243【さらなる契約】
九尾の狐、登場。
その体躯は象のように巨体。毛並みは金色。モフモフの尾は九本。顔は凛々しい狐の姿。それは神々しい神の使いのようにも窺えた。
そして、九尾の雄叫び一つで、闘技場で観戦していた観客たちの八割が気絶してしまう。会場には死屍累々のように観客たちが倒れ込んでいる。
「な、何が起きた……」
「ぐぅぅ……頭が痛い……」
槍を持ちチェサーを囲んでいた近衛隊は、ほとんどが気絶を免れていたが、頭痛に歪む頭を押さえながらふらついている。立っているのもやっとに見えた。
そのように項垂れる近衛隊の隙間を縫って、チェサーは愛剣を拾いに行った。彼は九尾の雄叫びの影響を受けていない様子だった。
「楊雪月。肩の傷を治してもらえないか……」
『お安いご注文で』
見えない体躯の九尾がペロリとチェサーの傷を舐めると、肩の傷が完治する。傷が完全に塞がり、出血も止まった。
「助かる」
『礼には及ばないわ』
傷の痛みが引いたチェサーが闘技場全体を見回した。ほとんどの人間が気絶して倒れている。残っているのは近衛隊、国王、将軍、チャンピオン――それにスケルトンだけである。
剣を拾ったチェサーは、何も考えずに直ぐ様動いた。剣を振るう。自分の周囲にいた近衛隊に斬り掛かる。
「ふんっ!」
「ぎぃああああ!?」
唐突に襲われた近衛隊員が悲鳴を上げた。そのようなことに構わず、チェサーは次々に近衛隊に斬り掛かる。ものの三秒で、十人ほどいた近衛隊を斬り伏せた。
「次は――」
暗殺の再開。
チェサーは高くジャンプすると二階テラス席に舞い戻る。そして、テラス席の手摺に着地した。
しかし、テラス席には人の姿が消えていた。国王と将軍の姿も見えない。テラス席の奥を見てみれば、通路への扉が開いている。
「国王め、逃げたか!」
チェサーが手摺から飛び降り、テラス席に着地した刹那、背後に気配を感じ取る。
「ぬっ!?」
振り向いた瞬間だった。足刀が眼前に迫って飛んで来た。
『貴様の相手は、俺だろうが!』
スケルトンの不意打ち。その飛び蹴りがチェサーの顔面を蹴り殴った。イケメンが吹っ飛び、扉を越えて奥の廊下に飛び出す。
「ぐはっ!」
蹴り飛ばされたチェサーが廊下の壁に頭をぶつけて止まる。そして、振り返ると目の前にシローが拳を振り上げて立っていた。
『逃げんな、ゴラァ!』
振り下ろされた鉄拳がチェサーに迫る。その拳をチェサーは紙一重で回避した。狙いを外したメリケンサック付きの拳が背後の壁を陥没させる。廊下に衝撃が轟いた。
「斬っ!!」
回避に合わせて横に飛んだチェサーは、反撃の胴斬りを放っていた。その刃が横一文字に振られ、シローの脊骨を断ち切った。
しかし、シローは上半身が落ちるよりも早くボーンリジェネレーションを唱えていた。直ぐ様、断ち切られた背骨が接着されて体勢を取り戻す。
「不死身とは、ズルい!」
『ズルくない。何とでも言いやがれ!』
次なる攻撃が同時に放たれた。
「ふんっ!」
『オラッ!』
チェサーの縦斬りとシローの左フックが光速で交差した。チェサーの剣にシローの拳が断ち切られる。手首から先が飛んで行く。
しかし、シローの攻撃は止まらない。手首を切断されても腕を振り抜いた。その左腕の先がイケメンの顔を掠める。頬が僅かに切れた。
「おのれ!」
『もう一丁!』
さらに体を捻って攻撃を続けるシローは、バックスピンナックルで二撃目を繰り出した。その連携技をチェサーは顔面に受けてしまう。
「ふご!」
振り切る大振り裏拳。その一振りがイケメンを壁側に吹き飛ばす。チェサーは壁に激突して止まった。
そこに、シローのジャイアントキックが豪快に飛んで来た。チェサーの胸板を捉えて蹴り押した。
「ごふっ!」
壁に激突したチェサーの体が壁を破壊して反対側に飛び出した。壁を貫通したチェサーが闘技場側に飛び出し、二階の高さから一階に落ちて行く。
「ぐぅう……」
一階席に落ちたチェサーは倒れ込みながら二階の壁を見上げる。すると、自分が落ちて来た穴からスケルトンが覗いていた。そして、飛び降りて来る。
『ニードロップ!!』
一階席に倒れ込むチェサーに膝から飛び降りて来るシローが迫った。そこに――。
『させるか!』
『ゲブッ!?』
九尾の狐が体当たりをかます。その一撃でシローが数メートル飛んで行った。観客席に落ちる。
「た、助かったぜ、楊雪月……」
『礼には及ばぬ。しかし、チェサーよ』
「なんだ……?」
イケメンは剣を杖代わりに立ち上がると、九尾に問うた。
『国王に逃げられたぞ。あいつは地下通路から逃げおったわい』
「そ、そうか……」
『地下では妾の力も及ばない。追跡は無理じゃ。ゆえに、契約はここまでだ』
チェサーは俯きながら答えた。その顔からは諦めが見える。
「そうか、それは残念だ……」
九尾はチェサーの顔を覗き込みながら問う。
『お主は、これからどうするのじゃ?』
「逃げられるところまで、逃げてみるさ……」
『んん〜』
九尾の狐は少し考え込んだ。そして、直ぐに答えを出す。
『分かった。逃走に手を貸そう。特別なんだからな』
「本当か、楊雪月!?」
『ここでお前ほどのイケメンを失うのは、人類にとっての汚点になるだろう』
「そう言ってもらえると助かる!」
『ただし、さらなる契約を結んでもらうぞ』
「それは、なんだ……?」
『その契約に関しては、生き残ってからのお楽しみだ。ほれ、背中に乗れ』
チェサーは僅かに悩む。しかし、結局のところ九尾の背中に跨った。そのままチェサーと九尾は宙を飛んで逃げて行った。
そして、数日後――ゴールド商会の金徳寺金剛の元に楊雪月から手紙が届く。
【ご報告。この度、私、楊雪月はチェサー・ロッシと結婚いたしました。結婚式は母国の四川省で行いますので、後日招待状をお送りします。ぜひご参列くださいませ。楊雪月より】
七三の少年は呆れながら呟く。
「あの色ボケ尼、何やっとんね……」




