94【紫色のオーラ】
3メートルを超える巨大な三つ目のゴブリンと対峙するのは、戦闘メイドのソフィアだった。
金髪の彼女は、大きなガントレットの拳をぶつけ合い、ガシャンガシャンと金属音を響かせる。それはまるで、激闘が奏でる戦場の交響曲のようだった。
そして、凛とした眼光を見せた瞬間、ソフィアが構えを取る。鉄拳を握り締めながら、クイッと体の角度を変えた。
体は横向き。左肩が前を向き、右肩が後方にある。背筋は伸び、下半身は軽やかにステップを刻む。垂らした左腕は肘のところでL字を築き、腹を隠すように構えられていた。右腕はさらにコンパクトに曲げられ、拳が口元を覆っている。
ボクシング、サイドワインダー・スタイル。
彼女のファイティングスタイルは、現代格闘技のボクシングに酷似していた。この異世界にも、ボクシングに似た武術が存在するらしい。
「大きいだけが取り柄の化け物か――。そんなの、五万と相手にしてきたわ。レッサーバンパイアの私には敵わなくてよ」
ステップに合わせて揺れるソフィアの金髪が美しく舞う。それだけでなく、豊満な胸も揺れていた。彼女の自信と実力は、その胸と同じくらい大きい。
その揺れる膨らみを凝視しながら、巨大ゴブリンが叫ぶ。
「ソノ大キサ、ソノ形ィ〜。政子ダァ、政子ノオッペェイダァ!!」
叫びながらソフィアに飛びかかる巨大ゴブリンは、彼女を抱きしめようと両腕を開いて突進してくる。ハグをするつもりなのだろう。
「人違い、よっ!」
両腕を広げて飛びかかってきた巨大ゴブリンの脇の下をくぐり抜け、ソフィアは右サイドに回り込む。そして軽くジャンプして視線の高さを揃えると、空中からストレートパンチを放った。その拳は、吸い込まれるようにゴブリンの右こめかみにヒットする。
「ギョッ」
「……当たりが弱い、か」
着地と同時にさらに右へ回り込んだソフィアは、ゴブリンの背後を取る。そして、猫背に突き出された巨大ゴブリンの尻に向かってマシンガンのように鉄拳を叩き込んだ。
「せや、せや、せや、せや、せや、せや、せや、せやっ!!」
連続で打ち込まれた八発の左右のフック。そのスパイクがゴブリンの尻をズタズタに切り裂いた。
「イィィデェェエエエ!!」
巨大ゴブリンは、猫背だった背を反らしながら尻を引っ込めた。そして、次の瞬間、怒りの後ろ蹴りを繰り出してくる。
下から登り来るその蹴りが、ソフィアの体を捉え――たかに思えた瞬間、蹴り足は空気のように彼女の体をすり抜けた。
「ェッ!!??」
「透過のスキルよ」
蹴りを透過スキルで回避したソフィアは、大鎌のような軌道でフックを放ち、蹴り足の太腿を切り裂く。
四本の爪痕が刻まれたのは内腿。太い血管が通る、人型生物の急所である。その傷口からは、大量の鮮血が吹き出した。明らかに、失血死は時間の問題だ。
「グゥ、ェェェィィィ……」
大量出血に貧血を起こした巨大ゴブリンが頭を押さえながらふらつくと片膝を付いてしまう。出血のあまりの立ち眩みだろう。
「勝負ありね。これで死ぬまでは時間の問題よ」
そう言いながらバックステップで距離を取るソフィアは、サイドワインダーの構えを解いて仲間の元へと戻っていく。
「ナーーイス、ソフィア!」
「ふふ――」
シアンに肩を貸していたティグレスとハイタッチを交わすソフィア。しかし、彼女を追って、なおも巨大ゴブリンが襲いかかってきた。
「政子〜〜、俺ヲ置イテ、行カナイデェ〜!!」
「チッ、まだ動けるの……」
失敗だった。動けない仲間の元に近づいたのが間違いだった。まだシアンは、攻撃を避けられるほど体力が回復していない。今ソフィアが逃げれば、彼女を巻き込んでしまう。
――だから、ソフィアは前に出た。
「しつこい男は嫌われるわよ!」
突進してくる巨大ゴブリンに、ソフィアは正面から立ち向かう。そしてストレートパンチを放つように拳を真っ直ぐ突き出した。その拳が、巨大ゴブリンの右眼に鋭く突き刺さる。
「ウギィィイイ〜。目ガァァアアア!!」
打たれた片目を押さえながら背筋を伸ばす巨大ゴブリンは、顔を押さえたまま前蹴りを放った。爪先で反撃してきたのだ。
「そんなもの、透過スキルで回避できるわ」
ソフィアが余裕を見せた刹那、巨大ゴブリンの蹴り足が紫色に輝いた。オーラが色を帯びて現れたのだろう。
その紫色のオーラが透過スキルを無効化した。ソフィアはもろに巨大ゴブリンの爪先蹴りを受けてしまう。
「かはっ、なぜッ!?」
爪先蹴りを腹に喰らったソフィアが、体をくの字に曲げながら宙に浮く。両脚が地面から浮き上がると同時に、口から涎を吐き流す。
「ガァルルルルルル!!!」
さらに巨大ゴブリンは、宙を舞うソフィアにフックを打ち込む。そのフックも紫色に輝いていた。オーラで破壊力を増強している。
「がはっ!!」
巨拳を直撃したソフィアの体は真横に吹き飛び、壁に激突してから床に落ちた。
「ソフィア!?」
ティグレスが心配の声を上げる。しかし、壁に激突したソフィアは微動だにしない。死人のように動かなくなっていた。
「マ〜サ〜コ〜!」
ノシノシと巨体を揺らしながらソフィアに近づいていく巨大ゴブリンの傷は、すべて治っていた。刻まれた尻も、深く切られた内腿も、突かれたばかりの右目すらも完治していた。
それは、恐ろしいほどのリジェネレート能力だろう。有り得ない速度の高速治癒である。真祖のバンパイアに匹敵するほどの再生力だった。
「畜生、ソフィアから離れやがれ!!」
シアンを降ろしたティグレスが、スレッジハンマーを振りかぶりながら巨大ゴブリンの背後に飛びかかる。
「ヌゥ!」
「ぐあっ!!」
だが、振り返った巨大ゴブリンの裏拳を食らってティグレスは吹き飛ばされた。その裏拳も紫色に輝いていた。
そして、口から鮮血を吐きながら地面を転がるティグレスがボロ雑巾のような哀れな姿で横たわる。
「龍之介ハ、少シ黙ッテナサイ。アトデオ父サンガ遊ンデアゲルカラ」
「ち……畜生が……」
それを最後に、ティグレスは意識を失った。頬を冷たい岩肌につけて動かなくなる。




