244【チャンピオンの失踪】
空を飛びながら逃げ去る九尾の後ろ姿を見送るシローは、切断された右手首をボーンリジェネレーションで接着すると、闘技場の中央へ戻ってくる。
そこには、アルル円形闘技場の最強チャンピオン――シリヌ・カールが待っていた。
頭はスキンヘッド。上半身にはハーフプレートメイルを装着した闘士。九尾の雄叫びを浴びてもなお、彼は影響を受けていない様子だった。観客たちがいまだふらついている中、彼だけは凛々しく、平然と立っている。
『さて、最後の一人だ。盛大に遊ぼうではないか!』
「――……」
シローは無邪気に居直るが、シリヌ・カールは冷静に髑髏面を睨みつけていた。わずかな隙も見せていない。
シリヌ・カールはシローを、隙を見せたのならば、いつ噛み付いてくるか分からない獣だと思っているからである。人間とは、思ってもいない。事実シローはスケルトンである。
『良き眼差しだ』
「――……」
二人が睨み合う。殺気と気迫がぶつかり合って空気を歪めていた。凄まじい闘気である。
すると、二人の周囲に近衛隊が数人走り込んでくる。そして声を張り上げた。
「お二人殿に、国王陛下からのご伝言です!」
『んん、なんだ?』
シローが視線を反らす。
「この戦いは、後日に改めよとの命令です!」
『なんでだよ?』
「そう指示がございました。国王陛下直々の命令です!」
『そんな指示を、俺が聞くとでも思ったか?』
シローは指関節をポキポキと鳴らして威嚇する。完全に無視する態度であった。しかし、近衛隊も引かない。
「国王陛下曰く、後日正式に試合を組み、盛大にタイトルマッチを開きたいとのこと。それまで待たれよ、と!」
『知るか、こん畜生が!』
すると、一人の近衛隊員がシローに近付き、耳打ちしてくる。
「ただで待てとは申しておりません――」
『んん?』
「待つという交換条件として、国王陛下がフラン・モンターニュの工事費と人材を支援してくださるとのことです」
『なんと……』
流石のシローも考え込んだ。乏しい頭脳を総動員して考え込む。空っぽの頭蓋骨の中で思考した。
そして、出された条件を天秤にかけた末、ルイス国王の提案を飲むことにした。背に腹は代えられない。
踵を返しながら、シローが述べる。
『分かった。ならば、連絡を待ってるぞ!』
背中を見せながら手を振るシローは、闘技場を後にした。
残された近衛隊員が、シリヌ・カールにも問う。
「チャンピオン殿も、それで構いませぬな?」
「構わぬ……」
そう答えたシリヌ・カールも踵を返し、控室へ向かって歩き出す。そして、通路を歩きながら、胸中で呟く。
「た、助かった……。あんな化け物級のモンスターと戦って、まともに勝てるわけがない。次の試合が組まれる前に、闘士を引退しよう。事故で負傷したとか言えば、誰も疑わないだろうさ……」
弱気全開……。
シローが見せた一連の戦いを見て、チャンピオンは悟っていたのだ。
「あの髑髏、強くね……?」
その予感は、チェサーとの戦いで確信に変わっていた。
チェサーぐらいの実力ならば、死闘の末に自分でも勝てたかもしれない。しかし、シローは別格。あれほどの実力を持ちながら、修復魔法まで使ってくる。あれでは勝ち目がない。
いずれ自分も追い詰められる――それが、容易に想像できた。
だからこそ、彼は偽りの理由を並べてでも、引退を決意したのだ。
「あれは、災いそのものだ……。関われば自滅する。味方としても、近付かないほうが幸せに生きられる……」
その後、シリヌ・カールはパリオンから姿を消した。自宅から金目の物だけを持ち出し、誰にも行き先を告げず、こっそりと失踪したのである。
人々はさまざまな噂を立てたが、その話題も一月もしないうちに忘れ去られた。
そして――シローが新しいチャンピオンとなり、防衛戦が組まれることとなる。
しかし、対戦希望者は一人も現れなかった。完全に恐怖の対象として見られていたからだ。あまりにも戦慄的なデビュー戦が原因である。
シローは、アルル円形闘技場史上初の「無勝無敗で殿堂入り」する闘士となる。
『つまらない、つまらない〜!!』
「シロー様、駄々をこねないでください」
『もっと俺と戦ってくれよ〜!!』
「もう、よしよし――」
『グスン……』
チルチルが髑髏の頭を撫でながら、シローを宥めていた。まるで子供扱いである。
こうして――シローの闘士編は幕を閉じる。
彼は大人しく、メイドたちとともにピエドゥラ村へ帰ることとなった。また、平凡な日常が始まるのであった。




