表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

248/263

238【最強の頂き】

 体を斜めにし、顎を引いたシローが深く腰を落として正拳突きを打ち込もうと構えを築く。その構えは、攻撃にのみ特化した“押し”の構え。肉のない骸骨の上半身からは、殺気が湯気のように揺らめいて見えた。


 観客席のソフィアが呟く。


「中段突きを狙っているわ。しかも、なんて美しい構えなの……」


 獣人のソフィアは、うっとりと瞳を潤ませていた。ゴリラの両手を強く握り締めながら闘技場のシローを見詰めている。


 彼女は拳闘を志す戦士。しかし、自分一人では上を目指すのに限界を感じていた。そんな時、村へ現れた異形の拳闘士に希望を見つけたのだ。


 彼は自分よりも、遥かに優れた技を身に着けていた。戦闘スタイルも似ていた。


 彼に学びたい。その思いは間違いではなかったと、今になって確信する。


 自分の眼力は、間違っていなかったのだと。


 シローの構えは、それほどまでに芸術的だった。拳闘の思想が詰まっている。まるで国宝のように美しい。


 美しく構える髑髏が語る。


『今回のは、いてぇ〜ぞ……。死ぬかも知れないぞ?』


 二丁斧を高く振り上げたアイアンバッファローが、熊のような構えで言い返す。


「構わん。俺は、少しでも上を見たいのだ。これ程の機会は、そうそう無いからな……」


 覚悟は決まっていた。アイアンバッファローは思う。


 この髑髏の魔人は、自分とは桁が違う。おそらく数値で言えば一桁は上だろう。


 もしも自分が、その差を埋めるために積み重ねようとすれば――数年、いや数十年は掛かる。


 ならば今は、それを見ることで経験値を積むしかない。敗北は覚悟出来ていた。


 自分は、もっと強くなりたいのだ。闘技場のチャンピオンなんて、通過点に過ぎなかった。


 それが、こんな場所で“最強の頂き”と出会ってしまうとは。不運――いや、幸運!


「この出会いに、感謝!」


 そう述べると、アイアンバッファローが走り出す。シローへ向かって攻め立てる。


 返り討ちは覚悟の上。撃沈は予想できた。だが、飛び込まずにはいられなかった。


「うらぁぁああああああ!!」


 アイアンバッファローの怒号がこだまする。それはまるで黒旋風。黒い竜巻――ブラックハリケーン。荒れ狂う闘牛の群れが、津波のように押し寄せてくる光景だった。


「チェストォォオオオオ!!」


 静かにシローが返す。


『否――チェスト返し!』


 刹那、シローの正拳突きが放たれた。狙いはアイアンバッファローの腹部――鳩尾。


 その正拳は、静かに腰元から発射される。拳が下を向き、握り締めた指は上向き。


 拳が肘の伸び切る寸前で回転しながら向きを変え、親指が上側へと来る“縦拳”となって鳩尾へ迫る。


 そして、さらに捻り込まれることで正拳の角度を完成させた。その動きすべてが完璧である。ゆえに、誰から見ても完璧の破壊力を生み出すと窺えた。


 その瞬間――。


「うっ!!」


 殺気――。


 鳩尾を狙った正拳突きを追い越すように、シローの背後から巨大な殺気の波が押し寄せてきた。それは瞬く間にアイアンバッファローの全身を包み込み、視界を真っ暗に染め上げる。


「っ!!!???」


 死――。


 その言葉が、視界いっぱいに浮かんだ。


 途端、アイアンバッファローの脳裏に子供の頃の記憶が蘇る。


 走馬灯、開始――。


「お父さん、僕、必ず最強の戦士になるぞ!」


「おお、息子よ。それは頼もしいな。はっはっはっ!」


「お母さんは、バッファがお嫁さんを貰って幸せになってくれたら嬉しいわ」


「うん。僕、強くなって美人のお嫁さんを貰うもんね!」


「バッファは頼もしいわ〜。うふふ〜ふ〜」


 ――しかし、戦火が村を襲った。それは、フランスル王国とイタリカナ王国の小競り合い。


 たった数時間の攻防で村は焼き尽くされ、兵士だった父は外で死体となって見つかった。母も胸に矢を二本受け、倒れていた。それがバッファの幼少時代の記憶。


 俺は、一人になった……。


 それからだ。強さを求めて体を徹底的に鍛え始めた。


 そして数年後、闘技場の闘士になった。ランキングも三位まで登り詰めた。強くなった気でいた。


 ――だが、幻想だった。


 今、自分の前に迫る死の津波を前に、現実を知る。死に包まれて、現実を知る。


「これが、世界なのか……」


 走馬灯が砕けた。


 シローの正拳突きが鳩尾に突き刺さる。骨拳が手首まで腹部にめり込んでいた。


 爆発!


 着弾点を中心に衝撃波が波紋のように全身へ広がる。その衝撃が指先に、爪先に、脳天に達する。


 さらに鳩尾から突き抜けた波動が内臓を貫き、背中に達した。背から破裂音を伴って衝撃波が噴出する。貫通したのだ。


「がはっ!」


 アイアンバッファローは体内からこみ上げる血を、口と鼻から吐き出した。眼球の隙間からも血が滲み出る。


 たった一撃の正拳突きが、アイアンバッファローの体内で爆発したかのようなダメージを生んでいた。内臓が、心臓が、ズタズタである。


「これが……最強の……一撃……」


 アイアンバッファローは白目を向き、尻餅をついて座り込む。大股を開いて座り込み、背を丸めたまま気絶していた。その口や鼻からは、糸を引くように鮮血が垂れている。


『決着だぜ、ボーイ――』


 その一言の後、会場がドッと沸き上がった。観客たちは地団駄を踏み、歓喜の咆哮を上げる。踏み鳴らす足音に闘技場が揺れていた。


 一方、壁際で二人の死闘を眺めていたポニーテールの男が呟く。


「良かったな。これ程の試合を特等席で見られてよ」


 すると、彼の背にした壁に映る影から女の声が囁かれた。


『面白いものを見せてもらったわい。妾の願いは叶った。試練は合格、というところかのぉ』


「ならば次は、私の願いを叶えてもらいたい――」


『良きぞな。それが約束じゃ。貴公の願いに力を貸そうぞ』


「感謝する、楊雪月殿――」


 影映る壁から背を離したポニーテールの男が前に出る。そして、チャンピオンのシリヌ・カールに告げた。


「チャンピオン殿、お先に失礼するが、文句は無いよな?」


 禿頭のチャンピオンは黙って頷き、彼を見送った。ポニーテールの男が腰の剣に片肘を乗せながら前に歩み出る。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ