の身体をさすりながら、健たちの様子を窺う。
「あっ……」
文は身体をピクピクさせながらも、次第に気持ちよく感じたようだった。
「これはクセになるねえ」
*
翌朝、直は健と一緒に登校する。
「じゃあ、また後で」
「うん」
健は転入の挨拶のため、職員室へと向かった。そして直は久しぶりにクラスの教室で席に着くと、机の中に教科書をしまった。
「あれ、山井が早く来てる」
「お前こそ早いだろ」
扉の方を見ると、生地の姿がそこにあった。彼は少し高揚しながら、直の前の席に座る。少し気持ち悪さを覚えながらも、直は彼
「そうだ。うちのクラスに可愛い女の子がやってくるらしいぞ」
生地は直の後ろの席を指さして
「転校生を紹介するぞ。入ってきなさい」
先生がその生徒に入ってくるように促す。ドアを開けるとそこには、可憐な美少女が――
いなかった。
そして、直にとってはかなり見覚えのある顔だった。
「山井健です。六科島からやってきました」
健は声を震わせながらも、懸命に自己紹介をする。『六科島』という今話題なワードが出てきて教室内はざわつき始める。
「先生!」
生地が突然立ち上がって大声を上げた。
「うちのクラスには、かわいい女の子が転校してくるんじゃなかったんですか?」
「その子は隣のクラスだ」
「そんなあ……」
クラス中から笑い声が上がるが、生地はその事実に落胆すると椅子にもたれかかった。健は少し動揺したが、先生に気にしなくていいと言われる。
「どうかよろしくお願いします」
健は頭をゆっくりと下げた。次第に健に向けて拍手が送られる。彼は顔を上げると、クラスメイトの様子に胸を撫でおろした。
「山井……、そうか今日から二人になるんだったな。健は、あの後ろの空いている席に座ってくれ」
「あっ、わかりました」
そして向かった先は、直の後ろの席だった。