240【南星剣】
両肩を脱力して直立する姿のまま跳ねるシローは、全身の白骨をガシャガシャと鳴らしていた。まるで髑髏の打楽器である。
片や対戦相手のチェサーも脱力のまま立ち尽くしている。剣を垂らし、顎を上げ、冷たい眼差しをシローに向けていた。
二人は自然体で脱力していたが、それでいて隙は無い。互いに警戒心を怠らず、距離を保ちながら相手の全身を捉えて隙を探している。
しかし、何処にも隙は見当たらなかった。完璧に研ぎ澄まされた警戒のオーラが全身を包んでいた。
そのような中、自然体を保ちながらチェサーがゆっくりとした歩法で前進を始める。どうやら仕掛けるつもりらしい。
歩法はゆっくり。一步、また一步と距離を縮めるたびに、重々しい空気が押されて圧縮していく。二人の間で空気が威圧にサンドされ、潰れていく。それが生み出すのは闘争の空気――圧力で空間が歪んで見えた。戦闘の独特な景色である。
そして、一步。チェサーが剣の間合いに踏み込む。彼だけが届く間合いだった。
だが、今回はチェサーからは手を出さなかった。先手を取らず、歩みを続ける。距離をさらに詰めていく。
『――……』
「――……」
やがて二人の距離はシローの間合いに入った。両者が届く間合いである。
だが、シローも動かない。蹴りでも突きでも届く距離だが、ポニーテールの男を睨んでいるだけで仕掛けなかった。
チェサーはさらに歩を進める。やがて二人は超接近した。もう抱き合えるほどの距離である。なのに二人は仕掛けない。
最終的にチェサーが歩みを止めたのは、胸を合わせるほどの距離だった。シローの肋骨と、チェサーの革鎧が触れ合う寸前である。
二人の眼光が、接吻できる距離で睨み合う。虚空の瞳と熱い漢の瞳が、超接近の距離で火花を散らしていた。
アルル円形闘技場に、静寂が流れる。観客たちも静まり返っていた。喋るどころか、動く者すら一人も居ない。注目だけがシローとチェサーに集まっている。
そのような空気の中で、観客席に腰掛けるソフィアが声を絞り出してチルチルに問う。
「どちらが先に動くのでしょう……?」
闘技場を真っ直ぐに見つめながらチルチルは答えた。その顔には微笑が浮かんでいた。
「それは決まってますわ」
「決まっている……?」
「シロー様が、闘争を我慢できる訳がありません」
「え……」
直後、チルチルが述べた通りにシローが仕掛けた。
『ふっ!!』
垂直に飛び上がる飛び膝蹴り。ロケットのように打ち上げられた右膝が、チェサーのスマートな顎先を狙って突き上げられる。
その膝蹴りをチェサーは顎だけを引いて回避し、背を反らしながら剣を振るう。
「危っ!」
『ふん!』
チェサーの一振りは下段の斬撃。シローの片足を狙って振られていた。地にある左足首を狙っている。
だが、飛び膝蹴りで右足を上げていたシローは、二連の膝蹴りを繰り出し左足も浮かせて攻撃に転じる。それは回避も兼ねた動きだった。
『ちょや!』
「避っ!」
二撃目の連続飛び蹴りを回避するチェサーは、さらに背を反らしていた。そして、バク転をしながら掬い蹴りを繰り出す。またもや回避と攻撃を一体化させた動きだった。
『サマーソルトか!』
着地したシローも体を反らして蹴り足を回避する。だが、蹴り足を見送った瞬間、シローは素早く前に踏み込んだ。バク転から着地するチェサーに追撃を仕掛ける。
『正拳突き!』
チタン製のメリケンサックを握り締めた左の正拳突きが渦を巻きながら突き迫る。唸る拳が殺気を孕みながらチェサーのイケメン顔を狙う。
「斬壁っ!」
瞬時に振られる剣の縦斬りがメリケンサックを打ち払う。その一振りで火花が散った。
『おおう……』
拳を弾かれたシローが驚きながら後退する。そして、弾かれたメリケンサックを見てみれば、チタン製の凶器には切り傷が刻まれていた。チェサーはチタンを斬ったのだ。
『こりゃあ凄いな……』
「拳筋は読めた!」
チェサーが自信に満ちた眼差しで踏み込む。構えた剣が十字に振られた。
「南星天翔十字鳳剣!」
その太刀筋は、まるで稲妻と雷の速度。横一線のライトニングが過ぎたかと思えば、サンダーのような縦振りがシローを襲う。
その二連の電撃剣にシローが身構えると――。
『あら……』
眼前を守るように構えていた左手の拳が落ちた。横一線の一振りに手首から斬り落とされたのだ。
しかもさらに、左肩も地に落ちる。二撃目の縦斬りに肩から腕が切断されたのだ。
『くぞっ!』
直ぐにシローは二連のスウェーバックを繰り返して間合いを築く。チェサーの間合いから逃げ出したのだ。その身体には左腕が無い。右腕だけで構えている。
「脆い腕だ。骨の強度は人並みなのだな」
『嘲るな、若僧!』
二人の中心には、シローの白骨の左腕が落ちていた。その腕を境に二人は睨み合う。チェサーはダラリと構え、シローは片腕で構える。
幸い、シローには痛覚が無い。だから片腕を切断されても痛みを感じなかった。それが救いだった。
しかし、もしもシローが権利者になる前なら、これで決着だっただろう。人間を捨てていて助かったのだ。
「ふうん……」
チェサーが腰を落として力を溜める。そして、魂心の一振りを放つ。
「南星鷹爪破斬!」
その場で立ち止まり、掬い上げる一振りを振るうチェサーの剣先から疾風の斬撃が放たれた。それは突風の牙となって地を刻みながらシローに迫る。
『何をっ!?』
見えない疾風の斬撃がシローの左足を襲う。その斬撃が左足の小指を断ち切った。足の小指が一本、跳ね飛んだ。
『がはっ!?』
バランスを崩したシローが傾いて肩肘をつく。その体勢でチェサーを睨む。
『と、飛び道具も、あるのかよ……』
「我が剣技に隙なし。それが南星剣!」
チェサーが無数に剣を振るって演舞を見せる。そして、最後に天を突いて止まった。
「我が南星剣に、一片の隙なし――それは、無敵なり!」




