42【鬼との組み手】
道場の中央で、鬼頭二角と向かい合う。鬼との組み手である。
俺は構えていたが、鬼頭は棒立だった。ハンドポケットのままである。
対する俺は、両拳は顔の側に並べて、背を少し丸める。両足はステップを刻んで僅かに跳ねて見せた。
ボクシングのインファイターが取る構えだ。ダッシュに長けた、素早い前進移動を重視した構えである。
片や鬼頭は、両手をジーンズのポケットに入れて棒立ちだった。その余裕から実力の差を知らしめているのだろう。
俺の作戦は、一瞬で間合いを詰めて、瞬時の間に連続のパンチを1ダース叩き込む計画であった。
そのように目論む俺を前に、鬼頭が述べる。
「俺は、武道の素人だ。だから、そんな大層な構えを取っても意味がないぞ。俺には何も分からねえからよ」
「それでも貴方は強い――」
「お前よりは百倍は強いのは確かだ」
「参る!」
俺は、滑るように前進を見せた。無音で進む前進は、頭が僅かにも揺れず進む。板張りを氷上のように滑るかのように静かに前進してみせる。
ボクシングの高等テクニック。ゴーストダッシュだ。
そして、瞬時に詰めた間合いから鋭いジャブを放つ。それは、高速かと思える速度で鬼頭の顔面に迫る。
ジャブとは、ボクシングの技術の中で最速の技である。それは、全世界の格闘技の中でも最速の突き技とも言えるだろう。
その速度は、人間が持っている反射神経をも超える場合も少なくない。使い手によっては、回避不能の速度で放たれることも多い。
そして、俺はかつて格闘技チャンピオンだった。ゆえに、その最速まで届いている人間だ。素人が回避できるジャブの速度ではない。
「シュ!」
「おっと」
刹那――躱された。
鬼頭は背を僅かに反らして体を引く。その動作は最低限の動きだった。僅かな捌きで1ミリの間合いを遺してジャブを回避したのだ。素人の反射神経ではないだろう。
だが、回避も想定済み。さらに俺はコンビネーションを放つ。
鼻を狙ったストレートパンチ。顎を狙ったショートアッパー。左のボディーブロー。右のフック。
「ふっ、ふっ、ふっ、ふっ!!」
「よっ、よっ、よっ、よっ――」
ハリケーンを想像させるほど激しい四連だ。それらすべてが躱された。しかも鬼頭はハンドポケットのままである。まるで鬼頭はダンシングフラワーのように身体をくねらせて俺のパンチを回避してみせたのだ。
しかし、最後の一撃が鬼頭を捕らえる。
「ふんっ!!」
バチーーンっと音が響いた。
それは、ローキック。
俺の下段回し蹴りが鬼頭の太腿を蹴り殴っていたが、鬼頭は揺らぎもしていなかった。余裕の表情で立っている。しかも、未だに両手はポケットに入っていた。
俺のローキックは、木製バットを三本束ねたものを軽々と蹴り折る破壊力を有している。それは、ローキックのディフェンス方法を知らない者が受けたら、立っていられないほどの威力なのは確実だ。
骨が折れる。肉が腫れる。神経が痺れる。少なくとも、どれかで戦闘不能になるのは間違いないだろう。
しかし、鬼頭はノーディフェンスで受けてみせたのだ。さらには、ノーダメージの様子。それだけで鬼頭の体躯が人間離れしているのが悟れる。
「ぬぬっ……」
俺の蹴り足には、大木でも蹴りつけたかのような硬い感触だけが届いていた。揺らいだ素振りも感じられない。
「やはり、化け物だね……」
「それは、言ったよな」
言いながら鬼頭が右手だけをポケットから出した。そして、人差し指だけを立てている。
「突き――」
「っ!!!!!」
速い、重い!?
その突きは俺の胸を突っついていた。ただ、突っついただけである。
しかし、その速さは人知を超えた速度だった。しかも、重いのだ。まるでダンプカーに追突されたかのような衝撃で俺の身体を突き飛ばした。
俺の胸板がべコリっと陥没した。
「ぃい!!!!!」
人差し指に突き飛ばされた俺は、数メートル後方に飛ばされて、道場の壁にぶつかり止まった。俺がぶつかった壁は、板が軋み割れている。
「なんたるパワーだ……」
「でも、痛くないんだろ?」
「!?」
確かに痛くない。
「お前さんはいいよな。髑髏の書の強みだぜ。痛覚無効ってよ」
「これが、痛覚無効の恩恵……か」
俺の胸は明らかに陥没している。肋骨が砕けて凹んだのだ。しかし、痛みはない。
「お前さんが所有している髑髏の書は、特に不死に関しては特化している書だ。俺たちが持っていない特殊能力に恵まれているんだぜ」
そして、鬼頭は靴下を履き始めた。どうやら組手は終わりらしい。
俺は、鬼頭の前でボーンリジェネレーションを使って肋骨の骨折を治療する。胸の陥没が元に戻る。
「あのぉ〜……」
「今日の研修は、これで終わりだ。俺は帰るぜぇ〜」
そう言い手を振った鬼頭は、靴を履いて道場を出ていった。そのままスポーツカーに乗って走り去って行く。
「あ〜あ……。あの人、飲酒運転で帰っていったよ……。パクられても知らんぞ……」
流石は昭和のノリである。見た目は若くても、やはり中身は七十歳のお爺ちゃんなんだな、と思った。
時代遅れな江戸っ子のようだった。




