239【花開く匂い】
腹部に拳の跡を残して気絶しているアイアンバッファローが、タンカーで闘技場から運び出されていく。彼は口や鼻から血を溢し、目からは血の涙まで流していた。
しかし、気絶した表情は、満足気に微笑んでいる。シローとの戦いを堪能した証拠だろう。
そのタンカーとすれ違いに前へ出てくるのは、ポニーテールの男――チェサー・ロッシ。二十歳半ばの若者である。馬尾のように伸ばした後ろ髪が風で揺れていた。
彼はアルル円形闘技場、総合最強部門のランキング二位。その剣技の強さは折り紙付きで、観客たちにもよく知られている。人気は高い。
つい先ほど、三十三人の闘士を三十三撃の剣技で倒してみせた実力者。本物の強者だ。
姿は革鎧を纏った軽戦士。武器は剣一本のみ。フットワークと巧みな剣技を売りにする闘士である。
整った顔立ちは美形の部類。体型もスマートで細マッチョ。ゆえに女性ファンも多い色男だ。
しかも、性格は穏やかで温厚。外見も中身も良い男とあって、男性陣にはアンチも少なくない。モテる男には僻みが付きものだ。
彼は半年前にアルル闘技場に初参戦し、そこから鰻登りでランキングを上げていった。全戦無敗である。
しかし、なかなかチャンピオン戦のカードは組まれなかった。それはビジネスサイドから見れば、勿体ないカードだからだ。簡単にタイトルマッチを組んでは儲からない。タイミングが重視されていた。
それが今宵、ようやく叶うはずだった。念願のタイトルマッチが組まれたのだ。
だが、髑髏の闘士が乱入したことで、すべてが有耶無耶になってしまう。それが口惜しかった。
……なのに、もしかしたら。脳裏をかすめる考えがあった。
このシロー・シカウという男のほうが、チャンピオンより“美味しい”のではないかと。
この強さは、黄金のように輝いて見える。極上の宝。まるで金銀財宝のような戦力だと感じられた。
前に歩み出ながら、チェサーが足元の影に呟く。
「最初は、私一人で行く。構わんよな?」
その言葉に、足元の影から返事が返ってきた。
『構わぬ。好きにしたら良いぞ』
「感謝――」
シローを睨むチェサーが歩きながら、腰の剣に手を添える。ゆっくりと剣を抜いた。鋭い金属音と共に、刀身が鞘から引き抜かれる。
煌めく刃。研ぎ澄まされた両刃の剣。それは明らかに魔法で鍛えられていた。シローの瞳にも魔力の輝きが見て取れる。あの剣はマジックアイテムだ。青白いオーラが刀身から揺らめいている。
『こっちも武器が必要そうだな――』
言いながら、シローはアイテムボックスからチタン製のメリケンサックを取り出し、両手に嵌める。ギュッと凶器を握り締めた。
まだ、二人には距離がある。その距離を詰めようと、チェサーが歩を進める。それを目前に、シローが構えを築いた。
背を小さく丸め、脇をシッカリと締め、両拳で頬を隠す。両膝を僅かに屈め、足裏は大地に強く根付いている。その姿は、大岩のようにどっしりと映った。
しかし、チェサーは剣を下げ、脱力していた。構えを見せていない。なのに、隙がない。歩く姿そのものが、完全無欠の攻撃スタイルに窺えた。
それもそのはず。彼の戦闘スタイルは「自然体」が基本の剣技なのだ。そこからすべての闘争が始まる。
一歩一歩と接近を試みるチェサーが、剣の間合いにシローを捉える。その刹那――。
ポニーテールを靡かせ、チェサーがダッシュした。それは突風のごとき速度。瞬きすら許さぬ速さで、シローへ斬りかかる。
「斬ッ!」
『速い!』
上段からの兜割り。片手で振り下ろされた刀身が、シローの頭蓋を狙う。その一撃は、本日誰よりも速く、誰よりも鋭い。まさに絶品。
しかし、シローは半歩だけ身を引き、間合いから逃れる。髑髏の眼前を、疾風の一撃が通り過ぎた。
回避成功。
だが――。
「燕返し!」
空振ったはずの刀身が、角度を変えて跳ね上がる。変則的な二撃目が再び迫る。
しかし――。
『遅い……』
シローは逆袈裟斬りを縫って前に飛び出した。軽やかなステップで接近し、今度はチェサーを拳の間合いに捕らえる。
『シュ!』
左ジャブ一閃。瞬足の一撃が相手の顎先を狙う。だがチェサーは、瞬間移動のようなバックステップでジャブを躱した。
それは回避というより、退避だった。拳の間合いから、跳ねるように後方へ飛び出したのだ。
二人は距離を取り、再び睨み合う。髑髏とイケメンが視線だけで火花を散らす。
その光景を見て、観客席がドッと沸き立った。足を鳴らして闘技場を揺らす。
たった一連の攻防で、観客たちは悟った。この戦いは“プレミア”だと――。
二階テラス席のルイス国王も、玉座に座りながら震えていた。隣のフィリップル将軍も微笑んでいる。両者共に子供のように歓喜していた。
テラス席から身を乗り出しながらルイス国王が述べる。
「これほどの試合は、年に何度も見られぬベストマッチだぞ!」
「兄上も、そう思われますか」
「弟よ、楽しいな。心が踊るぞ!」
「喜んでいただけまして光栄です」
「よし、決めたぞ、フィリップル!」
「何をでありましょう、国王陛下?」
「フラン・モンターニュの大使館建設に、王国から補助金を出そう!」
「誠でありますか!?」
「あのスケルトンには、それほどの価値がある。何としても我が王国に足止めせよ。他所に取られてたまるか!」
「畏まりました。国王の望みのままに――」
完全にルイス国王は、シローを気に入ったらしい。
ここで、男臭いシローのヒーロー感が花開いた。あの髑髏は、熱いタイプには受けるのだ。




