84【ジャガイモ】
朝方――。
ピエドゥラ村に借りた新しいシローの家。
チルチルが目を覚ますと、家の裏側から話し声が聞こえてくる。それはシローのテレパシーとブランの声だった。二人が外で何かを話している。
寝巻きのままベッドを出たチルチルは、二階の窓から裏庭の様子を伺った。すると二人が揃って畑を耕していた。シローとブランが鍬を振って畑を作っているのだ。
裏庭は昨日まで雑草が生い茂る荒れ地だったのに、いつの間にか畑へと姿を変えていた。6×6メートル程度の小さな畑だったが、立派な畑である。
チルチルは急いでメイド服に着替え、髪の毛をブラシで整える。身だしなみを整えると、裏庭へと出て行き、鍬を振るう二人に駆け寄って問いかけた。
「おはようございます、シロー様。――これは?」
畑を見渡しながら主人に問うチルチル。それに対して仮面のシローが畑を耕す手を止めて答えた。
『おはよう、チルチル。少し畑を作ろうと思ってね。昨日、二人が眠ってから一人で耕していたんだよ』
「わたスは早朝から起こされて、体づくりの修業だと言われて手伝わされていただスよ……」
チルチルが畑の隅を見ると、大量の雑草が積み重なっていた。おそらく雑草を刈り込み、地面を解して、石などを取り除きながら耕したのだろう。土はちゃんと柔らかく解されている。
『いや〜、畑を耕すなんて初めてだったから、ネットで調べながらの作業でね。一晩でここまでしか耕せなかったよ』
ネットが何かも分からないチルチルは首を傾げる。チルチルには、シローが時折わけの分からないことを言い出す人だという認識しかなかった。
『済まないがチルチル。そこの袋の中のジャガイモは種芋だから、半数ぐらいを半分に切ってくれないか。芽の部分は切らないでくれよ』
「ジャガイモ……?」
シローが指差した場所には麻袋が置かれていた。中を覗き込むと、大量のジャガイモが入っている。
それは、立派な形のジャガイモだった。異世界のジャガイモよりも形が良く大きさも非常に大きかった。色も鮮やかで旨そうだ。
「これを、切るのですか?」
この世界にもジャガイモは存在している。現実世界と同じく、安価で栽培しやすい農産物だ。この異世界でもジャガイモは、モンスターではない。リンゴやオレンジのようには襲ってこない。
しかし、お嬢様育ちのチルチルは、ジャガイモの調理法こそ知っていても、栽培方法は知らないようだった。半分に切れと言われても意味が分からないでいる。
「シロー様、なぜジャガイモを切るのですか?」
『チルチルはジャガイモの栽培方法を知らないのかい?』
「はい、農作業は学んだことがありません……」
その話を聞いたシローは鍬を振るうのを止め、チルチルの元へと向かう。そして麻袋からジャガイモを取り出すと、手にしたナイフで半分に切った。
その切り口は、芽の部分が上になるように意識して切られていた。
『こうして、植えたときに芽が上になるように半分に切るんだ。芽が一つでも無事なら、そこから苗が育つからね。ジャガイモの種は半分も残っていれば栄養的にも十分。それだけで立派に育つ』
「そうなんですか……」
シローはテレビのドキュメント番組で見たことがある。ジャガイモは安価で簡単に育つ農作物だと。しかも大量に収穫できる。植えたらほとんど放っておいても育つから、あとは収穫するのみ。それと病気に注意していれば良いらしい。
だからこそ、初めての農作業の作物として選んだのだ。そう、シローは農作業初心者の素人だ。初めて広い庭を持ったことで、畑を耕そうと思いつき、実行したのである。
ジャガイモは、この異世界でも主食の一つらしい。ほとんどの農村で栽培されている作物だ。
小麦で作られる黒パン。それにジャガイモと人参で作れる塩スープは、貧乏人でも食べられる定番の食事であるらしい。
シローは食事を取らないから気にも留めていなかったが、確かに宿屋などの客は、黒パンやジャガイモスープばかりを食べていたような気がする。
「分かりました。とりあえず半分に切ればいいのですね」
『頼んだよ、チルチル』
チルチルは台所から包丁とまな板を持ってくると、庭先でジャガイモを半分に切り始めた。その半分に切られたジャガイモの破片を、シローとブランが畑に埋めていく。
そして、植える分だけのジャガイモを切り終えたチルチルが、畑作業に夢中な二人を見ながら呟いた。
「これは、余りそうね――」
麻袋の中には半分ほどジャガイモが残っていた。チルチルは余ったジャガイモを数個ほど台所に持っていった。それを鍋に入れて水を張る。その鍋を竈門に掛けて火をつけると、裏庭に戻った。
『ふぅ〜、こんなもんだな〜』
「やっと終わりだべか……。お腹すいただ」
笑顔でチルチルが言う。
「そろそろ朝ごはんにしませんか?」
「賛成だべさ〜」
『うむ、そうしようか』
ブランが万歳しながら喜んでいた。それを見て、チルチルがさらに微笑みながら言った。
「余ったジャガイモを蒸しておきましたから、それを朝ごはんにしましょう。味付けは塩のみですが、十分でしょう」
「お芋が朝ごはんだべか!」
「蒸し芋ですよ」
「わたス、蒸かス芋、大好きだべさ!」
『ブラン。お前は、食べ物ならなんでも好きだな』
「食べれるうちに食べておく。それが祖母の教えだべさ」
ちなみに、ブランは祖母に会ったことがない。
「とりあえず二人とも、手を洗ってきてください」
シローが軍手をパンパンと叩きながら言う。
『俺は食べないぞ。ってか、食べられない』
「シロー様は、私たちの食事を見ていてください。それが義務です」
『義務って……』
チルチルは、少し感情を込めて語る。
「ファミリアと食事を共にするのが主人の務め。食べなくても、一緒にいてください!」
『ええ、そうなの……』
「そうです!」
『はい……』
シローのファミリーに、新たなルールができた瞬間だった。シローは、再びチルチルの機嫌を損ねるのを恐れて、それを受け入れたのである。
『まあ、いいか――。なんだかんだで悪くない』
「蒸かス芋、うめ〜〜!」
「このお芋、美味しいですね」
『そうかそうか、それは良かった』
どうやら現実世界のジャガイモは、異世界のジャガイモよりも美味しいらしい。これも品種改良の成果だろう。現実世界の科学力は侮れない。




