246【夜のフラン・モンターニュ】
ある日の夜更け――。
俺、チルチル、マリア・カラス、ニャーゴ、それにヴァンピール男爵と戦闘メイド長シアンの七名で、フラン・モンターニュの上層部を目指していた。
「いーち、にー、さんーん、しーい、ごーお……」
夜道を進む中でチルチルがメモ用紙を眺めながら、日本語の数字を数えていた。それを横目にヴァンピール男爵が俺に訊いてくる。
「シロー殿、チルチルちゃんは、何をしているのかね?」
『太陽の国の言葉を勉強中だ。今は数字の練習をしている』
「あれが太陽の国の言葉なのか……」
『うちの商品は全部、異国の言葉で説明文ガ書いてあるだろ。あれを読めるようになりたいらしいのだ』
「なるほど……」
確かに、俺が現代から持ち込む商品の説明文はすべて日本語だ。チルチルたちから見れば、異国の文字である。チルチルは、それを読めるようになりたいらしい。
まあ、チルチルが日本語を読めるようになってくれれば、お客への説明を任せられる。俺としてもありがたい話である。
将来的には、従業員全員が日本語を読めるようになってくれると助かるのだが――。
「ろーく、しーち、はーち、きゅーう、じゅー。――じゅう、きゅう、はち、……なーな、ろーく、ごーう、よーん、さーん、にーい、いーち、ぜーろ」
数字を十まで数えたチルチルは、続いて逆に数えて零まで述べた。そして、何やら納得のいかない顔で俺に訊いてくる。
「シロー様……」
『なんだ、チルチル?』
「なぜ、数字を数える時に七は“しーち”なのに、逆に数える時は“なな”なのですか?」
『えっ??』
「なぜ、“シチ”と“ナナ”の二つの言い方があるのですか?」
『はあ……?』
そんなこと、考えたこともなかった。そもそも「シチ」と「ナナ」が二つあることに疑問を持ったことすらない。
『う、うむ……。それは、なぜだろうな……』
仮面の下の顎に手を当てて考え込む俺に、チルチルはさらに詰め寄ってくる。
「それに、日にちを数える時は“ツイタチ、フツカ、ミッカ……ヨッカ、イツカ、ムイカ、ナノカ、ヨーカ”って、ヨッカとヨーカは同じじゃないですか!」
『いや、四日と八日は違うだろう?』
「ヨッカとヨーカは同じです!」
チルチルは少し怒っていた。たぶん日本語の複雑さに腹が立っているのだろう。
チルチルは頭の良い娘だ。たぶんIQテストをしたら高得点を出すだろう。そのチルチルでも難しいと思うのだから、日本語は本当に難しいのだと思う。
まあ、考えてみれば、それも当然だ。
大体の国では、母国語と英語の二つを話せれば生活に支障はない。だが、日本語は少し違う。
日本語は「ひらがな」「カタカナ」「漢字(音読み・訓読み)」の四体系で構成されている。つまり、外国人から見れば、日本語という一つの言語の中に“四つの言葉”があるのだ。これはほとんどの国と比べて、実質的に二倍の言語を学ぶのと同じことになる。
しかも、やっと「ひらがな」と「カタカナ」を覚えたと思ったら、本番の「漢字」が待っている。音読み・訓読みの違いでさらに混乱するらしい。
加えて、日本語の数え方もややこしい。
チルチルが言っていたように、数字の順数と逆数で言い方が変わるし、「ひとつ」「ふたつ」と数えたかと思えば、「一丁」「二丁」や「一匹」「二匹」、「一台」「二台」と数詞も多彩だ。鳥を「一羽」と数えたり、話を「一話」「二話」とも言う。ややこしすぎる。
俺はチルチルに言ってやった。
『まあ、あまり難しく考えずに、何度も繰り返して覚えなさい。それが当たり前になれば、自然と出てくるようになる』
「はい……」
俯いたチルチルは、いまいち納得していなかった。まあ、俺のアドバイスも適当だし仕方がない。
俺に学問を教えるスキルは皆無だ。それに、俺も日本語と英語が少し話せる程度である。難しいことは俺の領分じゃない。そもそも学問全般が苦手である。
そんな感じで歩いていると、月夜の光に照らされて、フラン・モンターニュの影がはっきりと見えてきた。そして、その袂にキャンプの明かりが複数と見え始める。
それは、道路を建設中の一団と、パリオンから来た職人たちの焚き火だろう。そこには大きなキャンプ地が出来ていた。
その入口で、五人の男女がランタンを持って待っていた。暁の冒険団である。
「よう、シローの旦那にヴァンピール男爵様、待ってましたぜ!」
元気よくリーダーのエペロングが挨拶してくる。他のメンバーも手を振っていた。
『悪いな、エペロング。こんな夜更けに』
「俺は構いませんが、なぜ夜なんですか?」
俺は後ろの面々を親指で指して答えた。
『ほら、こいつらはアンデッドばかりだからさ』
「なるほど――」
ヴァンピール男爵はヴァンパイア。シアンはレッサーヴァンパイア。マリアはリッチ。だからこそ、夜を選んだのだ。
今回の作戦は、彼らアンデッドが活躍する話だからだ。ゆえに、夜が最もふさわしい時間帯だった。




