89【試練の種】
殺風景で白く塗られたコンクリート造りの廊下。左右には鉄格子が備えられた窓が並んでいる。窓の外は明るいが、それでも天井に備え付けられた蛍光灯が廊下を照らしていた。
その廊下を、黒い制服姿の看守がビジネススーツ姿の男性を引き連れて歩いていた。二人が進むたびに、コツン、コツンと踵の音が響く。彼らは受刑者が服役している離れの監房を目指していた。
軋む音を立てて鉄格子の扉が開かれる。さらに一つ、檻をくぐる。
やがて男は、受刑者たちの監房が並ぶ建屋へと足を踏み入れた。そこから空気が変わる。何故か冷たく淀んでいた。
各監房の扉は、厚いアルミ製の鉄板でできていた。人の力では破れそうにない、厳重な造りである。そして、ある一つの扉の前で看守が立ち止まった。
「506号、面会だ!」
看守が番号を呼ぶと、ブゥーッとけたたましいブザー音が廊下に鳴り響いた。直後、正面の扉のロックがカチリと外れる音が微かに響き、扉が自動でわずかに開いた。看守は一歩下がる。
「どうぞ……」
「有り難う――」
ビジネススーツの男がノブを引いて扉を開く。中は狭い監獄。剥き出しの便器とベッドが一つあるのみ。子供でもくぐれそうにない小さな窓には鉄格子がお約束のように備え付けられていた。
監獄の中では、囚人服を着た男がベッドに腰かけ、力少なくうつむいていた。こちらを見ようとせず、白い床を震える瞳で見つめている。その瞳は血走り震えていた。瞳の焦点が定まっていない。
「――……」
痩せ細った男だった。頭は坊主。年の頃は三十前後だろうか。頬はこけ、目の下には深い隈。首も手足も細く、まるで骸骨のようである。あるいは、薬物中毒者の眼差しか。それほどに、彼の様子は常軌を逸していた。
監房に足を進めたビジネススーツの男は、堂々と語りかける。
「久しぶりだね、藤波君。元気だったかい?」
「ぅ……」
藤波と呼ばれた男は返答しない。ただ震えながら床を見つめていた。
「もう、答えも返せないか。やれやれだね……まあ、仕方ないか」
そう言って、男はスーツの胸ポケットをまさぐる。そして何やら小さな玉を取り出した。
それは梅干しほどのサイズの球体。色も梅干しに似ており、皺の入った表面までそっくりだった。
「これは、レボリューションシードと呼ばれる樹木の種だ。生命のエネルギーを覚醒させ、人格までも成長させる高度な果実の種――。ちなみに、この世の果実じゃあない。未知の果実さ」
男は摘み上げた種を見つめながら言った。
「これは君の分だ。これで君は、一段階、人間として進化するんだよ。良かったね。これで監獄から出られる。ハッピーだねぇ」
男はその種を藤波に近づける。すると、シードが「パキッ」と微かな音を立てた。クルミのように硬い殻が割れ、隙間から白い芽が飛び出してきた。その芽がミミズのようにウニョウニョと動いている。
「これを君に移植する。そうすれば、君は選ばれし民だ。扉をくぐれるようになる」
ベッドに腰掛け床を見つめる囚人の頭に種を置く。その途端だった。種が二つに割れて、中から無数の根が飛び出し囚人の頭を包むように伸びていった。
伸びた根は、囚人の鼻や口に侵入していく。さらには瞳の隙間をこじ開けて体内に侵入を始めていった。
「うぁぁあああああ!!!」
唐突な侵入物に囚人が抵抗を見せる。伸びた根を掻き毟りながら侵入を拒んだが、無駄な抵抗だった。侵入と増殖は止まらない。
ベッドの上で転げ回る囚人を見ていたビジネススーツの男は微かに微笑んでいた。楽しそうに事を見守っている。
やがて、すべての根が囚人の頭に侵入を終える。外見で根の痕跡は残っていない。そして、囚人もベッドに寝そべり動かなくなっていた。瞳には生気が失われている。
「さてさて、どう変化するのかな?」
すると囚人の額が膨らんだ。その膨らみが二つに割れると瞳が現れる。
第三の瞳、開眼である。
その瞳が周りを見回し状況把握でもするかのように周囲を観察していた。
その後に囚人が、ユラリと幽鬼のように立ち上がった。白目を向き、口は半開き、そして、よだれを垂らしていた。まるでゾンビである。
「ゲートを開こう。これをくぐるんだ。そして、新世界で暴れてきなさい。思うがままに!」
そう述べたビジネススーツの男がゲートマジックを唱えた。監獄に2メートルはあろう大きな水晶が現れる。
その大型水晶に向かって囚人は歩んでいく。そして、水晶に吸い込まれるように内部に消えていった。
「藤波純一君。髑髏の世界で無双しなさい。試練の開始だよ!」




