77【新住居】
池の中央に築かれた古城を出た俺は、新しく住まうことになった家を目指す。レゾナーブル男爵から雑貨屋の開店許可も得たので、そろそろ開店の準備を始めなければならない。これから忙しくなるだろう。
「こちらが、男爵様から提供された家であります」
新しい家まで案内してくれたメイドが指し示したのは、二階建ての広い家だった。部屋も複数ありそうだが、少し古びた印象を受ける。屋根に苔が生えていた。
青髪ショートヘアのメイドが鍵を開け、木の扉を開いて中へと招き入れる。
家に入って最初の部屋は、広々とした空間だった。窓からは明るい日差しが差し込んでいた。テーブルや本棚がいくつか残されており、かつては商店として使われていたような間取りだ。
青髪のメイドが言った。
「三年ほど前まで、老夫婦が商店を営んでいたのですが、お二人とも亡くなられてしまい、今は空き家になっていた家なのです。少し傷んでいるところもありますが、修繕すればまだまだ使えると思います」
確かに、十分使える家だった。清掃して商品を並べれば、明日にでも開店できそうだ。
次の部屋に進むと、そこは台所だった。煤けた竈門が見える。テーブルと椅子も残っていたが、家具の中は空っぽで、皿などは残っていないようだった。
階段を上ると、二階の廊下に出る。十畳ほどの部屋が左右に二つずつ、合計四部屋並んでいる。
「二階は四部屋ありますね」
「チルチル、ブラン。好きな部屋を選びなさい。俺は残った部屋を使うから」
「わ〜い、初めての自室だべ〜!」
ブランが人生で初めての自室に歓声を上げている。彼女は両親に虐待されていた過去があった。それは、自室すら与えられないほどだったようだ。働いていた酒場でも自室は与えられていないで倉庫で暮らしていたらしい。
「うわ〜、ベッドも残ってるだ〜!」
布団のない骨組みだけのベッドに寝そべり、ブランが子どものようにはしゃいでいた。本当に嬉しそうである。
『……ベッドすら与えられていなかったのか』
「本当に毒親だったみたいですね……」
青髪のメイドが、お辞儀をしながら言った。
「それでは、私はこれで失礼します」
『ご苦労さまでした。最後にひとつ、訊いてもいいですか?』
「なんでありましょう?」
『この村に、洋服屋はありますか?』
「ございません。何せ、貧しい村ですので……」
『それでは、服はどうしているのですか?』
「各家で作っているはずです。村の娘たちは、裁縫が得意ですからね」
青髪のメイドがにこりと微笑んだ。
『なるほど……』
洋服を一から作る――それは現代育ちのシローにはない発想だった。だが、異世界ではそれが当然のことなのだ。なければ、自分たちで作る。それが、この世界の常識というものなのだろう。
昔は日本だってそうだったはずだ。とこででも服が変える現代が便利過ぎるのだろう。
『まあ、ブランのメイド服は、また後で町に買いに行くか。今はそのままでも問題無かろう』
俺はチルチルとブランに指示を出す。
『二人とも、まずは掃除から始めてくれないか。必要なものがあったら言ってくれ』
すこし考えてからチルチルが述べる。
「そうですね。箒に塵取り、雑巾に水桶ですかね」
箒と塵取りは、たしか実家にあったはずだ。雑巾とバケツも探せばあるだろう。掃除をするのだから洗剤も必要かな。
『ちょっと待っててくれ、いま持ってくる』
「「はい」」
俺は二人を残して現代に戻る。そして、倉庫から掃除用具を探し出す。窓拭き用の洗剤もあった。
そして、掃除機が目に入る。
「おっ、掃除機……いやいや、さすがにこれは無理だろ。電気ねぇもんなぁ……ああ、使えたら楽なのになー」
そんなこんなで掃除用具一式を持った俺は異世界に戻った。すると扇形の箒を見たチルチルとブランが首を傾げていた。
「シロー様、これは?」
『箒だが?』
「これが、箒なのですか?」
『いや、箒だってば……』
どうやら俺の知っている箒と、チルチルたちが知っている箒とではビジュアルが違うらしい。
俺が持ってきた箒は、現代日本でポピュラーに使われている扇形の箒なのだが、そんなものは異世界には存在していないらしい。この世界の箒とは竹箒に似た物のようだ。魔女などがまたがって空を飛ぶのに使うタイプが一般的だとか。
「それに、この塵取りも不思議だべ?」
『あっ、うっかりしてた! プラ製の塵取りだった!』
プラスチックがない異世界なのだから、できるだけプラ製の商品は持ち込まないように気をつけていたのに失敗した。……まあ、いいか。
「このバケツは、鉄製なのですか。樽ではないのですね。掃除に使っていいのですか、これほどに高価なものを?」
『なぬ!』
いろいろと俺の常識と異世界の常識が食い違っているようだ。気をつけていたつもりなのだが、どんどんとボロが出てしまう。そろそろ異世界に来て一ヶ月が過ぎるころだから、油断していたのだろう。
「これはなんだべさ?」
ブランが霧吹き式の洗剤ボトルを見回しながら首を傾げていた。
『え、まさか霧吹きもないの!? そりゃ驚いた……』
本当にボロがボロボロと出てしまう。俺のうっかりさん、てへぺろ〜。
まあ、仕方ない。これはこれで使い方を二人に教えるか。商品として売り出さなければ問題なかろう。それに、便利で掃除も早く終わるはずだ。ここはひとつ目を瞑ろう。
「うわ〜、窓が一吹きで綺麗になるだべ〜」
「本当ですね〜。このセンザイって、素晴らしいですわ〜」
『うむ』
どうやら二人とも洗剤を気に入ってくれたらしい。結構である、結構である。その勢いで、どんどんと掃除に励んでもらいたい。家をピカピカにしてもらいたいものだ。




