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58【コメルス商会】

 庭には無数の薔薇が咲き誇っていた。その薔薇に群がる黄色い蝶々たち。ゆらゆらと二匹の蝶が軽やかに飛んでいた。


 コメルス邸の庭先に建てられたガゼボの下でお茶を楽しむ母と娘。その親子は無表情。どちらもくすりとも微笑まない。母親の背後に立つ老執事も静かに立っていた。


 ティーカップに注がれた紅茶を啜るのは母親のマリマリ。本名はマリー・マリアンヌ・コメルス。略してマリマリと呼ばれている。


 彼女は祖父が立ち上げた商会の会長である。彼女の家は商売の天才家系と言われており、マリマリも同様であった。


 そして、彼女の息子オルオルも同様であり、将来はコメルス商会を継ぐとされている。


 しかし、娘のチルチルは違った。勉強は優秀。商学も優秀だったが、商人になるには足りないものがあった。


 否――多すぎるものがあった。


 それは、人情。


 彼女は商人になるには人情が強すぎたのだ。情が強すぎるのである。優しすぎるとも言う。


 それは、商道における外道。情は人の為にならずなのである。


 だからチルチルは商人としては期待されていなかった。周りの人々には、早く嫁に出されるのではないかと噂されていた。


 それでもチルチルは両親に可愛がられていた。それは優しい娘だったからだ。優しい娘は可愛がられるのが普通であろう。チルチルもそうだったのだ。


 チルチルの母親マリマリは病気である。顔面神経麻痺。それは現代でも存在する病気である。


 ストレスから顔半分の筋肉が緩んで力が入らない病気なのだ。それで表情の半分が無惨にも垂れ下がってしまう。


 しかし、この異世界にそれを診断できるだけの医学知識はなかった。


 故にマリマリは間違った治療をしてしまったのだ。


 それは、顔面すべての筋肉を魔法で固定してしまう方法である。その治療法で彼女は表情を失ってしまったのだ。


 まったく表情を変えられないわけではないのだが、笑うだけで相当の筋力を使うために、滅多に笑えないのである。


 そのために彼女は若い頃から氷の商人と揶揄されていた。それも今では慣れている。


 しかし、彼女の心は普通の娘同様に機能しているのだ。楽しければ微笑みたいし、悲しければ泣きたいのだ。


 彼女は表情が動かせないだけで、普通の女性と何も変わらないのである。


 だから、娘のチルチルが獣人化したときには悲しんだ。幼少からアルビノで揶揄され苦しんでいたのに、さらに獣人化まで発病してしまい、神様を恨んだのである。代われるものならば、自分が代わってやりたいと願ったほどである。


 だから、離れで匿っていたチルチルが人攫いに遭ったと報告を受けた際には必死になって娘を探した。自分の命を代償にしてでも娘を救いたかったのだ。


 それが、母という生き物なのだ――。


 そして現在、メイド服を纏った娘が眼前に座っている。


 まだ娘は十歳である。それを新人商人のもとに奉公に出さねばならないのが気がかりだったのだ。


 十歳となると、まだまだ可愛い盛りの年頃。なのに、といろいろな事を恨んだのである。


 ただし、幸いなこともあった。それは奉公先の相手がシローだったからだ。


 髑髏の商人。太陽の民。それは、かつてフランスル王国に富をもたらした魔導士と類似している点が多い存在。


 五十年前に書かれた古文書。それには伝説が書かれていた。


 髑髏の商人の話である。


 彼はイチローと名乗り、多くの奇跡をフランスル王国にもたらしたと書かれていた。


 モノリス、L字の兵器、死の宝珠。今でも使われているマジックアイテムを彼はフランスル王国にもたらしたのだ。だが、今ではそのほとんどが伝説となって時代の深さに埋もれてしまっている。一般で使われているのはモノリスだけとなっていた。


 そのイチローたる髑髏の商人は、シロー同様に骸骨の姿だったらしいのだ。


 それすら伝説となり、今では話すら覚えている者は少ない。


 しかし、マリマリは知っていた。昔、祖父の家に遊びに行った際に髑髏の男に出会ったことがあったからだ。


 当時の彼女は自分の目を疑った。そして、大人になってからは、それが夢だったと思っていた。


 だが、再び髑髏の男が商人として自分の前に現れたのだ。それで記憶がはっきりと目覚める。


 しかし、彼は昔とは違った。別人に窺える。雰囲気が異なるのだ。だいぶ若く感じられたのだ。昔出会った髑髏の男は老人のような雰囲気だったからだ。


 娘チルチルと現れた新人商人のシロー。


 名前も似ている。イチローとシローの違い。しかし、別人のようである。だが、出身地は同じようだ。だから文化的に名前が似ているのだと考えた。


 そして、祖父が商人として成功するきっかけは、髑髏の商人イチローと親友になったからと言っていた。二人はマブダチだったらしい。


 ならば、コメルス商会としては、二度目のチャンスである。


 チルチルの主シローは、運命の存在だろう。


 故にチルチルにはシロー殿との関係を深めてもらいたい。


 親友、恋人、結婚相手。なんでも構わない。それがコメルスの運命を飛躍させることになるのは間違いないだろう。


 彼が神だろうと悪魔だろうと関係ない。


 何故ならコメルスは、商人なのだから。商人は商道を極めるのが正義である。


 それが、初代コメルスの教えである。


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